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未唯宇宙の対象

図書館の未来

 図書館の未来は電子書籍によって、大いに変わっていく。そこでは分割と融合。仮想空間で結論を求めていく。個人のノウハウから全体の知識になっていく。

 ビデオとか音声とかイメージがすべて、つながっていく。デジタル化のカタチで起こってくるが、それらの駆動装置がない。駆動する機関とセキュリティを保つための道具としての図書館。そして、公共のあり方。

クラウドでのハイパーリンク

 起動するのはクラウドという考えの元で行なっていく。当然、OPAC(オンライン目録)は未唯空間のインデックスの中に吸収される。

 そこで必要なのは、大掛かりなハイパーリンク、著作権を超えたザナドゥ空間。参考文献はつながり、必要部分に分割される。誰かがやったものは全体の空間の中に位置づけられる。ナレッジ空間として、新しい書物として提供される。

本には著作権はない

 本には著作権はない。すべてが組み合わせなのだから。クルアーンには聖書が流用されている。アレキサンダーも出てくる。彼の行動には著作権がない。誰かが表現しただけの話。前の人の思考を組み合わせて、最終的な本となっている。それも経過です。

 読むことが目的ではなく、行動につなげていく。行動が次のものを生み出していく。それらのリンクをすべて、空間で持つ。それは家でも、図書館でも、広場でもいい。アゴラでそれらを瞬時に使っていけるようにすることが肝要です。

社会の革新を図る

 技術革新が社会の革新を超していく。日本のデジタル化を出版業界に任せてはダメです。図書館に任せてはダメです。コミュニティで行なっていけば、最初から市民とつながることができます。

データベースの配置

 元になるデータベースをどのように作っていくのか。学術論文のように、権威ある海外のサイトに置くのではなく、分散型にする。個人のデータベースをリンクしていく。ピアtoピアをコントロールしていく。身近なものは身近で収集できるようにする。

 これはいつもの通りに、ハイアラキーから配置にして、分化と統合でカタチを作り出す。

「部品表」から仕事を始めた

 そのようなカタチを部品表で作ってきた。すべてをハイアラキーにするのではなく、技術者の嗜好に合わせて、ヘッドロジックを作って、ある人の持っている部品の範囲と構成をダイナミックにつなげていった。

 私に部品表というものを私に教えたのでしょう。そのためにトヨタを作ったのかもしれない。体系は興味がある範囲で作られていく。技術者はすべてを知った上で作るのではなく、自分の技術を中心にして、関連するものをそれぞれのタイミングでつなげていく。

 リンクの件数で優先順位を規定したペイジのロジックも同じ考えでしょう。関係性をキーにする。品番という体系でできたものを所有権をすべて外れた超空間に持って行く。

単目的での行動

 名古屋へ行くときは単目的にします。IさんならIさん。映画なら映画。ベースは往復の高速バス代金だけ。

ハレー彗星はいつ戻る

 パートナーから帰還したら、言うことは一つです。ようこそ地球へ、ようこそテラへ。なにしろ、ハレー彗星だから。

未唯宇宙の対象

 未唯宇宙に入れ込むOCR文章は2001年からにしましょう。NDCと本の題名と日付が揃っていることが条件です。OCR文章を意識して入れたのは、2003年からです。雑記NO.は#304です。そこから始めることにしました。現在は#948だから、1/3は省きます。

 OCR化のきっかけになったのは、30年前ぐらいに心を病んだときに、デカルト『方法序説』は写経のように、すべて手入力したこと

 未唯宇宙だけで完結するのではなく、これは「残された人類」へのサンプルです。居なくなった時に、作って下さい。
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<インターネット>の次に来るもの アクセシング(接続していく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より ⇒ 資本主義の次のカタチとしての「所有権放棄」はやはり、正しい!

アクセスヘと向かい、所有から離れていくこうした長期的な動きを加速させる、五つのテクノロジーのトレンドがある。非物質化

過去30年のトレンドは、より良いものをより少ない材料で作ることだった。古典的な事例としては缶ビールがある。その基本的な形やサイズや機能は過去80年間変わっていない。1950年にはビールの缶は錫メッキした鉄製で73グラムの重さだった。1972年にはアルミ製のもっと軽くて薄く見栄えの良い缶ができて、重さは21グラムまで減った。さらに手の込んだ畳み込みやカーブの工夫によって原材料を減らし、現在では重さは13グラムまで落ちて、初期の重さの5分の1となっている。それに新しい缶は口を開ける道具が要らない。材料が20%に減ることでより多くのメリットが生まれた。それが非物質化と呼ばれる動きだ。

現在の最新のプロダクトは概してこうした非物質化が進んでいる。1970年代と比べて、自動車は平均で25%軽くなっている。電化製品も、同じ機能に対してより軽くなっている。もちろん、通信テクノロジーは明らかに非物質化している。パソコンの巨大なモニターは薄いスクリーン状になり(しかしテレビの横幅は広がった!)、テーブルに置かれた武骨な電話はポケットに入る大きさになった。必ずしも軽くしなくても新しい機能を付加できるが、一般的にはより原子を減らすのがトレンドだ。個々の製品がより軽くなっても、経済が成長するにつれより多くのものを使うようになって、トータルではより多くのものに囲まれているので、そのことに気づかないかもしれない。しかしGDPの金額当たりの物質の量は少なくなっており、つまりはより少ない物質でより多くの価値を生み出しているのだ。単位GDP当たりに必要な物質の量は過去150年下がり続け、過去20年間に特にその傾向は加速している。1840年にはアメリカのGDPの単位当たりに必要な物質は4キロだった。それが1930年にはIキロになった。最近の投入キロ当たりのGDPの価値は、1977年の1・64ドルから2000年には3・58ドルになり、過去23年間で非物質化は倍加したことになる。

デジタルテクノロジーは、製品からサービスヘの移行を促すことで非物質化を加速する。サービスはそもそも流動的なので、物質に縛られる必要がないのだ。しかし非物質化はただのデジタル商品を指しているのではない。たとえばソーダ缶のような固い物理的な製品が、より少ない材料を使うほど便利になるのは、その重いアトムが重さのないビットで置き換えられているからだ。手に触れられるものが、手に触れられないものへ置き換わっていく--より良いデザイン、革新的なプロセス、スマートなチップ、オンライン接続といった手に触れられないものが、以前はアルミが行なっていたこと以上のことを代行していく。知能といったソフトがアルミ缶のような固い物の中に組み込まれ、固い物がソフトのように動くようになる。ビットが吹き込まれた物質的な商品が、まるで手に触れられないサービスのように振る舞いだす。名詞は動詞へと変容する。シリコンバレーではこれを、「ソフトウェアがすべてを食べつくす」という言い方をする。

自動車の鉄鋼の量は減っていき、その役割を軽量のシリコンに譲っている。現在の自動車はまるで車輪の付いたコンピューターだ。スマートなシリコンがエンジン効率やブレーキの性能、安全性を向上させているが、このことが電気自動車ではさらに当てはまる。動き回るコンピューターはもうすぐネットに接続され、インターネット自動車になる。それは無線でつながって自動運転のナビゲーションや、保守と安全確保を行ない、最新のモデルでは高画質の3Dエンターテインメントになる。また接続された車は新しいオフィスにもなる。もしその私的空間であなたが運転していないならば、そこで働いたり遊んだりするはずだ。私は2025年までには、高級な自動運転車のネット接続速度は、家庭のそれを上回ると予想する。

車がデジタル化されると、交換されたりシェアされたりするようになり、デジタルメディアと同じようにソーシャルにやり取りされるようになる。家庭やオフィスにある物体に知能を与えてスマートにすればするほど、どんどんそれは社会資産化していく。それらの持つ性質(多分それらが何でできていて、どこにあり、何を見ているかなど)をシェアすることで、自分自身がそれらをシェアしている気になっていくのだ。

アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスが2007年に初めてキンドルの端末を紹介したとき、それはプロダクトではないと主張した。そうではなく、読むものへのアクセスを売るサービスだと言うのだ。その話はその7年後にアマゾンが、約100万冊の電子本を読み放題にするサービスを開始したときに、よりはっきりしたものになった。読書好きの人はもう個々の本を買う必要はなく、キンドルを1台購入することで、現在刊行されているほとんどの本へのアクセスを買うことになるのだ(キンドルのエントリーモデルの値段は徐々に下がっており、いずれはほとんど無料になるだろう)。プロダクトは所有を促すものだが、サービスは所有する気をくじく--というのも所有という特権に伴う排他性、コントロール、責任といった足かせがサービスにはないからだ。

「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、これまでのやり方をひっくり返す。所有することは手軽で気紛れだ。もし何かもっと良いものが出てきたら買い換えればいい。一方でサブスクリプションでは、アップデートや問題解決やバージョン管理といった終わりのない流れに沿って、作り手と消費者の間で常にインタラクションし続けなければならなくなる。それは1回限りの出来事ではなく、継続的な関係になる。あるサービスにアクセスすることは、その顧客にとって物を買ったとき以上に深く関わりを持つことになる。乗り換えをするのが難しく(携帯電話のキャリアやケーブルサービスを考えてみよう)、往々にしてそのサービスからそのまま離れられなくなる。長く加入すればするほど、そのサービスがあなたのことをよく知るようになり、そうなるとまた最初からやり直すのがさらに億劫になり、ますます離れ難くなるのだ。それはまるで結婚するようなものだ。もちろん作り手はこうした忠誠心を大切にするが、顧客も継続することによる利点をますます享受することになる(そうでなくてはならない)--品質の安定常に改善されるサービス、気配りの行き届いたパーソナライズによって、良いサービスだと思えるのだ。

アクセス方式のおかげで消費者が製作者により近づき、あるいは消費者がますます製作者のように行動するようになって、1980年に未来学者のアルビン・トフラーが命名した「プロシューマー」になっていく。ソフトウェアを所有する代わりにアクセスすれば、そのソフトが改良されたときにそれを共有できる。それはまた、あなたが雇われたことも意味する。あなたは新たなプロシューマーになり、バグを見つけて報告するよう促され(会社のQ&A部門の人件費を抑え)、フォーラムで他のューザーからの助言をもらい(会社のヘルプデスクの人件費を抑え)、自分用にアドオンや改良版を開発する(高コストの開発部門を代替する)ことになる。アクセスによってそのサービスのありとあらゆる部分とのインタラクションが増えていくのだ。

スタンドアロンの製品が「サービス化」された最初の例がソフトウェアだ。現在ではソフトをプロダクトとしてではなくサービスとして売る「SaS」という方式が、ほとんどのソフトで常識になっている。SaSの例を挙げれば、アドビ社はもう同社の大黒柱であるフォトショップやデザイン用のツールを、例えば「バージョン7.0」などと銘打った個別のプロダクトとしては売らなくなった。その代わりに、あなたはフォトショップやインデザイン、プレミアなどのサービスを--そして自動的なアップデートを--単体あるいは一括で購入する。月額のサブスクリプションを支払う限り、サービスにサインアップすればあなたのコンピューターはいつでも最新のソフトを使えるのだ。この新しい方式なら、顧客ぼ安心しながら永遠に何かを所有している気になる。

テレビ、電話、ソフトのサービサイズは始まりに過ぎない。ここ数年間にホテルのサービサイズ(エアビーアンドビー)、ツールのサーピサイズ(テックショップ[TchShop])'衣服のサービサイズ(スティッチ・フィックス[Stitch Fix]やボンブフェル{Bombfell})、オモチャのサービサイズ(ナード・ブロック[Nerd Block]やスパークボックス・トイズ[Sparkbox Toys]が起こった。もうすぐ、食品をサービサイズ(FaS)しようと試行錯誤するスタートアップが何百と出てくる。そのどれもが、食品を購入するのではなく、食品へのサブスクリプションを提供するものだ。例えばある構想では、個別の食料品を買うのではなく、あなたが必要とする、あるいはほしいと思う食品から得られる恩恵にアクセスする--つまり、あるレベルと量のたんぱく質、栄養価、調理法、風味といったものだ。

他にも新しいサービスの可能性として、家具のサービサイズ、健康のサービサイズ、住まいのサービサイズ、休暇のサービサイズ、学校のサービサイズといったものが挙げられる。

もちろんそれらすべてに支払いは発生するが、こうしたサービスでは、顧客と提供者の間でより深い関係が必然的に促される点が違う。
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<インターネット>の次に来るもの フローイング(流れていく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より ⇒ 乃木坂の活動から得た、新しいメディアの特徴は流れていく!

「無料より良い」八つの生成的なもの

即時性

 あなたがほしいと思うどんなものもいずれは無料コピーを手に入れられるが、それが製作者によって発表された時点や、さらには製作された時点で自分の手元に届いていたら、それは生成的な価値になる。多くの人は映画作品の公開初日の夜にかなりの金額を払って映画館に観に行くが、その作品はいずれ無料になったり、レンタルやダウンロードでほぼタダになったりするものだ。つまり本質的には、彼らは映画にお金を払っているのではなく(無料でも観られる)、即時性に対して払っているのだ。ハードカバーの本は即時性を提供するからより値段が高いのであり、硬いカバーの装禎はただの見せかけだ。同じ商品でもそれを最初に手に入れるという場合には、得てして追加料金が課される。即時性には売れる資質としていろいろなレベルがあり、その一つにベータ版を手に入れることも含まれる。アプリやソフトウェアのベータ版は以前なら不完全なものとして価値が低かったが、そこに即時性があることが理解されるにつれて、価値を持つようになってきた。即時性は相対的(分単位から月単位まで)なものだが、どんなプロダクトやサービスにも当てはまる。

パーソナライズ

 コンサートを録音した一般的な盤は無料になるだろうが、あなたの部屋の音響環境にぴったりに調整されて、まるで家のリビングルームで演奏されているような音が出るなら、かなりお金を払ってもいいと思えるだろう。そこでの出費はコンサートのコピーに対してではなく、生成的な個人化に対してだ。本の無料コピーがあったとしても、出版社があなたのこれまでの読書歴に合わせて編集してくれればパーソナライズできる。無料の映画も家族全員で見られるように(セックス描写や子ども向けでない部分をカットするなどして)調整されればお金を払う。その両方の例において、あなたはコピーを無料で入手し、パーソナライズにお金を払うことになる。今日ではアスピリンは基本的に無料のようなものだが、アスピリンをベースにあなたのDNAに適合するように調整された薬は、価値がある高価なものになるだろう。こうしたパーソナライズのためにはクリエーターと消費者、アーティストとファン、プロデューサーとューザーの間でやり取りを続けなくてはならない。相互に時間をかけて行なわなくてはならないために、それは非常に生成的なものとなる。マーケターはこれを「粘着性」と呼んでいるが、それは相互にこの生成的な価値にはまり、さらに投資することで、その関係性を止めてやり直そうとはしなくなるからだ。この手の深い関係は、カット&ペーストすることはできない。

解釈

 「ソフトは無料ですが、マニュアルは1万ドルです」という古いジョークがある。しかしもはや冗談ではない。レッドハット[Red Hat]やアパッチ[Apache]といった高収益を叩き出す企業は、フリーソフトの使い方を指導したりサポートしたりしてビジネスをしている。ただのビットに過ぎないコードのコピーは無料だ。その無料のコードにサポートやガイドが付くことで、価値のあるモノになる。多くの医学的こ忽伝的な情報が、これから10年の間に同じ道をたどることになるだろう。いまはまだ、あなたの全DNA情報を入手するのは非常に高価(1万ドル)だが、すぐにそうではなくなる。価格の下落は急速で、すぐにそれが100ドルになり、その翌年には保険会社が無料でやってくれるようになるだろう。一旦配列が明らかになれば、それがどんな意味を持ち、何ができて、どう使えばいいのかという解釈--いわば遺伝子のマニュアル--が高価なものになる。こうした生成的なものは、旅行や医療管理などの他の複雑なサービスにも応用できる。

信頼性

 流行のアプジを裏ネットで無料で手に入れることはできるかもしれないが、仮にマニュアルは要らなくても、そのアプリにバグがないことや、マルウェアやスパムでないことは保証してほしくなるかもしれない。その場合、信頼のおけるコピーには喜んでお金を払うだろう。同じ無料ソフトでも、目に見えない安心がほしくなる。あなたはコピー自体ではなく、その信頼性にお金を払うのだ。グレイトフルデッドの演奏の録音は雑多なものがいくらでもあるが、バンド自体から信頼できるものを買えば、自分がほしいものが確実に手に入るし、それは正真正銘このバンドが演奏したものだ。アーティストはこの種の問題に長いこと悩まされてきた。写真やリトグラフなどの複製画像には、アーティストが保証する印としてスタンプが押されたりサインが付いたりして、それでコピーの値段が上がる。デジタル方式のウォーターマークや他のサインを入れるテクノロジーは、コピー防止の方法としては機能しないが(コピーは超伝導の流れだから)、品質が気になる人にとっては、信頼性を生成するものとして役に立つ。

アクセス可能性

 所有することは得てして面倒なことだ。いつも整理し、最新のものにし、デジタル素材だったらバックアップを取っておかなくてはならない。いまやモバイルが普及し、いつもそれを持ち歩かないといけない。私も含め多くの人々が、自分の持ち物の面倒を誰かに見てもらって、あとは会員登録してクラウドから気ままに使いたい。これからも本を持ち歩いたり、以前に買った大好きな音楽はそのまま所有するだろうが、いつでも好きなときにほしいものを出せるなら、アクメーデジタル倉庫といったサービスに私はお金を払う。大抵のこうしたものはどこかで無料で手に入るかもしれないが、あまり便利ではない。有料のサービスに加入していれば、無料の素材にすぐアクセスできて、自分の使っているさまざまな端末で使え、しかもユーザーインターフェースがすばらしい。これは一部、アイチューンズ[iTunes]がクラウド上で実現している。どこかで無料でダウンロードできる楽曲でも、使い勝手よくそれにアクセスするためならあなたはお金を払う。そのときの対価はその素材自体ではなく、いちいち保管する手間をかけず簡単にアクセスできることなのだ。

実体化

 デジタルコピーの核心は、実体がないことだ。私はデジタル版のPDFの本を読むのは好きだが、ときには革装本の明るくざらついた紙に印刷された言葉も味わい深く、とても気分が良いものだ。ゲーマーたちはオンラインで友人との戦闘ゲームを楽しんでいるが、しばしば一緒に同じ部屋で遊びたくなる。人々はネットでライブストリーミングもされるイベントに、何千ドルも払って実際に参加する。触れられない世界よりも実体化された世界のほうが良い例はいくらでもある。家庭には置けないような最新式のものすごいディスプレーを求めて、人々は自ら移動して劇場やホールに向かう。劇場にはいち早くレーザー投射やホログラフのディスプレー、つまり『スター・トレック』のホロデックそのものが出現しそうだ。それに本当に身体を使う音楽のライブパフォーマンスほど実体を伴うものはない。この例では、音楽は無料で、身体的パフォーマンスが高価なのだ。実際に現在は、多くのバンドが楽曲販売ではなく、コンサートで稼いでいる。この公式は、ミュージシャンだけでなく作家の世界でも急速に普及し始めた。本は無料だが、身体性を伴う講演は高くなるのだ。ライブコンサートのツアー、生のTEDトーク、ラジオのライブショー、ボッブアップのフードツアーなどはすべて、ダウンロードすれば無料な何かに一時的な身体性を付加することで力や価値が加わることの証なのだ。

支援者

 熱心な視聴者やファンは心の中ではクリエーターにお金を払いたいと思っている。ファンはアーティストやミュージシヤン、作家、役者などに、感謝の印をもって報いたいと思っている。そうすることで、自分が高く評価する人々とつながることができるからだ。しかし彼らがお金を出すには、かなり厳しい四つの条件がある。1.支払いが非常に簡単であること、2.額が妥当なこと、3.払ったメリットが明快なこと、4.自分の払ったお金が確実に直接クリエーターのためになっていることだ。バンドやアーティストがファンに無料のコピーの対価として好きな金額を払ってもらう投げ銭制の実験が、そこかしこで始まっている。その方式は基本的に機能している。これこそ、支援者の力を典型的に表すものだ。感謝を示すファンとアーティストの間に流れる捉えどころのない結び付きは、確実に価値がある。投げ銭制を最初に始めたバンドの一つが、ヒアィオヘッドだ。この例では、2007年のアルバム『イン・レインボウズ』をダウンロードするごとに平均2・26ドルが払われ、それ以前に出したアルバムの総売上を上回る収入があり、CDの売上は数百万枚に上った。その他にも、単に手に触れられるモノではなく喜びを得たいためにオーディエンスがお金を払う事例はいくつもある。

発見可能性

 これまでの生成的なものはどれも、創作物に関するものだった。一方で発見可能性とは、多くの創作物が集まることで生じる価値だ。どんなに高価な作品でも、見てもらえなければ無価値だ。見つからない傑作には価値がない。大量の本、大量の楽曲、大量の映画、大量のアプリ、大量のあらゆるものが--それらの多くは無料だ--われわれの注意を奪い合う時代に、発見してもらうことは価値を持つ。それに、毎日のように爆発的な数のものが作られる中で、見つけてもらうことはどんどん難しくなっていく。ファンは数えきれないほどのプロダクトの中から、価値あるものを発見するために多くの方法を駆使する。批評家や評論、ブランド(出版社、レーベル、スタジオなど)を使う他、いまやファンや友人のお勧めから探すことがますます増えている。そうしたガイドにどんどんお金を払うようになっているのだ。お勧めの番組を教えてもらおうとTVガイド誌を買う読者が100万人もいたのはそれほど昔のことではない。ここで強調しておきたいのは、そうした番組が無料なことだ。TVガイド誌は、ガイドしている3大ネットワークのテレビ局を合わせた以上の収入を得ていたと言われる。アマゾンの最大の資産はプライム配送サービスではなく、この20年にわたって集めた何百万もの読者レビューだ。アマゾンの読者は、たとえ無料で読めるサービスが他にあったとしても、「キンドル読み放題」のような何でも読めるサービスにお金を払う。なぜならアマゾンにあるレビューのおかげで、自分の読みたい本が見つかるからだ。それはネットフジックスにも当てはまる。映画ファンはネットフジックスにお金を払っていれば、そのレコメンド機能のおかげで、他では発見できなかったすばらしい作品が見つかるわけだ。それらはどこかに無料であるのかもしれないが、基本的には見失われ埋もれたままだ。こうした事例では、あなたは作品のコピーではなく、発見可能性にお金を払っている。
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<インターネット>の次に来るもの コグニファイング(認知化していく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より グーグルはマーケティングを変える!

以下に挙げるのは、一見思いもよらない分野の認知化による強化の例だ。

 コグニファイした音楽--ビデオゲームやバーチャル世界用に、アルゴリズムを使ってリアルタイムで楽曲を生成する。あなたの行動に連動して音楽が変化する。AIが各プレーヤー用に何百時間分もの音楽を作曲してくれる。

 コグニファイした洗濯--服が洗濯機にどのように洗ってほしいかを指示する。スマートになった服たちによって、毎回そのときの洗い物に合わせた指示が出され、洗濯時間も最適化される。

 コグニファイしたマーケティング--個々の読者や視聴者が広告にどれだけ注目したかの総量を、その個人の社会的影響力(どれだけの人にフォローされ、その人たち自身がどれだけ影響力があるか)と掛け合わせ、1ドル当たりの注目度や影響力を最適化する。何百万人規模で行なわれるので、AIに適した仕事だ。

 コグニファイした不動産--「この物件を気に入った人はこういう物件にも興味があります」とAIによって表示して、売り手と買い手のマッチングをしてくれる。個人の実情に合わせて、融資計画なども提供してくれる。

 コグニファイした看護--患者にセンサーを付け、生体情報を24時間監視することで個人に合わせた治療ができ、日々その精度を高めて最適化してくれる。

 コグニファイした建設--プロジェクト管理プログラムが、設計の変更に加えて天気予報や港湾の交通渋滞、為替変動や事故までをきちんと計算に入れて動いてくれる。

 コグニファイした倫理--自動運転車は、その行動の優先順位についてのガイドラインが必要だ。例えば歩行者の安全はドライバーのそれより優先されるかもしれない。プログラム言語に従って真に自律的な動きをするものは何であれ、スマートな倫理プログラムも必要となる。

 コグニファイしたオモチャ--オモチャがよりペットに近づく。スマートなペットのようなオモチャは子どもの関心が非常に高く、ファービー人形なんて原始的に見えるようになる。会話できるオモチャはさらに愛されるだろう。人形は本当に受け入れられる最初のロボットになるだろう。

 コグニファイしたスポーツ--スマートセンサーとAIが微妙な動きや接触を感知することで、スポーツゲームの審判や採点に新たな方法を実現できる。また、アスリートの毎秒の動きから抽出された非常に精度の高い統計データを活用すれば、最強の夢のチームができるだろう。

 コグニファイした編み物--どんなものかは分からないが、いずれは!

われわれの世界をコグニフアイすることはものすごいことであり、それはいままさに起こっているのだ。

2002年頃に私はグーグルの社内パーティーに出席していた。同社は新規株式公開をする前で、当時は検索だけに特化した小さな会社だった。そこでグーグルの聡明な創業者ラリー・ペイジと話した。「ラリー、いまだによく分からないんだ。検索サービスの会社は山ほどあるよね。無料のウェブ検索サービスだって? どうしてそんな気になったんだい?」。私のこの想像力が欠如した質問こそが、予測すること--特に未来に対して--がいかに難しいかを物語る確固たる証拠だ。だが弁解させてもらえるなら、当時のグーグルはまだ広告オークションで実収入を生み出してもおらず、ユーチューブなど多くの企業買収を行なうはるか前の話だった。私もその検索サービスの熱心なユーザーだったが、いずれは消えていくのではと考えていた大多数の一人だった。ペイジの返事はいまでも忘れられない。「僕らが本当に作っているのは、AIなんだよ」と彼は答えたのだ。

私はここ数年、グーグルがディープマインド以外にもAIやロボット企業を13社も買っているのを見て、このやり取りのことを考えてきた。一見すると、グーグルはその収入の80%を検索サービスから得ているので、検索機能の充実のためにAI企業の買収を強化しているように思われるかもしれない。しかし私は逆だと思う。AIを使って検索機能を改良しているのではなく、検索機能を使ってAIを改良しているのだ。あなたが毎回、検索語を入力し、その結果出てきたリンクをクジックしたり、リンクをウェブ上で新たに作ったりするのは、グーグルのAIのトレーニングをしていることになる。あなたが「イースターのうさぎ」の画像検索をして、結果一覧の中から最もそれらしい画像をクリックすると、あなたはAIにイースターのうさぎとはどういう姿なのかを教えていることになる。グーグルが毎日受けている30億回の検索要求の一つひとつがディープラーニングの先生役となってAIに繰り返し教えているのだ。今後10年、このままAIのプログラムが改良され続け、データが何千倍にも増えてコンピューターで利用できるリソースが100倍になれば、グーグルは誰にも負けないAIを持つことになる。2015年秋の四半期決算報告会で、グーグルのCEOサンダー・ピチャイは、AIは「われわれがしてきたことすべてを再考して変容させる、中心的な方法論になるだろう……それを検索だろうがユーチューブだろうがグーグルプレイだろうが、すべてのプロダクトに適用していく」と述べている。私の予想では、2026年までにグーグルの主力プロダクトは検索ではなくAIになるはずだ。
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