未唯への手紙
未唯への手紙
若月はエバンジェリスト
若月はエバンジェリスト
若月の名刺はマルチの証拠。それを握手会で配ったらどうなる。画像認識ではなく、中国に転送して、人民が入力している。こんなやり方。若月のマルチの興味は広い。フォントを作りたいというのは、全然発想が違います。
名刺ならできるけど、言葉の情報は難しいですね。書き起こしと同様に単純置き換えでは意味がない。
自分で言っていることが、あとから聞いたときに自分でも分からないのに、書き起こせるか。大連の問い合わせセンターを訪問したときに、彼女らの日本語レベルは高かった。方言までこなしていた。
ネット放送の可能性は大きい
ラジオの番組が2時間後には、ネット放送にあげられる。本番の放送がなくてもいいかもしれない。これは一つの儀礼になるかもしれない。地域で放送されたものがインターネットで聞けると言うことは、ドイツでも聞けると言うことです。
ケータイの自撮りでも放送コンテンツができる時代です。生ちゃんのブータンもそれを採用したと言っていた。
視力ダウンが進んでいる
やっぱり、よく見えない。これがパソコンに向かわせるのを避ける原因でしょう。それと運転も避けたい。
本の電子化のアウトソーシング
OCRの修正は中国でやるという発想。旧満洲なら、日本語ができます。やはり、版元でデジタル段階でやるのが一番正確です。だけど、著作権の問題があるので、誤字も含めて変換するのが必要です。
違った言葉として、変換したものを見る根性です。そうすれば、著作権は突破できます。今の私みたいに。
若月の名刺はマルチの証拠。それを握手会で配ったらどうなる。画像認識ではなく、中国に転送して、人民が入力している。こんなやり方。若月のマルチの興味は広い。フォントを作りたいというのは、全然発想が違います。
名刺ならできるけど、言葉の情報は難しいですね。書き起こしと同様に単純置き換えでは意味がない。
自分で言っていることが、あとから聞いたときに自分でも分からないのに、書き起こせるか。大連の問い合わせセンターを訪問したときに、彼女らの日本語レベルは高かった。方言までこなしていた。
ネット放送の可能性は大きい
ラジオの番組が2時間後には、ネット放送にあげられる。本番の放送がなくてもいいかもしれない。これは一つの儀礼になるかもしれない。地域で放送されたものがインターネットで聞けると言うことは、ドイツでも聞けると言うことです。
ケータイの自撮りでも放送コンテンツができる時代です。生ちゃんのブータンもそれを採用したと言っていた。
視力ダウンが進んでいる
やっぱり、よく見えない。これがパソコンに向かわせるのを避ける原因でしょう。それと運転も避けたい。
本の電子化のアウトソーシング
OCRの修正は中国でやるという発想。旧満洲なら、日本語ができます。やはり、版元でデジタル段階でやるのが一番正確です。だけど、著作権の問題があるので、誤字も含めて変換するのが必要です。
違った言葉として、変換したものを見る根性です。そうすれば、著作権は突破できます。今の私みたいに。
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生きているからこそすべてはある、という新しい世界観
『哲学のメガネ』より 経験のさらに前提にあるものを探るのが哲学である 存在というもう一つのパラドクス 道徳が良心となるために宗教があった
われわれ人類はいま、この地球上の生命や自然に対する未曾有の危機を目前にして、大いなる岐路に立たされている。それは、これまでの賭け、すなわち「死後も経験は存続する」という真理に賭けてきたことは正しかったのか、ということである。むしろいまは、「死によってすべての経験は無くなるのであり、ゆえにこの世界とは『われわれが生きているからこそ、そこにある』」という真理に賭けるべきではないかと。
たしかにこれまでの人類の歴史を振り返るとき、あの「死後にも存在がある」という仮定によって打ち立てられた宗教や思想、道徳、科学は、平和で秩序ある社会や安全で快適な生活など、さまざまな恩恵を人類にもたらしてくれた。それらはたしかに人類発展のために必要かつすぐれた指導原理でもあったのだ。
しかしこの現代に至っては、それらの指導原理は、人間の画一化、自然や環境破壊などさまざまな災いをもたらすものと化している。ゆえにこれからの時代は、これまでに獲得したさまざまな恩恵を否定するのではなく、この恩恵を踏まえたうえで、さらに先へと進むために新しい指導原理を持つべきなのである。
それはこれまでのものとはまったく逆の真理、つまり、
「死後にはもはや何もなく、すべての経験の大前提とは生きていることであり、あるものすべてはわれわれの生命とともに、この瞬間を生きている」
という真理である。この真理にもとづいてこそ、これからの思想、道徳、そして科学は創造されていくべきなのである。
もし死をまったくのゼロ、絶対的な無、すなわちすべての経験の終わりであると仮定するならば、すべての経験の始まりとは生命、すなわち「生きていること」になるはずである。つまりいまわれわれの目の前に広がる世界、経験とはすべて「われわれが生きているからこそ、そこにある」といえるのだ。
「われわれが生きているからこそ、存在するものすべてはそこにある」
この仮定(真理)に従えば、いまあなたが手にしているこの本や目の前のテーブル、ペン、コップ、さらに窓の外に広がる風景や空、そしてその向こうにある宇宙さえも、すべては「あなたが生きているから、そこにある」ということになるのだ。何故ならば、あなたが死んでしまえば、それらの本やテーブル、風景、宇宙さえも、すべては消え去ってしまうからである。すべては無に帰してしまうのだ。否、無に帰してしまった、と思うことさえできないからである。
科学者が顕微鏡で覗いて観察している素粒子から、道端にころがる小さな石ころ、果ては宇宙に広がる巨大な銀河まで、すべては「あなたが生きているから、そこにある」のだ。死んでしまったら、これらの世界はおろか、こうしていま「存在とは何か」と議論しているわれわれの行為そのものさえも、消え去ってしまうのだから。
しかしこのような世界観を話すと、人は次のように反論するだろう。
「しかし私の隣にいた人が突然死んだとしても、この存在が消え去るわけではない。またこれまでにも無数の人間が死んできたが、そんな無数の死とはまったく無関係にこの世界は存在し続けたし、またこれからもあり続けるだろう。生きているから存在がある、存在するものすべては生きている、などという真理はまったく受け入れがたい」
たしかに存在は、誰かが死んでも消え去るわけではない。あなたのすぐ隣で誰かが死んだとしても、そこに死体が一つ現れただけであって、この存在には何の変化もない。
しかし、ここには重大な誤りがあるのだ。それは、われわれがいまここで「死」といっているのは、あくまでも「他者の死」であり、「ホンモノの死」すなわち「あなた自身の死」ではないということである。
この章のはじめでも話したように、「ホンモノの死」とは誰にも到達することのできないものである。しかし、この「ホンモノの死」に最も近い死といえば、それは「あなた自身の死」なのである。
あなたにとっていままでの死の経験とは、たとえば新聞やネットで有名人の死亡記事を見たときの驚きであったり、あるいは親戚や知人の葬儀に参列したことであったり、最も衝撃的なものは家族や友人の死に直面し、深く大きな悲しみに包まれたことであったに違いない。しかしそれらはどれもみな「ホンモノの死」ではない。それはあなたがまだ経験することのできる「ニセモノの死」なのである。それゆえ、それらの死をあなたがいくら目撃し、経験しようとも、この世界はあなたの目の前から消え去りはしない。なぜならそれらはあくまでも「ニセモノの死」であり「ホンモノの死」ではないからである。
しかしあなたが「ホンモノの死」に出会ったとき、すなわちあなたがあなた自身の死に出会ったとき、そのときこそこの世界は間違いなく消え去る。何故なら、あなたは自らが死んだと意識することさえできぬほど、完璧なるゼロ、絶対的な無に放り込まれてしまうからである。そこに世界はない。否、世界が消え去ったと思うことさえできない。あなたは自らの死を目撃することも、語ることも、あるいは悲しむことも悔しがることもできないのである。あなた自身の死は、これまであなたが人生で経験してきた死とはまるで違う。そしてこの「ホンモノの死」、すなわちあなた自身の死は、これからいつか必ずあなたのもとを訪れるのだ。しかしそれがいつ訪れるのかは、誰にもわからないのである。
たしかにあなたが死んだあとも、この世界はあり続けるだろう。あなたが死んだあとも地球は何の変化もなく回転し続け、太陽は東から昇り、小鳥はさえずり、人は学校や会社へとせわしく通い続けるだろう。そしてあなたがこの世界で行ってきたことは、家族や友人、恋人など、あなたの死を悲しんでくれた人たちの心の中に、思い出として残り続けるかもしれない。
しかし、それでも「あなたにとっての世界」はすべて消えてなくなるのである。あなたの死を悲しんでくれる家族や友人、恋人のことを思うことさえできぬほどの「完璧なるゼロ」に放り込まれてしまうのである。つまりあなたは、このいま目にしている世界のさまざまな事柄、いま手にしている本も、テーブルも、窓の外の風景も、空や宇宙の星々も、またいま本を読みながらあれこれ思考しているこの瞬間の意識も、それらすべてを、あなたは死とともに一気に失うのだ。失った、という意識さえも失うのである。
そしてあなたが、たとえ自ら死んだあとの世界を想像したとしても、つまり死んだあとの家族や会社のことを心配したりしたとしても、けっきょくそれは「生きている間に行われた想像」であり、それらもしょせんは経験の一部分としてあなたの死とともに一挙に消されてしまうのである。
ゆえに、いまあなたが目にしたり感じたり味わったりしている世界のすべて、経験しているものすべてはやはり、
「あなたが生きているからこそ、そこにある」
といってもよいのである。あなたがいま手にしているこの本も、じつはあなたとともにこの瞬間を「生きている」のである。何故ならば、あなたの心臓が脈打ち、生きているということがなければ、この本さえもいまここには存在しないからである。つまりあなたは、あなた自身の生命をこの本にも脈々とかよわせ、この本とともにこの瞬間を「生きている」のである。
われわれ人類はいま、この地球上の生命や自然に対する未曾有の危機を目前にして、大いなる岐路に立たされている。それは、これまでの賭け、すなわち「死後も経験は存続する」という真理に賭けてきたことは正しかったのか、ということである。むしろいまは、「死によってすべての経験は無くなるのであり、ゆえにこの世界とは『われわれが生きているからこそ、そこにある』」という真理に賭けるべきではないかと。
たしかにこれまでの人類の歴史を振り返るとき、あの「死後にも存在がある」という仮定によって打ち立てられた宗教や思想、道徳、科学は、平和で秩序ある社会や安全で快適な生活など、さまざまな恩恵を人類にもたらしてくれた。それらはたしかに人類発展のために必要かつすぐれた指導原理でもあったのだ。
しかしこの現代に至っては、それらの指導原理は、人間の画一化、自然や環境破壊などさまざまな災いをもたらすものと化している。ゆえにこれからの時代は、これまでに獲得したさまざまな恩恵を否定するのではなく、この恩恵を踏まえたうえで、さらに先へと進むために新しい指導原理を持つべきなのである。
それはこれまでのものとはまったく逆の真理、つまり、
「死後にはもはや何もなく、すべての経験の大前提とは生きていることであり、あるものすべてはわれわれの生命とともに、この瞬間を生きている」
という真理である。この真理にもとづいてこそ、これからの思想、道徳、そして科学は創造されていくべきなのである。
もし死をまったくのゼロ、絶対的な無、すなわちすべての経験の終わりであると仮定するならば、すべての経験の始まりとは生命、すなわち「生きていること」になるはずである。つまりいまわれわれの目の前に広がる世界、経験とはすべて「われわれが生きているからこそ、そこにある」といえるのだ。
「われわれが生きているからこそ、存在するものすべてはそこにある」
この仮定(真理)に従えば、いまあなたが手にしているこの本や目の前のテーブル、ペン、コップ、さらに窓の外に広がる風景や空、そしてその向こうにある宇宙さえも、すべては「あなたが生きているから、そこにある」ということになるのだ。何故ならば、あなたが死んでしまえば、それらの本やテーブル、風景、宇宙さえも、すべては消え去ってしまうからである。すべては無に帰してしまうのだ。否、無に帰してしまった、と思うことさえできないからである。
科学者が顕微鏡で覗いて観察している素粒子から、道端にころがる小さな石ころ、果ては宇宙に広がる巨大な銀河まで、すべては「あなたが生きているから、そこにある」のだ。死んでしまったら、これらの世界はおろか、こうしていま「存在とは何か」と議論しているわれわれの行為そのものさえも、消え去ってしまうのだから。
しかしこのような世界観を話すと、人は次のように反論するだろう。
「しかし私の隣にいた人が突然死んだとしても、この存在が消え去るわけではない。またこれまでにも無数の人間が死んできたが、そんな無数の死とはまったく無関係にこの世界は存在し続けたし、またこれからもあり続けるだろう。生きているから存在がある、存在するものすべては生きている、などという真理はまったく受け入れがたい」
たしかに存在は、誰かが死んでも消え去るわけではない。あなたのすぐ隣で誰かが死んだとしても、そこに死体が一つ現れただけであって、この存在には何の変化もない。
しかし、ここには重大な誤りがあるのだ。それは、われわれがいまここで「死」といっているのは、あくまでも「他者の死」であり、「ホンモノの死」すなわち「あなた自身の死」ではないということである。
この章のはじめでも話したように、「ホンモノの死」とは誰にも到達することのできないものである。しかし、この「ホンモノの死」に最も近い死といえば、それは「あなた自身の死」なのである。
あなたにとっていままでの死の経験とは、たとえば新聞やネットで有名人の死亡記事を見たときの驚きであったり、あるいは親戚や知人の葬儀に参列したことであったり、最も衝撃的なものは家族や友人の死に直面し、深く大きな悲しみに包まれたことであったに違いない。しかしそれらはどれもみな「ホンモノの死」ではない。それはあなたがまだ経験することのできる「ニセモノの死」なのである。それゆえ、それらの死をあなたがいくら目撃し、経験しようとも、この世界はあなたの目の前から消え去りはしない。なぜならそれらはあくまでも「ニセモノの死」であり「ホンモノの死」ではないからである。
しかしあなたが「ホンモノの死」に出会ったとき、すなわちあなたがあなた自身の死に出会ったとき、そのときこそこの世界は間違いなく消え去る。何故なら、あなたは自らが死んだと意識することさえできぬほど、完璧なるゼロ、絶対的な無に放り込まれてしまうからである。そこに世界はない。否、世界が消え去ったと思うことさえできない。あなたは自らの死を目撃することも、語ることも、あるいは悲しむことも悔しがることもできないのである。あなた自身の死は、これまであなたが人生で経験してきた死とはまるで違う。そしてこの「ホンモノの死」、すなわちあなた自身の死は、これからいつか必ずあなたのもとを訪れるのだ。しかしそれがいつ訪れるのかは、誰にもわからないのである。
たしかにあなたが死んだあとも、この世界はあり続けるだろう。あなたが死んだあとも地球は何の変化もなく回転し続け、太陽は東から昇り、小鳥はさえずり、人は学校や会社へとせわしく通い続けるだろう。そしてあなたがこの世界で行ってきたことは、家族や友人、恋人など、あなたの死を悲しんでくれた人たちの心の中に、思い出として残り続けるかもしれない。
しかし、それでも「あなたにとっての世界」はすべて消えてなくなるのである。あなたの死を悲しんでくれる家族や友人、恋人のことを思うことさえできぬほどの「完璧なるゼロ」に放り込まれてしまうのである。つまりあなたは、このいま目にしている世界のさまざまな事柄、いま手にしている本も、テーブルも、窓の外の風景も、空や宇宙の星々も、またいま本を読みながらあれこれ思考しているこの瞬間の意識も、それらすべてを、あなたは死とともに一気に失うのだ。失った、という意識さえも失うのである。
そしてあなたが、たとえ自ら死んだあとの世界を想像したとしても、つまり死んだあとの家族や会社のことを心配したりしたとしても、けっきょくそれは「生きている間に行われた想像」であり、それらもしょせんは経験の一部分としてあなたの死とともに一挙に消されてしまうのである。
ゆえに、いまあなたが目にしたり感じたり味わったりしている世界のすべて、経験しているものすべてはやはり、
「あなたが生きているからこそ、そこにある」
といってもよいのである。あなたがいま手にしているこの本も、じつはあなたとともにこの瞬間を「生きている」のである。何故ならば、あなたの心臓が脈打ち、生きているということがなければ、この本さえもいまここには存在しないからである。つまりあなたは、あなた自身の生命をこの本にも脈々とかよわせ、この本とともにこの瞬間を「生きている」のである。
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日本人は宗教なくして道徳を身につけてきた
『哲学のメガネ』より 経験のさらに前提にあるものを探るのが哲学である 存在というもう一つのパラドクス 道徳が良心となるために宗教があった
われわれ日本人は、この宗教を前提とする道徳というものに対しておそらく大多数の人がピンとこないはずである。何故ならば、日本人はこれまで「宗教なくして道徳を身につけてきた」からである。そのことに関して、次のエピソードを紹介しよう。それはかつて五千円札の肖像にもなった思想家・新渡戸稲造が百年以上前に書いた『武士道』の序文にある。約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過したが、或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしやるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。 (新渡戸稲造『武士道』矢内原忠雄訳 岩波文庫)
この西洋の法学者は、日本に宗教教育がないと聞いて、「では、道徳はどのようにして教えるのですか」と驚いたのである。つまり、西洋では宗教と道徳は不可分なのである。先ほど語ったように、西洋では道徳を教え込むために、宗教における彼岸思想、すなわち死後の世界には天国と地獄があって、善なる者は天国へ、悪なる者は地獄へ行くのだから、この世ではできる限り善い行いをしなさいよ、という仕組みを教えて道徳を身につけさせていたのだ。では西洋のように宗教教育とそれに伴う道徳を厳しく教え込むことがなかった日本において、いったい道徳はどのように身につけられるのか。この質問に対して新渡戸はその場で即答できなかった。即答できなかったというのは、つまりそれだけ「道徳があまりにも自然に身についていた」からである。誰かから強制的に、身につけさせられたものならば、おそらく彼は即答できたであろう。しかし彼にとって道徳はきわめて自然に、知らず知らずのうちに身についてしまっていたのである。そしてそれが「武士道」だというのだ。
ここで注意してもらいたいのは、この武士道とはきわめて広義なものであるということである。そうでなければ、では武士道を学ばなかった日本人はすべて不道徳な人間だったのか、ということになってしまうからである。だが実際には江戸時代から明治にかけて、武士から商人、百姓まであらゆる階級の人々がじつに礼儀正しく、道徳精神に長けていたというのは、明治維新前後に日本を訪れた多くの外国人たちが目にした光景であり、また驚嘆した事実であった。つまり武士道とはすべての日本人にとっての道徳形成の基礎となるものだったのである。
ではここで言う武士道による道徳とは何か。それは「自尊心」ということである。
『菊と刀』という日本論を書いたルース・ベネディクトは西洋と日本の違いを、「罪の文化」と「恥の文化」の違いとした。つまり西洋においてはキリスト教によって、人間とはもともと生まれついたときから罪深い存在であり、その罪を償い死後天国へと到るためにこの世で道徳的でなければならないという考え方であった。それが罪の文化であった。しかし日本においては人間が生まれながらにして罪深い存在であるといった考え方はI切ない。そのような宗教的、彼岸的なものによる強制などはなく、道徳とは人間が本来身につけるべき当然の資質であり、それを体現していないものはこの世の中で恥ずべき人間であるとされたのである。すなわち道徳的であることの価値を自尊心に訴えたのである。これが恥の文化であり、そしてそれが武士道でもあったのだ。
つまり西洋においてはキリスト教という強力な宗教の教えのもと、死後の世界での罰を逃れるために道徳を守り、やがてそれが内面化されて良心という形で身につけられていったのだが、日本においてはそのような宗教的な動機は一切なく、最初から道徳は内面化されていたのである。すなわち、神なしでも道徳は価値ある人間の身につけるべきものとして、自ずと備わるべきものだったのである。そしてこの道徳を守らない人間は恥ずべき人間とされたのだ。つまり日本人は宗教なくして道徳を学んできたのである。善をなし、悪を退けるということは、人として当たり前のことであり、それを身につけることこそが自らの名誉であり、人格の完成であった。ここには天国の報酬も地獄の懲罰もない。つまり西洋人たちが宗教の力を借りながら長い歳月をかけて、その内面化に漕ぎつけた良心を、日本人は宗教=彼岸思想という強制力に頼ることなく身につけてきたのである。
だが罪にしても恥にしても、これらの道徳の身につけ方はいずれも功利的である。それは自らの保身のため、あるいは名誉のためという動機がその背後にある。しかし道徳とは本当にそれだけのものなのだろうか。けっきょくは利己主義の延長線上にあるものでしかないのだろうか。
だがわれわれは、道徳の根底にあるもっと奥深いものに気づくべきである。それは人間の、否、生命の本能とでもいうべきものなのだ。
たしかに、もともと生命は利己的なものである。何故ならば、利己的でなければ生きてはいけないからである。生命の本質とはその徹底的な利己性、自己中心性にある。自己の生命活動を維持するためには、酸素や食物などをつねに貪欲にわが身に取り込んでいかなければならない。そこに他の生命への気遣いなど入り込む余地はない。たとえば生まれたばかりの赤ん坊が隣の子に母乳を譲っていたらどうであろう。その赤ん坊はやがて餓死してしまうだろう。しかし生まれたばかりの赤ん坊に道徳などはない。自己が生きるために必死である。それが生命の本質である。自己であろうとひたすら思い、行動すること、それが生命の本質である。
しかし、かたやこの利己的である生命にも、驚くほどの利他性を発揮する場面がある。それが子育ての場面である。たとえば親鳥が雛に餌を与えるとき、親鳥は苦労して捕まえた虫=餌をその嘴にくわえて雛たちの待つ巣に帰ってくる。このとき、親鳥はたとえ自分がどんなに空腹であっても、その口にくわえた餌を自ら食べてしまうことはない。雛に分け与えるまで、大切に持って帰ってくる。そして疲れ果てながらも雛たちの口に餌を入れてやるのだ。これは驚くべきことである。ここには死後の最後の審判を語る宗教もなく、自らの名誉、自尊心などという観念もない。この親鳥は自分以外の生命のために、餌をせっせと運ぶ。自分が空腹で、その口にくわえた餌を呑み込んでしまいたくとも、決してそのようなことはしない。巣で待つ雛たちのために我慢する。すなわち、自分以外の生命のために自己を犠牲にする。これこそが真の道徳でなくして何であろう。そこには理性も宗教も名誉もない。この本能の赴くままに生きているとしか思えない生き物たちが、その自己の最も強烈な欲望、食欲というものを抑えつけて、他者のために生きるのである。これこそ最も純粋な道徳ではないのだろうか。つまり親が子を守り育てる、この「類的本能」にもとづく行為こそが、すべての道徳の基礎となるべきではないのだろうか。
すなわち類的本能こそ、道徳の根源であり、共同体の基礎なのである。そしてこの類的本能は万民共通である。たとえその人間がいずれかの宗教、国家、民族に属していようとも、必ず誰かの子供であり、また親でもある。この類的関係なくして、ただの一人の人間も存在し得ない。すなわち道徳とは、この類的関係=家族というものにこそ、その基礎をおくべきなのである。
われわれ日本人は、この宗教を前提とする道徳というものに対しておそらく大多数の人がピンとこないはずである。何故ならば、日本人はこれまで「宗教なくして道徳を身につけてきた」からである。そのことに関して、次のエピソードを紹介しよう。それはかつて五千円札の肖像にもなった思想家・新渡戸稲造が百年以上前に書いた『武士道』の序文にある。約十年前、私はベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過したが、或る日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしやるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。当時この質問は私をまごつかせた。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹きこんだものは武士道であることをようやく見いだしたのである。 (新渡戸稲造『武士道』矢内原忠雄訳 岩波文庫)
この西洋の法学者は、日本に宗教教育がないと聞いて、「では、道徳はどのようにして教えるのですか」と驚いたのである。つまり、西洋では宗教と道徳は不可分なのである。先ほど語ったように、西洋では道徳を教え込むために、宗教における彼岸思想、すなわち死後の世界には天国と地獄があって、善なる者は天国へ、悪なる者は地獄へ行くのだから、この世ではできる限り善い行いをしなさいよ、という仕組みを教えて道徳を身につけさせていたのだ。では西洋のように宗教教育とそれに伴う道徳を厳しく教え込むことがなかった日本において、いったい道徳はどのように身につけられるのか。この質問に対して新渡戸はその場で即答できなかった。即答できなかったというのは、つまりそれだけ「道徳があまりにも自然に身についていた」からである。誰かから強制的に、身につけさせられたものならば、おそらく彼は即答できたであろう。しかし彼にとって道徳はきわめて自然に、知らず知らずのうちに身についてしまっていたのである。そしてそれが「武士道」だというのだ。
ここで注意してもらいたいのは、この武士道とはきわめて広義なものであるということである。そうでなければ、では武士道を学ばなかった日本人はすべて不道徳な人間だったのか、ということになってしまうからである。だが実際には江戸時代から明治にかけて、武士から商人、百姓まであらゆる階級の人々がじつに礼儀正しく、道徳精神に長けていたというのは、明治維新前後に日本を訪れた多くの外国人たちが目にした光景であり、また驚嘆した事実であった。つまり武士道とはすべての日本人にとっての道徳形成の基礎となるものだったのである。
ではここで言う武士道による道徳とは何か。それは「自尊心」ということである。
『菊と刀』という日本論を書いたルース・ベネディクトは西洋と日本の違いを、「罪の文化」と「恥の文化」の違いとした。つまり西洋においてはキリスト教によって、人間とはもともと生まれついたときから罪深い存在であり、その罪を償い死後天国へと到るためにこの世で道徳的でなければならないという考え方であった。それが罪の文化であった。しかし日本においては人間が生まれながらにして罪深い存在であるといった考え方はI切ない。そのような宗教的、彼岸的なものによる強制などはなく、道徳とは人間が本来身につけるべき当然の資質であり、それを体現していないものはこの世の中で恥ずべき人間であるとされたのである。すなわち道徳的であることの価値を自尊心に訴えたのである。これが恥の文化であり、そしてそれが武士道でもあったのだ。
つまり西洋においてはキリスト教という強力な宗教の教えのもと、死後の世界での罰を逃れるために道徳を守り、やがてそれが内面化されて良心という形で身につけられていったのだが、日本においてはそのような宗教的な動機は一切なく、最初から道徳は内面化されていたのである。すなわち、神なしでも道徳は価値ある人間の身につけるべきものとして、自ずと備わるべきものだったのである。そしてこの道徳を守らない人間は恥ずべき人間とされたのだ。つまり日本人は宗教なくして道徳を学んできたのである。善をなし、悪を退けるということは、人として当たり前のことであり、それを身につけることこそが自らの名誉であり、人格の完成であった。ここには天国の報酬も地獄の懲罰もない。つまり西洋人たちが宗教の力を借りながら長い歳月をかけて、その内面化に漕ぎつけた良心を、日本人は宗教=彼岸思想という強制力に頼ることなく身につけてきたのである。
だが罪にしても恥にしても、これらの道徳の身につけ方はいずれも功利的である。それは自らの保身のため、あるいは名誉のためという動機がその背後にある。しかし道徳とは本当にそれだけのものなのだろうか。けっきょくは利己主義の延長線上にあるものでしかないのだろうか。
だがわれわれは、道徳の根底にあるもっと奥深いものに気づくべきである。それは人間の、否、生命の本能とでもいうべきものなのだ。
たしかに、もともと生命は利己的なものである。何故ならば、利己的でなければ生きてはいけないからである。生命の本質とはその徹底的な利己性、自己中心性にある。自己の生命活動を維持するためには、酸素や食物などをつねに貪欲にわが身に取り込んでいかなければならない。そこに他の生命への気遣いなど入り込む余地はない。たとえば生まれたばかりの赤ん坊が隣の子に母乳を譲っていたらどうであろう。その赤ん坊はやがて餓死してしまうだろう。しかし生まれたばかりの赤ん坊に道徳などはない。自己が生きるために必死である。それが生命の本質である。自己であろうとひたすら思い、行動すること、それが生命の本質である。
しかし、かたやこの利己的である生命にも、驚くほどの利他性を発揮する場面がある。それが子育ての場面である。たとえば親鳥が雛に餌を与えるとき、親鳥は苦労して捕まえた虫=餌をその嘴にくわえて雛たちの待つ巣に帰ってくる。このとき、親鳥はたとえ自分がどんなに空腹であっても、その口にくわえた餌を自ら食べてしまうことはない。雛に分け与えるまで、大切に持って帰ってくる。そして疲れ果てながらも雛たちの口に餌を入れてやるのだ。これは驚くべきことである。ここには死後の最後の審判を語る宗教もなく、自らの名誉、自尊心などという観念もない。この親鳥は自分以外の生命のために、餌をせっせと運ぶ。自分が空腹で、その口にくわえた餌を呑み込んでしまいたくとも、決してそのようなことはしない。巣で待つ雛たちのために我慢する。すなわち、自分以外の生命のために自己を犠牲にする。これこそが真の道徳でなくして何であろう。そこには理性も宗教も名誉もない。この本能の赴くままに生きているとしか思えない生き物たちが、その自己の最も強烈な欲望、食欲というものを抑えつけて、他者のために生きるのである。これこそ最も純粋な道徳ではないのだろうか。つまり親が子を守り育てる、この「類的本能」にもとづく行為こそが、すべての道徳の基礎となるべきではないのだろうか。
すなわち類的本能こそ、道徳の根源であり、共同体の基礎なのである。そしてこの類的本能は万民共通である。たとえその人間がいずれかの宗教、国家、民族に属していようとも、必ず誰かの子供であり、また親でもある。この類的関係なくして、ただの一人の人間も存在し得ない。すなわち道徳とは、この類的関係=家族というものにこそ、その基礎をおくべきなのである。
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アブラムの旅立ち 創世記
『旧約聖書の世界』より 創世記
アブラムの旅立ち
アブラムがハランの街にいた時のこと。
神がアブラムに言った。
生まれ育ったこの地を出よ、父のもとを離れ、そして私が示すところまで行け。
そこで私はお前を、大いなる民の長とし、その名を護り高めよう。
アブラムは神の言葉に従い、妻のサライ、甥のロト
そして持てる限りの財を携え旅立った。
アブラムの七十五歳のことだった。
こうしてハランを出て、カナンに向けて旅立った一行が
カナン人の地シケムの、モレの樫の木のあるところまで来た時
神がアブラムに言った。
この地を、お前と、お前の子孫に与えよう。
アブラムはそこに天幕を張り、自分に現れた神を讃えて祭壇をつくった。
神との契約
さて、その頃のアブラムの最も大きな悩みといえば
妻サライとの間に後継ぎが生まれないことだった。
神はたびたびアブラムに現れ、彼を護ることを
また夜空の星の数ほどの彼の子孫と
ナイルからユーフラテスに至る世界を与えることを約束し
さらにその約束に対して、一族の男子のすべてに割礼を施すことを命じた。
彼もそれに従い信じたが、すでにアブラムは九十九歳であり
もはや自分の世継ぎを得ることはなかば諦めていた。
そんな夏の暑い昼下がり、天幕の前に坐っていたアブラムが目を上げると
三人の神の使いが立っており
駆け寄りひざまづくアブラムに天使の一人が言った。
来年の今ごろ、あなたの妻は、一人の男子を生むでしょう。
ソドムとゴモラ
神の使いは、それから、ソドムの街を見下ろす丘の上に立つと
これから密かに、悪評高い不徳の街
ソドムとゴモラの実情を、自ら偵察に行くことを告げ
もし風評通りなら、街を滅ぼすつもりであることを告げた。
ソドムには、甥のロトの家族もおり
うろたえたアブラハムは、必死でとりなしを試みた。
悪い者がいるからといって、それらと共に
あるいはいるかもしれない善い者をも滅ぼしてしまって良いものでしょうか。
神は進言を聞き入れて言った。
もし正しい者が五十人いれば、彼らのために街を赦そう。
それでは、もしそれが四十人なら、いや三十人なら、とすがるアブラハムに
神の使いはとうとう、それでは、もし十人いれば、と言って街に向かった。
アブラハムとイサク
その後アブラハムは、アビメレク王と、たがいに不可侵の誓いを立て
長いあいだこの地に留まり、老いてようやく得た息子イサクも
つつがなく成長していった。
そんなある日、アブラハム、アブラハムと
自分の名を呼ぶ神の声を聞いたアブラハムが
はい、主よ私はここに、と応えると
神はいきなりアブラハムに
お前の愛する一人息子イサクを、モリアの地に連れて行け
そしてそこで山に登り、イサクを焼き尽くして私に捧げよ、と命じた。
アブラハムはとにもかくにも言われた通り
いけにえを焼き尽くして神に捧げるための薪をロバに乗せ
イサクを連れ、夜明け前に、神が命じたモリアの地に向かった。
イサクの嫁リベカ
アブラハムは、サラが亡くなった後も多くの日々を重ねて生きたが
人が人である限り、誰も避けることのできない旅路の末に
アブラハムもまた次第に老いと共に近づいていった。
その頃アブラハムは、長年彼に付き従ってきた忠実な老いた僕に
息子イサクの嫁を、遠く、アブラハムの一族が旅立ってきた故郷ハラン
ニつの河の間の豊かなメソポタミアのアラム・ナハライム地方の
兄弟ナホルの住む街から探し求めてくるように言った。
老僕は十頭の駱駝と
アブラハムの財産の中から選りすぐった高価な贈り物を携え
主人の後継ぎであるイサクの嫁となるべき娘を求めて旅立った。
老僕は街に着くと、夕暮れ時、街の外れの井戸のそばに駱駝を休ませ
天の主であるアブラハムの神に祈った。
アブラムの旅立ち
アブラムがハランの街にいた時のこと。
神がアブラムに言った。
生まれ育ったこの地を出よ、父のもとを離れ、そして私が示すところまで行け。
そこで私はお前を、大いなる民の長とし、その名を護り高めよう。
アブラムは神の言葉に従い、妻のサライ、甥のロト
そして持てる限りの財を携え旅立った。
アブラムの七十五歳のことだった。
こうしてハランを出て、カナンに向けて旅立った一行が
カナン人の地シケムの、モレの樫の木のあるところまで来た時
神がアブラムに言った。
この地を、お前と、お前の子孫に与えよう。
アブラムはそこに天幕を張り、自分に現れた神を讃えて祭壇をつくった。
神との契約
さて、その頃のアブラムの最も大きな悩みといえば
妻サライとの間に後継ぎが生まれないことだった。
神はたびたびアブラムに現れ、彼を護ることを
また夜空の星の数ほどの彼の子孫と
ナイルからユーフラテスに至る世界を与えることを約束し
さらにその約束に対して、一族の男子のすべてに割礼を施すことを命じた。
彼もそれに従い信じたが、すでにアブラムは九十九歳であり
もはや自分の世継ぎを得ることはなかば諦めていた。
そんな夏の暑い昼下がり、天幕の前に坐っていたアブラムが目を上げると
三人の神の使いが立っており
駆け寄りひざまづくアブラムに天使の一人が言った。
来年の今ごろ、あなたの妻は、一人の男子を生むでしょう。
ソドムとゴモラ
神の使いは、それから、ソドムの街を見下ろす丘の上に立つと
これから密かに、悪評高い不徳の街
ソドムとゴモラの実情を、自ら偵察に行くことを告げ
もし風評通りなら、街を滅ぼすつもりであることを告げた。
ソドムには、甥のロトの家族もおり
うろたえたアブラハムは、必死でとりなしを試みた。
悪い者がいるからといって、それらと共に
あるいはいるかもしれない善い者をも滅ぼしてしまって良いものでしょうか。
神は進言を聞き入れて言った。
もし正しい者が五十人いれば、彼らのために街を赦そう。
それでは、もしそれが四十人なら、いや三十人なら、とすがるアブラハムに
神の使いはとうとう、それでは、もし十人いれば、と言って街に向かった。
アブラハムとイサク
その後アブラハムは、アビメレク王と、たがいに不可侵の誓いを立て
長いあいだこの地に留まり、老いてようやく得た息子イサクも
つつがなく成長していった。
そんなある日、アブラハム、アブラハムと
自分の名を呼ぶ神の声を聞いたアブラハムが
はい、主よ私はここに、と応えると
神はいきなりアブラハムに
お前の愛する一人息子イサクを、モリアの地に連れて行け
そしてそこで山に登り、イサクを焼き尽くして私に捧げよ、と命じた。
アブラハムはとにもかくにも言われた通り
いけにえを焼き尽くして神に捧げるための薪をロバに乗せ
イサクを連れ、夜明け前に、神が命じたモリアの地に向かった。
イサクの嫁リベカ
アブラハムは、サラが亡くなった後も多くの日々を重ねて生きたが
人が人である限り、誰も避けることのできない旅路の末に
アブラハムもまた次第に老いと共に近づいていった。
その頃アブラハムは、長年彼に付き従ってきた忠実な老いた僕に
息子イサクの嫁を、遠く、アブラハムの一族が旅立ってきた故郷ハラン
ニつの河の間の豊かなメソポタミアのアラム・ナハライム地方の
兄弟ナホルの住む街から探し求めてくるように言った。
老僕は十頭の駱駝と
アブラハムの財産の中から選りすぐった高価な贈り物を携え
主人の後継ぎであるイサクの嫁となるべき娘を求めて旅立った。
老僕は街に着くと、夕暮れ時、街の外れの井戸のそばに駱駝を休ませ
天の主であるアブラハムの神に祈った。
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