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<インターネット>の次に来るもの クエスチョニング(質問していく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より ⇒ 未唯空間を作られた暁には、私は問わない。問われたことには応える。そう決めている。

われわれは、すばらしい回答を与えることが、やっと上手くなってきたところだ。シリは自然な英語で質問すれば音声で答えを返してくれるアイフォンの音声アシスタントだ。私はいつも使っている。天候について知りたければ、「明日の天気はどうなる?」と質問する。アンドロイドを使っているなら、自分の予定についてグーグルナウに音声で訊くことができる。IBMのワトソンは、事実に関する質問のほとんどにAIがすぐ正確に答えられることを証明した。こうした答えをより簡単に見つけ出せるようになった理由の一つは、過去に正解した質問が他の質問の見込みを高めているからだ。同時に、過去に正解した答えは次の答えをますます考えやすくし、回答集全体の価値を上げているのだ。検索エンジンに質問をするたび、そして検索エンジンが正しい答えを返してくるたびに、このプロセスの頭脳が洗練され、将来の質問に対する検索エンジンの価値が上がっていく。われわれがさらに多くの本や映画やloTをコグニファイしていけば、答えはどこからでも得られるようになる。1日に何百もの質問をする時代にわれわれは向かっているのだ。ほとんどの質問は自分や友人に関するものだろう。「ジェニーはどこにいる?」「次のバスは何時に来る?」「この手のスナックは美味しいかな?」。こうした回答の製造コストは微々たるものになるだろう。「答えをちょうだい」という検索は、もう先進国の贅沢品ではなくなる。それは基本的で普遍的なコモディティーになるだろう。

クラウドに対して普段の会話の調子でどんな質問でもできる世界がすぐにでも来るだろう。その質問に対して回答がすでにあるなら、マシンがそれを説明してくれるだろう。1974年の新人賞は誰? なぜ空は青いの? 宇宙は永遠に膨張し続けるの? 時間が経てば、クラウドやクラウドのクラウド、マシンやAIが、何が分かっていて何がそうでないのかを学習していくだろう。当初は、われわれと対話することで曖昧な点を明確にしていくだろう(それは人間が質問に答えるときも同じだ)。だが回答マシンはわれわれと違って、もし回答が存在するなら、それがいかに深く、よく知られていない、複雑な事実関係の知識でも、惜しげもなく披露してくれる。

しかし、信頼できる回答がすぐに返ってくることが、われわれを満足させてくれることにはならない。回答が潤沢にあれば、ひたすら新たな質問が増えるだけなのだ! 私の経験では、質問するのが簡単であればあるほど、答えはより有用で、より多くの質問が生まれてくる。回答マシンは無限に答えを増やしていく一方で、われわれが質問するための時間はとても限られている。良い質問を生み出すことと、答えを理解することの労力の間には非対称性がある。いまや答えが安くなり、質問はもっと価値を持つという逆転現象が起きているのだ。パブロ・ピカソはすでに1964年にこの逆転現象を予想していて、作家のウィリアム・ファイフィールドに対して、「コンピューターは役に立たない。ただ答えを返してくるだけだ」と言っている。

そこでついに、超スマートな回答がどこにでもある世界においては、完璧な質問こそが求められるようになる。どうすれば完璧な質問がなされるだろう? 皮肉なことに、最良の質問とは答えに行き着くものではない。というのも答えはどんどんと安く豊富になっていくからだ。良い質問とは、それ一つで100万個の良い答えに匹敵するものだ。

それは例えばアルバート・アインシュタインが少年のように自分に尋ねた質問だ。「もし光線の上に乗って飛んだら何が見えるだろう?」この質問が相対性理論や原子力時代を導き出した。

 良い質問とは、正しい答えを求めるものではない。

 良い質問とは、すぐには答えが見つからない。

 良い質問とは、現在の答えに挑むものだ。

 良い質問とは、ひとたび聞くとすぐに答えが知りたくなるが、その質問を聞くまではそれについて考えてもみなかったようなものだ。

 良い質問とは、思考の新しい領域を創り出すものだ。

 良い質問とは、その答えの枠組み自体を変えてしまうものだ。

 良い質問とは、科学やテクノロジーやアートや政治やビジネスにおけるイノベーションの種になるものだ。

 良い質問とは、探針であり、「もし~だったら」というシナリオを調べるものだ。

 良い質問とは、ばかげたものでも答えが明白なものでもなく、知られていることと知られていないことの狭間にあるものだ。

 良い質問とは、予想もしない質問だ。

 良い質問とは、教養のある人の証だ。

 良い質問とは、さらに他の良い質問をたくさん生み出すものだ。

 良い質問とは、マシンが最後までできないかもしれないものだ。

 良い質問とは、人間だからこそできるものだ。

われわれが自分のために、質問して答えるマシンを作るとはどういうことなのだろう?

社会は厳格な階層構造から分散化した流動性へと向かっている。それは名詞から動詞に、手に触れられるプロダクトから触れられない〈なっていく〉ものになっていく。固定されたメディアからぐちゃぐちゃにリミックスされたメディアになっていく。保存から流れに変わる。価値を生み出す原動力は、「答えの確かさ」から「質問の不確かさ」へと移行している。事実や秩序、答えはこれからも常に必要だし有用だ。それらが消え去ることはないし、実際には微生物やコンクリートのようにわれわれの文明の多くを支え続けるだろう。しかしわれわれの生活やテクノロジーにおいて最も大切な側面--最もダイナミックで最も価値があり、最も生産的な面は新たなフロンティアにあり、そこでは不確かさやカオス、流動性や質問の数々が広がっているのだ。答えを生み出すテクノロジーはずっと必要不可欠なままであり、おかげで答えはどこにでもあり、すぐに得られ、信頼できて、ほぼ無料になる。しかし、質問を生み出すことを助けるテクノロジーは、もっと価値のあるものになる。質問を生み出すものは、われわれ人類が絶え間なく探検する新しい領域、新しい産業、新しいブランドや新しい可能性、新しい大陸を生み出す原動力なのだときちんと理解されるようになるだろう。質問していくことは単純に言って、答えることよりも力強いのだ。
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<インターネット>の次に来るもの フィルタリング(選別していく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より ⇒ 二万冊の本から未唯宇宙を作ったのは、私というフィルタリングを通して、先を見るためであった

人間の表現行為に対する読者や観客やリスナーや参加者になるという点で、いまほど良い時代はなかった。わくわくするほど大量の新しい作品が毎年創造されている。12ヵ月ごとに、800万の楽曲、200万冊の本、1万6000本の映画、300億のブログ投稿、1820億のツイート、40万のプロダクトが新たに生み出されている。いまや本当に簡単に、手首をちょっとひねる程度の動作で誰もが「万物のライブラリー」を手元に呼び出すことができる。興味があれば、ギリシャ時代に貴族が読んでいたよりもっと多くの書物を、古代ギリシャ語で読むこともできる。それは古代中国の巻物でも同じで、かつて皇帝が読んでいた以上のものが家にいながらにして手に入る。またルネッサンス期の版画やモーツァルトの協奏曲の生演奏など、当時はなかなか鑑賞できなかったものにもいまでは簡単にアクセスが可能だ。現在のメディアはどの点から見ても、これまでで最も輝かしく充実している。

ごく最近の調査によれば、この星で録音された曲の数は1億8000万にもなるという。通常のMP3で圧縮した場合、人類の録音した音楽のデータ総量は20テラバイトのハードディスクに収容できてしまう。現在、20テラバイトの(ードディスクは2000ドルで買える。5年も経てば、その値段は60ドルになって、ポケットに入るサイズになるだろう。すぐにでも、あなたは全人類の音楽すべてをズボンのポケットに押し込める。一方で、ライブラリーがそこまで小さくなるなら、わざわざ持ち歩かずにクラウドに入れて、オンデマンドでストリーミング配信したらどうだろう。

音楽で起こったことは、デジタル化できるものならすべてに起こる。われわれが生きているうちに、すべての本、すべてのゲーム、すべての映画、すべての印刷された文書は、同一のスクリーンや同一のクラウドを通して365日いつでも利用できるようになるだろう。そして毎日のようにこのライブラリーは膨張している。われわれが対峙する可能性の数は、人口の増加とともに増大し、続いてテクノロジーが創造活動を容易にしたことでさらに拡大してきた。現在の世界の人口は私が生まれたとき(1952年)と比べて3倍になっている。これから10年のうちにまた10億人が増えるだろう。私より後に生まれた50億から60億人は、現代の発展によって余剰や余暇を手にして解放されたことで、新しいアイデアや芸術やプロダクトを創造してきた。いまなら簡単な映像を作るのは、10年前と比べて10倍簡単になっている。100年前と比べたら、小さな機械部品で何かを作ることは100倍は簡単だ。1000年前と比べて、本を書いて出版することは、1000倍簡単になっている。

その結果、無限の選択肢が生まれている。どんな分野でも、数えきれないほどの選択肢が山積みになっている。馬車用の鞭を作るといった仕事が廃れる一方で、選択できる職業は拡大の一途をたどっている。休みに旅行に行ける場所、食事に行く場所、食べ物の種類ですら毎年のように積み上がっていく。投資機会も爆発的に増えている。進むべき方向、勉強できる分野、自分を楽しませる方法がものすごい勢いで拡大していく。そうした選択肢を一つひとつ試していたら、一生あっても時間が足りない。過去24時間に発明されたものや作られたものを全部チェックするだけで、1年はかかってしまう。

広大な万物のライブラリーは、狭く限られたわれわれの消費習慣をはるかに凌駕していく。こうした広野を旅するには道案内が必要だ。人生は短く、読むべき本は多過ぎる。どれを選べば良いかを誰か、あるいは何かが耳元で囁いてくれないと決められない。優先順位付けが必要なのだ。われわれの唯一の選択肢は、選択をアシストしてもらうことだ。途方もなく増える選択肢を選別するために、われわれはあらゆる種類のフィルターを使う。そうしたフィルターの多くは昔ながらのもので、いまだにきちんと機能している。

 ゲートキーパー:権威、親、牧師、教師などが悪いものをブロックして「良いもの」だけを通す。

 仲介者:出版社や音楽レーベル、映画スタジオにはボツになったものが山のように積まれている。彼らは受け入れるより拒否する場合が多いが、広く流通できるものをフィルタジングする機能を果たしている。新聞に載っているどの見出しもフィルターであり、そこに載る情報を選別し、他の情報を無視しているのだ。

 キュレーター:小売店にすべての製品が並ぶことはないし、美術館も全収蔵品を公開してはいないし、公立図書館はすべての本を購入しているわけではない。キュレーターが入れるべきものを決めフィルターとして働いているのだ。

 ブランド:似たような商品が棚に並んでいる場合、購入者は購入のリスクを下げる簡単な方法として自分が知っているブランドを選ぶ。溢れ返るものの中からブランドがフィルターの役割を果たすのだ。

 政府:タブーは禁止される。ヘイトスピーチや首長の批判、宗教弾圧などは排除される。ナショナリズム的なものは推奨される。

 文化的環境:子どもたちには、彼らを取り巻く学校や家庭、社会の期待に従って、違ったメッセージやコンテンツ、選択肢が与えられる。

 友人:選択する際に仲間から受ける影響は大きい。われわれは高い確率で友人が選んだものを選ぶ。

 われわれ:われわれは自分自身の好みや判断に基づいて選ぶ。伝統的にはこのフィルターが最も希少なものだ。

これからの超潤沢社会においても、以上の方法はどれもなくなることはないだろう。しかし、これから何十年かの間に増えていく選択肢に対して、われわれはもっと多くのフィルタリングの方法を発明することになるだろう。

もしも世界中のすべての偉大な映画、本、曲を手元にフリーで置いておけて、よくできたフィルターシステムが、ゴミのような失敗作や、あなたを少しでも退屈させるものは雑草のように取り除いてくれたらどうだろう。評論家が絶賛する作品でも、あなた個人が好きでなければ忘れる。自分が本当に夢中になれるものだけに注力するのだ。あなたの選ぶものは、親友も薦めてくれるような最高の中の最高といえるもの、それに少々のサプライズとしてランダムに選ばれたものになるだろう。つまりその時点で、自分の好みにぴったりなものだけを手にするのだ。それでも、あなたの人生の時間は足りないだろう。
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<インターネット>の次に来るもの シェアリング(共有していく)

『<インターネット>の次に来るもの 未来を決める12の法則』より ⇒ シェア社会を目指すことにナル

シェア

 オンラインの大衆は驚くほどシェアに積極的だ。フェイスブック、フリッカー、インスタグラムや他のサイトには毎日18億枚という天文学的な数の個人写真が投稿されている。こうしたデジタル写真の圧倒的多数が、何らかの形でシェアされていると言っても構わないだろう。さらにステータスのアップデート、位置情報、思いつきの意見もオンラインに投稿されている。それに加えてユーチューブでは毎日何十億本もの動画が、ファン・フィクションのサイトでも100万本単位のストーリーが閲覧されている。レビューをシェアするイェルプ、位置情報をシェアするフォースクエア[Foursquare]、スクラップブックをシェアするピンタレストと、シェアサービスは無数に増えている。シェアされたコンテyツが遍在しているのだ。

 シェアはデジタル社会主義では最も穏やかな形式だが、シェアすることはより高いレベルでの共同作業の基盤となるものだ。それはネットワークそのものの基本要素でもある。

協力

 ひとつの大規模な目標に向かって一人ひとりが動くと、その結果は集団レベルで現れてくる。人々はフリッカーやタンブラーで何十億枚もの写真をシェアするだけでなく、分野や名前やキーワードでタグ付けしてくれる。コミュニティーの中には写真をまとめたり掲示板に貼ってくれたりする人もいる。クリエイティブ・コモンズがこれほど人気なのは、ある意味で「あなたの写真は私の写真」だからだ。投稿された写真は誰もが自由に使え、それはコミュニティーの中で手押し車を貸し借りするのと同じことだ。エッフェル塔の写真が必要になれば、自分が撮影するより良い写真をコミュニティーが提供してくれるので、わざわざ撮りに行く必要はない。つまり、プレゼンやレポート、スクラップブックやウェブサイトを、独りで作る以上のものにできるのだ。

 何千もの情報収集サイトが、次の三つの利点からどれも同様のソーシャルな力を使っている。まずは、ソーシャル向けテクノロジーのおかげで、サイトのユーザーは自分たちで使う目的で一つひとつにタグを付けたり、ブックマークしたり、順位付けをしたりアーカイブしたりできる。コミュニティーのメンバーは、コミュニティー内のコレクションを簡単に管理したりキュレーションしたりできる。例えば、ピンタレストではたくさんのタグやカテゴリー分け(ピンを付ける)のおかげで、ユーザーはすぐに特定のテーマのスクラップブックを作れてものすごく簡単に検索したり内容を付け加えたりできる。二つ目に、他のューザーも個々人が付けたタグやピン、ブックマークの恩恵を得る。似たような素材を見つけるのが簡単になるのだ。ピンタレストの夕グ、フェイスブックの「いいね!」、ツイッターのハッシュタグが増えれば増えるほど、他の人にとっても便利になる。そして三つ目に、集合的な行動により、それが一つの全体となったときにだけ生まれる新たな価値を創り出せる。例えば、観光客が撮影したエッフェル塔のスナップ写真の束は、それぞれ別々の角度から別々の時間に撮影したものだが、そこにたくさんタグが付けられると、それらを集めることで(マイクロソフトのフオトシンスのようなソフトを使って)、個々の写真からは考えられないほど複雑で価値のある、驚くべき全体像が3Dで浮かび上がる。こうした話が興味深いのは、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という社会主義者の約束を超えて、より貢献できて、必要以上のものがもたらされることになるからだ。

 コミュニティーによるシェアは、驚くべき力を解き放つ。レディットやツイッターでは一番重要なもの(新しい情報、ウェブのリンク、コメントなど)をユーザーが投票したりリツイートしたりすることで、新聞やテレビと同等かそれ以上の世間の議論を巻き起こしている。ある意味で、投稿者たちが熱心なのは、こうした手段を使うことでより広い文化的影響力を生み出せるからだ。コミュニティーの集合的な影響力は、それに参加する人々の数の規模をはるかに超えたものになる。それこそが社会的な組織の組織たるゆえんで、全体が個々の総和を凌駕するのだ。伝統的な社会主義では、こうした力学を国家というレベルに集約していた。現在のデジタルによるシェアは、政府から切り離され、国家を超えた規模で機能している。

コラボレーション

 組織的な協働は、その場限りの共同作業よりもっと大きな成果を生み出す。ウェブサービスやスマートフォンのほとんどを支えるリテックスOSに代表される、何百ものオープンソースのソフトウェア開発を見てみよう。こうした試みでは、何千何万というメンバーの作業をまとめあげるために細かく調整されたコラボレーション・ツールによって、高品質のプロダクトを作り出している。ひとつ前の段階であるその場限りの共同作業に比べると、大規模で複雑なプロジェクトのコラボレーションでは、グループ内のメンバーが最終プロダクトのほんの一部にしか関与していないため、彼らが得られる成果は間接的なものになりがちだ。しかし熱心な参加者は、全体のプログラムが稼働するのが何年先になるとしても、サブルーチンなどのプログラムを何カ月も必死になって書く。実際のところ、そこから得られる報酬は自由市場の基準から言えば割が合わない--たいして支払いも受けずに市場価値の高い仕事をこなしているのだ。こうしたコラボレーションの努力というものは、資本主義の枠内では理解を超えている。

 経済的におかしな点があるばかりか、われわれはコラボレーションで作られたものを無料で使うことを当たり前に思っている。現在の世界のウェブページの半分は、コミュニティーによって作られたアパッチという無料のオープンソース・ソフトによって動く3500万台以上のサーバ-に載っている。3Dウェア(ウスと呼ばれる無料の情報サイトには、熟練の愛好者たちが作って惜しげなく交換しているあらゆる形(ブーツから橋まで)の3Dモデルが何百万と集まっている。学校やホビイストといったコミュニティーによってデザインされた電子工作基板アルドゥイーノは100万種を超え、マイコン基板のラズベリー・パイ[Raspberry Pi]を使ったコンピューターは600万以上組み立てられている。それらはどんどん無料でコピーして、そこからまた新しいプロダクトを作ることが推奨されるデザインになっている。こうしたプロダクトやサービスを使った仲間の製作者たちは、お金の代わりに信用や地位や評判を得て、楽しみや満足や経験という形で報われるのだ。

 もちろんコラボレーションということ自体には本質的に何も新しいものはない。しかし、オンラインのコラボレーションを可能にする新しいツールが共同体方式の生産を支えることで、資本主義的な投資家を締め出し、所有権を作り手たち--得てして同時に消費者でもある--のもとに確保する。
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新時代の〝死ぬ技術″の第4~第6ステージ

『天国の扉ををたたくとき』より

第4ステージ 健康障害

 ホスピスの職只が〝臨死期〟と呼ぶ、三日から一〇日のプロセスを迎える前に、親は数カ月、あるいは数年にもおよぶ〝衰弱〟期を、場合によっては寝たきりで過ごす。親が口にする言葉を聞き、言い残していたことにも耳を傾けよう。「もう病院はたくさんだ」とか「わたしは長生きしすぎている」などと言うときは、その裏に隠された思いを汲んでくれというサインだ。それは、また入院したり、老人ホームに入ったりするくらいなら、死んだほうがましだという意味だろうか。どういう状況なら、人生は生きるに値すると思うのだろうか。お別れは何カ月も先になるかもしれないが、その日に備え、気持ちの整理をつける作業をはじめよう。ホスピスのプログラムの中には、言丁期される喪失心のためのワークショップがある。愛する人がまだホスピスの患者ではない場合でも、自費で参加することができる。緩和ケアプログラムの利用も考え、後述する法的な文書について話しあおう。

 緩和ケアは死を前提にした医療行為ではない。命が脅かされている場合や、最終的には死にいたる場合もふくむが、これにかぎらず、慢性病をかかえた人の生活の質を最大限に引き上げ、可能なかぎり快適に過ごしてもらえるように力を注ぐのだ。余命数年(数カ月ではなく)の重病人はこのケアを通じて、ホスピスのメリットの多くを享受できる。たとえば、患者の残存機能をできるかぎり生かし、症状を緩和することに専心する訪問診療もそのひとつだ。いまでは多くの病院が、入院患者を対象とした緩和ケア部門を設けている。外来患者向け(訪問看護方式)の緩和ケアプログラムにも需要が高まってきた。しかしこうした診療は、求めなければ受けられないかもしれない。病院であなたの担当医が緩和ケアを紹介してくれるか否かは、その医師個人の医療観によるからだ。ニューヨーク州以外の地域では、医師はそのようにする倫理的、法的義務を負わない。だから、声をあげよう。わたしの経験では、医師も家族も、死が扉をたたくまでの時間を長く見積もりすぎる傾向にある。

 緩和ケアを申し込むには、ホスピスケアとちがって、死期が近いことを記した医師の診断書は必要ないし、治療的処置をあきらめる必要もない。しかし緩和ケアを受けている患者は円滑にホスピスケアに移行できる。なぜなら、ケアの理念-苦痛軽減の優先、共同意思決定〔医師が示した選択肢の中から、患者や家族が治療法を決定する方式〕、医療目標の明確化、家族全員に対する連携支援、実用主義、負担のかかる介入の制限-がたがいに似通っているからだ(ホスピスケアは、緩和ケアの一種であり、どちらもスローメディスンの一形態だが、すべての緩和ケアがホスピスケアであるとはかぎらない)。緩和ケアは、より積極的な医療よりもしばしば延命効果がある。二〇一〇年に回ューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」誌で報告された研究によると、早くから緩和ケアを受けていた肺癌患者は、入院頻度が少なく、侵襲的な治療をことわる傾向にあった。抑うつ症状を経験することも少なく、生活の質が向上し、腫瘍科の標準治療を受けている人より平均二・七ヵ月長く生きたという。

 親や配偶者が最後の衰弱期に入ったと感じたなら、ホスピスケアか緩和ケアを受けさせたい、と声を大にして、できるだけ早く要求しよう。ホスピスケアの対象となるには、こちらの気持ちをよく理解して、六ヵ月以内の死亡が見込まれると手紙に書いてサインしてくれる医師をさがさなければならない。その手紙にはさらに、患者に対するすべての治療的処置を中止し、症状管理、疼痛管理、緩和的処置のみをおこなう、と書いてもらう(しかし、気が変わったときや、健康状態が回復した場合はいったんやめて、あとで再開することもできる)。ある種の癌にかかっている人、確実に死にいたると診断された人がもっとも受け入れられやすいが、老衰、心不全、認知症の人も対象となりうる。医師は余命を長めに見積もることが多い。わたしの父がホスピス病棟への入床を認められたのは、死ぬわずかI〇日前、母の場合は三〇日前だった。もよりのホスピスに問い合わせてみれば、あなたと同じ価値観を持つ医師を紹介してくれるかもしれない。

第5ステージ 臨死期

 老人ホームでは、患者に死期が迫った場合、九一一に通報し、暴力的な心肺蘇生法(CPR)をおこなうことを標準的手順としているところが多いが、高齢者施設の入居者(など、自立した生活を送れない衰弱したお年寄り)のうち、CPRで助かるのはわずか三八Iセントで、その人たちでさえ一週間後には死亡しているのが現実だ。あなたの家族が老人ホームに入居しているのなら、施設内でターミナルケアが受けられないか、きいてみるとよい。残念ながら、メディケアはしばしば、スキルの高い看護サービスか、ホスピスか、ふたつにひとつの選択を迫ってくる。両方を受けることはできるが、どちらか一方は自己負担となる。州の認可したブレスレットで証明されている蘇生処置禁止指示は、後述するように、現実主義と慈悲に根ざした行為だ。

 〝人院禁止〟指示もまた、救済措置と言えるだろう。多くの老人ホームでは、死に瀕した患者は病院搬送するのが標準対応とされていて、ときには、それが生涯最後の二、三ヵ月を、病院と施設のあいだを何度も行き来して過ごす事態を招いてしまう(病院関係者はこれを。たらいまわし〃と呼ぶ)。病院へ送る理由は、本人が心の安らぎを得られるか、楽になれるかといったこととはほとんど無関係で、むしろ不条理きわまる給付制度の経済的側面や、法的責任に対する組織的な恐怖に深く関わっている。医師が署名する。生命維持治療に関する医師の指示書(POLST)〔Physician's Orders for Life-Sustaining Treatment〕は、以下に説明するように、このリスクの軽減に役立つだろう。ホスピスケアや緩和ケアに入ることもやはり、終末期に虐遇を受けるリスクを減らす一助となる。なぜなら、老人ホームが医療ネグレクトのかどで〝ピオリアの甥〟から訴えられる心配をせずにすむようになるからだ。

 ホスピスのプログラムでは、訪問看護師、ソーシャルワーカー、ボランティアから成るチームを派遣してくれるほか、さまざまな形で家族と患者を支援する態勢を整えている。しかし事業者に償還される費用が徐々に抑制される傾向にあるため、患者に心地よく過ごしてもらえるだけの看護サービスを十分に提供することはできない。フルタイムで家族が介護するか、人を雇って補う必要がある。

 認知症についてひとこと。これは死にいたる病であり、みじめな死を迎えることが多い。だから引き延ばしてはいけない。栄養チューブは不快なものであり、食事や水分の摂取ができなくなるのは、自然で苫痛のない伝統的な死へと通じる道筋なのだ(不治の病をかかえた高齢者の中でも感受性の強い人は、自分の意思で飲食をやめてしまうことが多い。彼らが合法的に命を絶てる数少ない選択肢のひとつだ)。感染症による痛みは、抗生剤ではなく、鎮痛剤で抑えることができる。認知症の親から自然死を奪うことは、愛情の表れと見えるかもしれないが、本人のためになることはめったにない。あなたの行為が多かれ少なかれ、親や社会に苦しみをもたらそうとしてはいないか、考えてみてほしい。こう思って自分を慰めよう--人生最後の数週間、数カ月を、チューブを通して栄養剤と抗生剤を注入されて過ごすはめにもっともなりやすいのは、身寄りのない認知症の人なのだ、と。ノーと言うことが愛情表現となりうる場合もある。

 死を迎えることは緊急事態ではない。九一一通報システム、救急救命室、ICUは、どれも自然死を食い止めることを前提にしている。関わるときには注意しよう。本書の中でいちばん重要な言葉は、次の四つかもしれない。「緩和ケアについて相談させてください」「ホスピスを紹介していただけますか」「緩和的な処置のみお願いします」「わたしは生活の質に関心があるのです」

第6ステージ 死別の悲しみ

 その昔、自分の生まれ育った町で死んでいく人の割合がいまより多かった時代には、喪失の悲しみや哀悼はコミュニティのイペントであり、心理学で扱われる症状ではなかった。ビクトリア時代には、未亡人は少なくとも一年間、ときには生涯、黒い服を着ていた。おびただしい数の犠牲者が出た第一次世界大戦のあとには、イギリスの村や町や都市で一年に一度、人々が通りに並んでともに五分間の黙祷を捧げた。

 わたしが子供のころに暮らしたイングランドでは、第二次世界大戦中にドイツの爆撃で破壊された建物がそこかしこに残っていた。葬儀があると、人々は上着の袖に黒の喪章を巻き、終日それを着けていた。さほど遠い昔ではなかったこの時代でも、人の死を嘆き悲しむのは、きまりの悪いことではなかった。わたしは二〇代のころ、当時住んでいたサンフランシスコのノースビーチ地区で、ブラスバンドが中国人の葬列を先導して、グリーン・ストリートを行進するのを見たことがある。黒い霊柩車には、花や写真できれいに飾り付けがしてあった。いま、わたしたちが死についてもっと率直に話をし、その神聖さをもっと尊べば--〝生の神聖さ〟を偏重したり、死は自然や神の計画の一部ではないかのようにふるまったりしなければ--死に直面したときには、もっと賢明に乗り切り、死後にはもっと十分な対応ができるかもしれない。わたしはそう思わずにはいられないのだ。

 今日では、おおっぴらに喪失の悲しみや哀惜の念を表現しにくくなっている。親や出生地から遠く離れたところに住む人にとっては、とりわけそれがむずかしい。自分を愛してくれる人たちが、みんな親のことも知っているとはかぎらない。親を愛していた人たちが子である自分のことをほとんど知らない場合も多い。それでも、出生、結婚、成人、そして最後には必ずやってくる自分の命の終わりや、愛する人々の旅立ちといった大きな節目には、儀式やコミュニティを求める思いがしばしば強くなる。

 葬儀や追悼式では、参列者とともに悲しみ、心を癒やす力をもらおう。占い形を基本にして、必要な改変を加え、自分の支えになるようにすればよい。気持ちの区切り々をつけるという考えにとらわれてはいけない。性急に、葬儀を。生を祝う会・と銘打ったり、参列者に涙を流さないでくださいなどと言ったりしないことだ。わたしの場合は、儀式--とくに両親の葬儀をしたこと、お悔やみ状に返事を書いたこと、毎年、両親の命日にヤルツィートの蝋燭をともして在りし日を偲ぶこと--によって、両親の死後に渦巻いていた根深い複雑な感情(悲しみ、後悔、苦悩、茫然自失、喪失感、罪悪感、疲労感、良心の呵責、孤独への渇望、いらだち、ひそかな安堵感)のひとつひとつを明らかにすることができた。

 親の旅立ちに寄り添ったわたしの知人のほとんどが、あまりにあれこれしすぎた、あるいはもっとしてあげればよかったと後悔したり、早すぎた死、遅すぎた死に見舞われた親の苦しむ姿がいつまでも忘れられなかったりしている。もしそうなら、どうか自分を許してあげてほしい。あなたはベストを尽くしたのだ。よき死のイメージに押しつぶされてはいけない。

 ホスピス・プログラムでは、死別の悲しみをかかえた人のための自助グループを運営しているし、郡のメンタルヘルス・センターがグリーフケアを提供している場合もある。無料サービスを受ける資格がない人も、たいてい少額で利用することができる。わたしの場合も、地元のホスピスのプログラムが、払ったお金に見合うだけのすばらしいものだった。
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日本のエコ活動

生活費の中で暮らしたい

 8月はお金がドンドンなくなっている。奥さんからの生活費では足りません。その中で暮らしたいけど、死ぬまでの割り算もいいなと思っている。幾らなんでしょうね。

 スタバは以前は月に5千円カード×2でしたが、この最近では、20日間で5千円カードになっている。これは、月に1枚にしないといけない。トールラテで400円だから、月に12回です。

日本のエコ活動

 日本のエコは、エコロジー運動やオルタナティブ運動から出発から出発したのではなく、官製であり、商業主義のなかでにわかに登場して蔓延した。そして、半官製・商業主義のエコはピークを過ぎた。エコはビジネスチャンスではなくなってきた。エコ検定も2009年には6万9千人が受験したが、2015年には1万1千人です。

 エコの対策は市民一人ひとりに行動してもらうと言うことだけです。それより先の思考には至っていない。なぜ、しないのか。なぜ、するのか。

 若者のモラルに依存するブラック企業のようなものです。日本は環境危機意識が世界で最低クラスです。

「エコット」って何?

 環境教育もそういう形になっています。やはり、「エコット」という名前が悪かった。単にかわいいからで、実態も方向も示していない。折角、「さあ!」というな目を提案してあげたのに、市役所の出来レース。

ものを書かなくなっている

 このペンはダメですね。壊れている。使っていないからそれにも気づいていなかった。書くことがあまりにも少ないですね。生活に区切りを付かないと行けない。

ドイツは20%が移民経歴

 ドイツの総人口8100万人の内、20%は移民の経歴を持つ。ユダヤ比率よりもはるかに大きい。東ドイツ出身のメルケルには先が見えている。


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