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群衆の批判的思考と情報システム

『批判的思考と市民リテラシー』より 群衆の批判的思考と情報システム

ネット集合知

 インターネットを利用して相互交流しながらっくる、有機的に編成された知のことを集合知という。この「集合的」という言葉は、断片的な情報の集積以上のことを意味する。そこには、群衆の生み出す知恵や知性などが含意される。インターネットには、「発足当時から、中央の集権に抵抗し、一般市民が交流して民主的に知を構築していこうというリベラルな文化があった」ことを踏まえると、インターネットは共助としての知的活動を支える技術と見なすことができる。

 しかしながら、単にこれらの人々から断片的に集めるだけで、集合知が生み出されるわけではない。ペイジは、群衆が知性を生み出すにあたって多楡既の重要性を強調する。情報通信システムの発展により、パソコンやスマートフォンなど、インターネットにアクセス可能な情報通信端末を持つ人は皆、潜在的な情報受信・発信・伝達者となった。2014年の時点で、世界のインターネット利用者数は30億人に迫ろうとしている。日本の総人口のおよそ25倍である。しかも、この数は、今後も増加してくと予想される。国や文化や年齢などの属性が異なる30億の人々が持つ知識や発想は膨大かつ多様なはずである。ただしペイジは、多様な人間を集めれば常に個人より高い生産性につながるとは限らないことを指摘する。多様な集団が共通の資源をめぐって争えば、生産性よりも損失のほうが高くなるし、集団間のコミュニケーションがうまく機能しなければ、互いの恩恵は受けられないからである。インターネットを通じて多くの人々とコミュニケーションをとっていても、相手の属性が自分の属性と非常に類似していれば、受信する情報量は多くても、そこから得られる多様性という恩恵は限定的である。また、情報探索において、自分の仮説を支持する情報のみを探し出すといった確証バイアスなどの影響を受ければ、多様性は一層限定される。

 さらに、集合知の成立には、多様性を確保するだけでは十分とはいえない。膨大な情報を集めれば、その段階ですでにある程度優れた意見が含まれている可能性はある。しかし、ネット集合知を一般市民の相互交流による知的活動と見なすならば、複数の情報が互いに作用することによって、そこから優れた知性が紡ぎ出されるプロセスがあると思われる。そして、その相互作用プロセスには、情報の補完、修正、発展などが含まれているはずである。インターネットを通じてつながる人々の批判的思考は、この情報の補完、修正、発展プロセスにおいて、重要な役割を果たすと思われる。

新しい情報システムのリスク

 新しいメディアの普及にはリスクもともなう。従来のマスメディアを経由した一方向的な情報伝達と異なり、ユビキタス環境で流通する情報の質は、不特定多数の一般ユーザーの認知プロセスに大きく依存する。同時にユーザーの認知処理は情報のシステムデザインの影響を受ける。

 とくに、災害のような緊急時において、情報が果たす役割は極めて大きい。先の東日本大震災は、新しい情報システムによって多くの人命が救助される一方で、流言やデマが瞬時に拡散し社会的混乱を招くなど、情報システムの脆弱性を浮き彫りにした。東日本大震災時にソーシャルメディアで伝播した流言を用いて、群衆の批判的思考の効果を検証した研究では、通常時系列で情報が表示される既存のソーシャルメディアのデザインにおいては、約7割が流言拡散行動をとることが示されている。一方で、流言への反駁や不確かさを指摘する批判的情報へ先に接触するよう情報提示順序を変更した実験条件では、その割合は約5割まで減少する。

 このことは、同じ量の情報を処理したとしても、呈示順序という情報システムデザインを改善するだけで、ユーザーの情報処理およびシステムを通じて伝播される情報の質が改善されることを示唆する。また、誤情報を吟味せずに拡散するユーザー行動をヒューマンエラーの一種と見なすならば、既存のSNSは、このようなヒューマンエラーに対して脆弱な設計になっているとも考えられる。すなわち、後続して発生する批判的情報を十分活用するデザインになっておらず、情報の判断はユーザーの自助努力のみに委ねられている。

 自動車、鉄道、飛行機など人間が使用する機械は、誤りうる存在としての人間をヒューマンファクターとして設計に組み込みながら発展してきた。たとえば、自動車のなかには、キーを外さずに運転席のドアを開けるとアラームがなる機能がついているものがある。電車はすべてのドアが閉まらないと発車できない。このように、ユーザーがエラーを起こすことを前提としたうえで施される安全策はフールプルーフ(fool proof)と呼ばれている。

 新しい情報システムは今後,ユーザーの認知プロセスや心理的要因をヒューマンファクターとして組み込んだ設計へと発展していくと予想される。ただし、自動車のように特定の機能を持った機械と比べると、情報システムが果たす機能は幅広い。ユーザーの年齢制限もない。利用目的も多岐にわたる。したがって、SNSひとつとっても、不特定多数のユーザーが遭遇するエラーは複雑多様で予測も困難なものになると思われる。

3.批判的思考研究の展望

 これまでの批判的思考研究は自助と公助の観点に偏りがちであり、他者の批判的思考を活用したり、自身の批判的思考を他者と共有するという共助の視点が乏しかった。教育により個々人の批判的思考を高めていくことも重要であるが、それらを社会のなかでいかに活用していくのかについて、今後さらに議論されるべきである。批判的思考が社会のなかで循環することによって、批判的思考が苦手な人だけでなく、批判的思考をある程度身につけた人々も、抑制要因のある状況において他者の批判的思考の恩恵を受けることが期待できる。

 情報通信技術の発展と普及によって、多くの人々がインターネットを通じて結びつくことが可能となりつつある現代社会は、私たちが多様な他者の批判的思考にアクセスすることを可能にする。しかし現状では、玉石混交の情報のなかから他者の批判的思考を発見できるかどうかは、ユーザー個人の自助努力に委ねられている。今後の批判的思考研究においては、個々人の批判的思考を高めるための認知的、教育的研究に加えて、他者の批判を活用する認知メカニズムや、情報システムデザインとユーザーの認知プロセスの交互作用なども解明されることが期待される。
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アタリは言う、市民、積極的社会の活動の鍵

『未来のために何をなすべきか』より ⇒ ジャック・アタリの『21世紀の歴史』を読んで、未来学者になることを決めた。60歳にして、将来の夢を決めた!

積極的市民性のために

 市民社会を積極的社会の建設へと巻き込むことはまた、国家、地方自治体、企業が第一に構成された単位であるが、それらは個人、人間によって本来つくられたものでもあるということを再び思いだすことでもある。かれらは賃労働者、代理人、職人、さらに言えば議員であるより前に市民なのだ。

 市民社会はこうした意味において、積極的社会を建設し、その固有の活動の意義を各自に意識させることで、長期的に市民社会の団結を守るための本質的な共通分母の役割をなしている。

 積極的社会の建設に市民社会を参加させることは、選択のひとつといった問題などではない。成長が限られ、伝統的活動要素(国家、企業)の合法性が疑われ、フランスにとってもヨーロッパにとっても新しい政治的計画すら探求されないという現条件のもとで、積極的社会を実現するには、マクロ経済学的、制度的手段の提案に対する、市民、とりわけ若い市民の実質的な動員がないかぎり、不可能であろう。

 だからこそ、環境、持続的発展、ガバナンスに関する16歳から29歳までの若者の期待に関する地球的規模の最初の調査である、「2012年のシナリオ」という調査は、次のことを明らかにしている。すなわち、環境の危機に対して、若者が第一に信頼を置いているのは、国家、都市、企業(これらは一般的利益ではなく、むしろ特殊な、国民的、私的利益を擁護するものだと考えられているのだ)ではなく、むしろ科学、国連、NGOであるということだ。

市民社会のすばらしい能力

 変化や発展を実現する市民社会は、とりわけ新しい技術や社会的ネットワークの発展のおかげでグローバル化し、世界に知られるようになっている。市民社会は組織能力、透明性を強化し、同時に企業、公権力、国連のような国際組織(国連と公的関係をもっている市民社会の組織は3万もあり、それらは国連の独立したパートナーとなっている)への影響力を強化している。

 市民社会はすばらしいエネルギーを動員できるのだが、一方で持続的変化を実現するには、集団的事業が必要である。こうした事実は「アラブの春」のような現象によって説明されている。あるいは、2011年におけるスペインからギリシャ、イギリス、イスラエル、アメリカ合衆国、カナダ、日本、南アフリカヘと広がった「怒れる者たち(Indignes)」の運動のような現象によっても説明される。主として希望の担い手であるこうした後者の運動は、怒りをもつ以上ではなく、変革のダイナミズムを実際に生みだすことはできなかった。おそらく、もっとも積極的な社会の建設と未来の世代のためにすばらしい展開を可能にしてくれるのは、合理的愛他主義のような連合的つながり、来るべき世代のために働く必要性という明確な概念であろう。

 市民社会の影響が増大していくことを意識したイギリスでは、2010年、地方自治に新しい責任を与える(ビッグ・ソサエティ」という、パイオニア的な政治的イニシアチブを打ちあげた。国家の期待する付随的政策にとりわけ関連する困難(能力の移転、公的財へのアクセスの透明性など)があるものの、このイニシアチブは、市民社会が公的事業の遂行において演じざるをえない役割の増大を予知している。

 公権力に由来するあらゆる力とは別に、「チームヘの呼びかけ」という市民的イノベーション研究所のようなもうひとつの組織は、このような組織された市民社会のダイナミズムを物語っている。この研究所は、共同株主である市民共同体からなっていて、それはデザイナーとともに、未解決の問題に対して具体的な解決を与えるべく製品を考え、つくり、普及させるという野心的なものである。同時に「希望のレポーター」という積極的なメディア組織の役割にも言及できるだろう。これは、積極的ニュースと消極的ニュースを均衡させるのだが、とりわけ過去の社会が問題をどう解決したかという軌跡を追うというものである。CFE-CGC(:管理職総同盟)のような労働組合の立場にも言及できるだろう。この組合は2014年以来、その活動原理に、労働に対する幸福や信頼、楽観主義といったものを掲げている。

 市民社会を個人的、集団的に捉えると、市民は国家、地域、企業と同じ意味で、積極的経済の本質的活動家である。われわれの誰もが、積極的社会の建設に重要な責任をもっている。その理由は、個人的レベルで展開されたすべての愛他主義的態度がプラスの循環となり、今度は他の市民が同じことを行なう都合のよい社会的条件をつくりだすからである。愛他主義と個人的責任は、誰もが建設に貢献しうるし、しなければならない、積極的社会の二つの重要なバネなのだ。

 積極的経済フォーフムは、国家、地域、企業にとってと同様に、市民社会の貢献度を測り、市民の活動をよりよく方向づける市民社会の積極性指数というものを最終的に発展させることをその目標とする。これから発見しなければならないこうした指数は、羅針盤として、導き手として、里程標として、警告信号として、さらには希望の道具として、選択的に機能することができるだろう。
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国民国家の意識で日本は最後の最後

『日本型移民国家の創造』 二二世紀の人類像 ⇒ 国民国家の意識がある限り、極東の日本が世界の真ん中になるのはムリ!

人類共同体思想は日本の精神風土のたまもの

 日本型移民国家創成論のような日本の国家ビジョンが世界の注目を浴びるのは非常にめずらしいことではないか。世界の知識人は私の移民国家論のどの部分に最も関心が高いのだろうか。

 外国の知識人と討論した結論をいえば、移民後進国の日本が、日本民族をはじめ世界の諸民族がうちとけて一つになる「人類共同体社会」の創造を提案している箇所ではないかと思う。たとえば、二〇一四年四月、私の講演を企画した南カリフォルニア大学日本宗教・文化研究センターのダンカン・ウイリアムズ所長は、移民国家・日本の未来像を描いた私の著作を読んで、「真の移民国家ビジョンを提示したもの」「和を尊ぶ日本の伝統的精神風土から生まれたもの」「ハイブリッドジャパンをめざすもの」と評価した。

 ちなみに、ダンカン・ウイリアムズさん(四四)は日本生まれで、父が英国人、母が日本人のハイブリッドである。少年のころ日本の禅寺で修行を積んだ経験を有し、ハーバード大学で宗教学を専攻した日本仏教学の泰斗である。

 さて、世界の移民政策の専門家は人類の多様性を強調し、多文化共生を目標に掲げる。それに対して私は人類の同一性を強調し、人種・民族・宗教のちがいを超えて人類が二つになる地球共同体の理念をうたう。

 日本型移民国家ビジョンは、人類未踏の多民族共生国家の創設、地球規模での人類共同体の創成、恒久的な世界平和体制の構築の三本柱からなる。二二世紀の新しい世界秩序の形成を視野に入れた、日本人のアニミズム的世界観から生まれた独創的な移民国家思想である。それは、一万五〇〇〇年も平和と安定が続いた縄文時代(狩猟・採集時代)に起源を有し、現代の日本人の心にも深く刻まれている「自然との一体感」および「平和の精神」のたまものである。

 人類は多様な人種と民族と国民に分かれているが、そのおおもとは一つである。人類は生物分類学上は唯一のホモ・サピエンスに属している。人間の根の部分の文化と価値観は共通するところが大部分である。人種が異なっても、人類としてのアイデンティティを持ち、相互にコミュニケートでき、相互に共感し、相互に理解できる存在である。

 文化を共通する種としての人類の本質に照らして考えると、日本が世界初の人類共同体の創造を国家目標に定めても、それは決して夢物語ではない。時間はかかっても、和の心の遺伝子を持つ国民が総力を挙げて取り組めば、実現の可能性があると考えている。

 「人類は一つ。人種や民族のちがいはあっても同じ人間。文化や価値観のちがいはあってもごくわずか」という普遍的な人類像に基づき、学問としての移民政策学の発展に寄与したいという大望をいだいている。

世界平和哲学の世界史的意義

 民族や文化の異なる人と人との平和共存の前途は険しい。人類史の書をひもとけば、異なる民族間の戦争の歴史であったことは歴然としている。文明が進んだ二一世紀の世界でも、人類の本性ともいうべき民族と宗教の問題に起因する戦争・内乱・テロが頻発している。また、動物社会に見られる縄張り争いと、子孫を残すための生存闘争も、人類の本能として根強く残っている。

 しかし、その一方で、平和を希求する心が人類のDNAにインプットされているのも事実である。世界の人々の理性と平和を願う心が一つになり、世界平和体制をつくる夢が二二世紀中に実現することを願ってやまない。民族のちがいが主たる原因で人間の殺し合いがエスカレートし、人類を全滅させるようなことは絶対あってはならないとひたすら祈念するものである。

 地球上で戦争が絶えない根本原因は、動物の中で人類のみが持っている民族精神と宗教心が厳然として存在すること、人類から枝分かれした諸民族が文化と宗教の優劣を競って戦争を繰り返すことにある。民族と宗教の根底にある絶対主義的優越感と排他的性格を正さないかぎり、世界の恒久平和は永久に実現しない。以上のように人類史を理解するわたしは、民族学的思考と世界平和思想に基づき、以下のような仮説を立てた。

 〈異なる民族と宗教に対する精神的な許容量が大きい日本人は、人類社会がかかえる民族対立と宗教対立の問題を超越する存在であって、永遠の世界平和に貢献する可能性の高い民族ではないか。地球上に存在するあらゆる物に神がやどると考える日本人は、すべての民族・宗教と公平につきあう稀有の民族であり、世界各地で燃え上がる民族感情と宗教感情を和の心でしずめ、民族問題と宗教問題を平和的に解決する能力をそなえているのではないか。〉

 そのうえで、前述の南カリフォルニア大学主催の「日本の移民政策に関するシンポジウム」において、坂中移民国家論の根本理念と位置づけられる人類共同体論と世界平和哲学を世界の移民問題の専門家に披露した。「日本の移民国家ビジョン--人類共同体の創成に挑む」の課題で基調講演を行った。以下はそのさわりの部分である。

 〈日本人は古来、人間はもとより動物、植物、鉱物など自然界に存在するあらゆる物と心を通わせ、自然に親しみ、そこに神が宿ると信じている。自然と自己を同一視する万物平等思想(アニミズムの自然観)を抱いている。それは人類を含む万物の共生につながる自然哲学である。万物の霊長の思い上がりを戒める日本人の叡智である。

 八百万の神々を受け入れ、地球上に存在するすべての人種・民族はみな平等であると考える日本人こそが、人類の悲願である地球共同体を創造できるのではないか。〉

 私の親友に敬虔なイスラム教徒がいる。二七年前に難民として日本に来たパキスタン人である。いま、東日本大震災の被災地に家族ともども移住し、支援活動に熱心に取り組んでいる。彼は多数の被災者の尊敬を集めている。

 そのパキスタン人は坂中移民政策論の精髄というべき人類共同体思想の信奉者である。二〇一三年二月、彼を激励するため宮城県の被災地を訪れた際に、彼は人類共同体構想の世界史的意義を強調し、それは「多種多様な神様が仲むつまじく共存するアニミズムの宗教心が根底にある坂中さんの独創的研究の成果」と評価した。そのうえで人類共同体のアイディアの将来を予言した。

 〈坂中さんの人類共同体の理念は世界中に広まり、世界平和体制の確立に貢献する。神の加護があるので近未来の地球社会で人類共同体が実現している。坂中さんは世界の人々に平和をもたらす救世主になる。〉

 信仰心の篤いイスラム教徒が真剣な顔で「坂中英徳は世界の救世主」と熱をこめて語るのを聞いて驚いた。異国の神の助けがあって二二世紀には地球規模で人類共同体社会が形成されており、人類の悲願である世界平和が現実のものになっているという。

 在日パキスタン人の予言が適中するかどうかは不透明である。ただ、日本人の和の精神が根本にある地球共同体思想と世界平和哲学が世界の人々の共感を呼び、世界の普遍的理念として二二世紀の地球社会で認められるという望みはかなえられるかもしれない。
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豊田市図書館の28冊

723.37『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』天才の挫折と輝き

702.3『いちばん親切な西洋美術史』めくるめく西洋美術の世界へようこそ

702.05『あやしいルネサンス』

336.4『小さな会社の女性社員を雇うルール』トラブルにならない

933.7『アリス・イン・ワンダーランド~時間の旅~』

809.2『TED TALKSスーパープレゼンを学ぶTED公式ガイド』

336.3『活躍する女性会社役員の国際比較』役員登用と活性化する経営

019.9『テーマ別のビブリオトーク』

135.25『パンセ(下)』

188.61『浄土系思想論』

339.43『セールスウーマンが出会った心があたたまる物語』

762『138億年の音楽史』

309.3『ユートピアの終焉--過剰・抑圧・暴力』子どもの読書は「量より質」の時代へ

933.7『ナチの亡霊 上』

933.7『ナチの亡霊 下』

289.3『ビル・クリントン』停滞するアメリカをいかに立て直したか

159『ひとりを怖れない』

219.9『僕は少年ゲリラ兵だった』陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊

933.7『あなたの自伝、お書きします』

597.5『クローゼットの中身』

069.03『子ども博物館美術館事典』

210.6『日本の戦争解剖図鑑』

121.6『九鬼周造』理知と情熱のはざまに立つ<ことば>の哲学

007.3『ICT未来予想図』自動運転、知能化都市、ロボット実装に向けて

538.9『全国宇宙科学館ガイド』

331.6『希望の資本論』私たちは資本主義の限界にどう向き合うか

290.9『いま生きているという冒険』 YA

024『しごと場見学!--書店・図書館で働く人たち』しごとの現場としくみがわかる! YA
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早くも2カ月

騒音時の録音

 騒音の中での録音のために、SX-1000にしようか。指向性が聴いているので、はるかにクリアです。

早くも2カ月

 「夏休みに合いませんか」というのはムリみたいですね。何もない夏です。自分の存在がないような感覚になる。

 しかし、来ないなー! 電話の向こうに居るとは思えない。全然感じない。地球の上の存在も。

新刊書に集る連中

 禿鷹と言うよりも、蜘蛛の糸に集る餓鬼。これを貴女する方法はないのか。図書館コミュニティを作り、先取りするしかないか。

 それにしても、いい本が無い。

アレキサンドロス

 アレキサンドロスは次回のミュージックステーションで欅坂と一緒。乃木沢×BABYMETALで中元姉妹が見てみたい。

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