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カフェの役割

日産の「新」エンジン報道

 エンジン本体は素直でなければならない、コントロールの元におくべきだ、で考えが別れていた。28年前の東富士。日産の「新」エンジン報道で何となく思い出した。

豊田市図書館の新刊書

 豊田市図書館の新刊書はほとんどスルーです。18冊あるけど、ほとんど内容がない。少し、漁ろうか? だけど、リアルに書棚から持ってくるのはきついです。下の段は見えません。

 こういう時に、LAPL(ロサンゼルス公共図書館)のように、司書に言えば、持ってきてくれる人が居るといいけど、司書も配置されていない豊田市ではムリですね。

 座り込んで探すことを勝手にOKにしています。文句言われたら、これ幸いにクレーマーに変身!

メンテナンス中

 いつまで経っても、「メンテナンス中」です。一週間になります。他の台では意味をなさない。アナログによる非線形が好きなんです。

全握に参加しようか

 9月28日の全握に行きましょうか。生ちゃんはムリでしょうから、どんな様子かを見るだけになる。運賃とCD代を捻出しないと。

カフェバッハを凌駕するスタバであって欲しい

 「カフェバッハ」に対抗するために、スタバでお客様ひとりのイベントをして欲しい。握手会を開いて欲しい。それは人様々だから、面倒かもしれない。

 読書会のようなものとか、ワークショップ、音楽会みたいなものも考えられる。英会話とかコンサルは時々、営業している。私の場合は、カウンセルが拓きたい。当然、女性対象ですけど。

 それぞれが分化して、自分のやりたいことをすればいい。Iさんは二胡をやってもいいと思います。あとはファッションでしょう。ファッションチェックです。女性にはうけます。それとおじさんにも。

 昨日、飲んでいたコーヒーを褒められたおじいさんがやたら、喜んでいた。そういうもんなんです。

道徳という教科は誰が教えるの

 「道徳」という教科をどう活かすか。ほんとうは存在の力への覚醒につなげたいが、今は教える側が「道徳」を持っていない。大正時代の「道徳」は教えるもんじゃない。

 覚醒への「きっかけ」に過ぎない。きっかけは重要です。拡散できるものです。そういうことをしてもいいんだというきっかけが重要です。あとはコミュニティで支援する。

カフェの役割

 「カフェバッハ」も自分たちの役割が何かから、行動に結びつけている。カフェの世界はもっと広いです。スタバは来る人が多すぎます。だから、効率を考えてしまう。他のところはもっと暇なはずです。

 ウィーン、パリ、ロンドンのカフェは皆、役割を持っています。というか、来る人が役割を与えました。それに応えようとしたことで、文化につながった。自分を表現できるところが「中間の場」として、つながった。

お客様の来店動機は希薄

 なぜ、カフェにおいて、接客サービスが必要か? それはお客様の来店動機が希薄があると言うこと。別にモノを買いに来るわけではない。それぞれの思いが偶々、そこにあるだけ。どうしても利用しないといけない理由がない。

 だから、行くための動機付けが必要です。それに応えるのが、一人ひとりのスタッフの役割になる。

サービス業の情報共有

 「カフェバッハ」には、一杯500円のコーヒーのために来店予約表がある。その予定表見ながら、朝、ミーティングを行なう。Iさんのスタバでもよく、ミーティングしていた。私に関する情報も共有化された。誕生日、入退院、退社などのメッセージカードも作っていた。

 お客様に対する情報の統一を図る。そこでアイデアを出せる。
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ソクラテスの問答

『哲学の始原』より

ソクラテス本人の弁によれば、巷で人を呼びとめて問答するという仕事を、彼自身は楽しんでしていたわけではない。それは「気の進まない」ことであった。神の命令と考えて、使命感から行っていたという。

たしかに、ひとりで立ち尽くして自分の知や無知ばかり考えていた人間が、他人の知の吟味を楽しむことはなかっただろう。そんなことをしても何か新しいことを知るわけでもない。むしろ知恵や知識をただすことは、相手にきつい質問をすることになるので、たいてい相手から嫌われる。

知の吟味は相手に口頭審問を受けさせるようなものだから、そのじつ内心、知らないことを「教えてほしい」と思っていただけの人間はたじろぐほかない。これまでの生きかたを否定されるような質問、善悪についての答えられない質問を浴びせられて、自分がひどく無知な人間か悪人のように扱われたと感じ、あるいは他人の前で恥をかかされたと感じて、たいていの人は傷つく。ソクラテスの真実さに気づき、友好を求める人間もたしかにいたが、ごく少数にすぎなかった。

一方、プラトンたちのように、観客の気軽さをいいことに、ソクラテスが問答でほかの人間をやっつけていくのを見聞きして「おもしろがる」、あるいは「そのやりかたをまねたくなる」若い人たちは大勢いただろう。いかにもありそうなことである。

また、ほかの都市からやってきてソクラテスの問答を聞き、その論法を学ぼうとする、俗に言う「先生」たち、いわゆるソフィストたちもいたらしい。そのソフィストたちを通じて、賢人ソクラテスの噂がアテナイのみならず、かなり遠方のギリシア諸都市にまでひろがっていたことは、裁判におけるソクラテス自身の弁からもはっきりしている。

ソクラテスは裁判が終わり、死刑が決まったあとで、裁判員たちに向かってこう言っている。

 「アテナイ人諸君よ、諸君は悪名を得て、とがめを受けるだろう。この国の人間を悪く言おうとする者に、あなたがたは知者のソクラテスを殺したというので、非難されるだろう」

 こういうことを公言しても、ソクラテスが笑われることはなかったようだ。そのくらい彼は、「知者」としてギリシア世界にその名をとどろかす有名人だったのである。

ソクラテスの問いはさまざまであるが、代表的な問いは、つぎのようなものである。

 「靴屋や馬飼いになるのには、どこに行って学べばよいか、迷う人間はいない。靴職人のところへ行って学べば、靴をつくることができるようになるし、馬飼いのところへ行って、馬の育てかたを学べば、馬飼いになれる。そしてだれも、馬を御する術を学んでいない人間を駅者にやとったりしない。しかし自分の息子を国家の指導者にするとなると、どこへ息子をやればよいのか」

人の上に立つ者になるためには、正、不正くらいは知っていなければならない。では、正しいこと(正義)を知るためには、どこに行けばいいのか。だれがそれを教えてくれるのか。それを見つけることは、やはり容易なことではない。

つぎのことを考えてみればよい。「故意に悪いことをする人間は悪い人間に違いない。ところで、つぎのことを考えておかなければならない。そもそも悪いことを知っている人間は悪い人間であり、よいことを知っている人間はよい人間ではないか。しかし故意に悪いことをする人間は、よいことを知っていて悪いことをする。他方、故意でなく悪いことをした人間は、よいことを知らないで悪いことをしたのだ。しかし、よいことを知っている人間がよい人間なら、故意に悪いことをする人間は、故意でなく悪いことをする人間よりよいことを知っているのであるから、よりよい人間だろう。だとしたら、故意に悪いことをする人間のほうが、そうでない人間よりも善い人間であり、したがってより国家の指導者にふさわしい、ということになるのだろうか」

ソクラテスはこんな論を展開して人を混乱させていたのである。

多くの人々がおもしろおかしく、あるいは悪い意図をもってソクラテスの論法をまね、あちこちで使った。それが当時の穏当な人々に懸念をいだかせた。実際、世の中の大多数は、穏当な人々である。そしてその人々は、とくに疑うことなく、白分か子どものころに教えこまれたとおりに、わけ知り顔で「よいこと」「悪いこと」を息子に教え、のんきに暮らしていた人々だった。

どの社会にも長幼の序がある。年長者を敬い、偉いとされた人はそのまま、偉い人のままに敬う、ということを疑わずに生きる習慣である。

ソクラテスの問答は、「よいこと」のどれにも「疑い」を持ちこんだ。しかも、人の意表を突く問いに満ちていた。おそらく、ソクラテスがひとりで己の知を吟味していたときに見いだした論なのであろう。しかしその問いが若者のあいだで流行して、くりかえし論じられるようになると、社会の秩序を維持している長幼の序も疑われるのではないかという懸念が生じた。さらにソクラテスは、独特の問答で実際に社会の権威者たちを締めあげていた。それは反抗期の若い人にとって痛快なことだった。一般社会がその行為に懸念をいだいたとしても、おかしくはない。この懸念を背景に、ソクラテスは社会の良識の破壊分子として七十歳にして裁判にかけられ、自分の信念を曲げなかったために死刑になったのである。紀元前三九九年の春のことだった。
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ソクラテスという人物と彼の哲学

『哲学の始原』より

まずはソクラテスを説明しよう。ソクラテスは、プラトン(紀元前四二七~三四七)とクセノポン(紀元前四二七~三五五)によってじつに多くのことが伝えられている。それゆえ、古代中世のほかのどんな哲学者よりもよく知られている。しかしプラトンとクセノポンは同世代であるが、ふたりともソクラテスより四十歳あまり若かった。そのため、ふたりはソクラテス自身が哲学をはじめたと思われる二十歳ないし三十歳のころのようすは知らない。若者が年寄りの若いころの恋愛を知らないようなものである。プラトンとクセノポンのふたりが直接に知っていたのは、六十歳を超えたころからのソクラテスである。

しかし老年のソクラテスに独特の癖があったことがプラトンによって報告されている。それはプラトンの作品『饗宴』にある。ソクラテスはたびたび、ところかまわず人通りを避けてきわめて長い時間ひとりで立ちつづけていたという。またソクラテスは、六十歳を超えてもたいてい裸足でいたことや、長期にわたる空腹にも苦しまなかったともいう(スパルタとの戦争でアテナイは一か月ほど兵糧攻めにあった)。

これらは内容から見て、年をとって身につけたものではなく、若いころからそうであったに違いない。これらの行動を老年になってはじめるのは、肉体的に無理だと思われるからである。

さらにデルポイ市にあったアポロンの神殿に彫られたことば「汝自身を知れ」を、ソクラテスが座右の銘にしていたことも、プラトンとクセノポンによって伝えられている。これは、ソクラテスが若いころから「己を知る」ことにとり組んでいたことを示している。ひとりで立ち尽くして考えていたことを考えあわせると、ソクラテスは若いころから何よりも「己自身を知ろう」と考えていたと推察できる。

では、彼は、自身の何を知ろうとしていたのか。

自分の性格とか運命とかではない。彼自身の言によれば、自分がどれだけのことを知っているか、またどれだけのことを知らずにいるか、ということであった。つまり自分がもつ知にこだわって、それを知ろうとしていたらしい。

裁判の弁明でソクラテスは、神託を受けとったとき、すでに「大なり小なり無知を自覚していた」と述べている。ということは、彼は遅くとも四十歳前後には、このような自覚をもっていたと思われる。彼は、多くのことがらのうちいくつかについては、「知らずにいる」ことを確かめてきたと言う。したがって、ソクラテスは若いころからずっと自分のもつ知識を吟味して、その結果として、さまざまなことについて、自分の無知を自分自身に対して、くりかえし明らかにしていた、ということになる。

しかもこの作業を、ソクラテスはだれかと討議(問答)して行っていたのではなく、自分ひとりのなかで行っていた、そう考えなければならない。なぜなら、プラトンやクセノポンが伝える「他者との問答」は、四十歳前後でソクラテスが神託を受けとったあとで、ようやくはじまったと思われるからである。それは『弁明』における彼の言から推測できる。

彼は神託の意味を知るために、本当に「いやいやながら」、あるいは「躊躇しつつ」他者との問答をはじめたと言っている。そのときになっていやいやはじめたことが、以前からときどきなされていたと考えるのは不合理である(プラトンの対話編はそれ以前になされた著名なソフィストとソクラテスの問答を描いているが、そのほとんどがプラトンの創作であるというのが事実なのだ)。さらに彼が「ひとりで」長いあいだ立ち尽くしていることがよくあったというプラトンの報告であるが、この癖は、すでに述べたように若いころからのものだろう。かれはひとりでじっくりと考えていたのである。それゆえ彼が他人と問答をはじめたのは、彼が哲学をはじめた当初からではないと、あきらかに推測できる。

また、もしもだれかと討議することを通して、ソクラテスが共同で無知の自覚をもっていたとしたら、その人物もソクラテス同様に無知を自覚する哲学者として知れわたり、プラトンやクセノポンによってソクラテスと並び称されていただろう。しかしプラトンは、「ほかに同様の人間を見つけることができないほど特別の人問」(『饗宴』)と報告している。

したがって、ソクラテスは、まずは自分のなかだけで自己の知の吟味を行い、神託を受けとったあとになって、人に問いかけて他者の「知の吟味」を行うようになったのであろう。そして自分ひとりでの「知の吟味」は、おそらく神託を受けたあともつづけられていたはずである。

これはソクラテスの哲学の本質(源泉)理解にかかわっている。ソクラテス自身が彼の哲学を説明している弁明の場でこれらに言及しているからである。他方、プラトンの行動や思索(哲学)は、これらのいずれもまねていない。プラトンは考察するときひとりで立ち尽くしていたとは伝えられていないし、「汝自身を知れ」を座右の銘にもしていない。プラトンはソクラテスの第一の弟子であるかのようにいわれることが多いが、意外にもプラトンの哲学には、ソクラテスの哲学の本質(本源)に一致するものがまるでない。

プラトンの作品の登場人物は、「知の吟味」をもっぱら、ふたり以上の人間が参加する問答ないし討議で行っている。これはソクラテスが神託を受けたあとにはじめたことを、神託の内容とは無関係なものとしてプラトンが受けとっていたことを意味する。

事実は、ソクラテスはみずから哲学し、「己を知った」あと、「無知の自覚」を得て、その後にデルポイの神託を受け、この神託によって他者との問答をはじめた。これに対してプラトンは、ソクラテスが人々に対してはじめた問答を若いころから見聞きして、それをまねて自分の哲学を語った。ソクラテスがそれ以前に行い、アポロンの神から称賛を受けた哲学の作業(自己の知の吟味)を、プラトンは直接には知らないのだ。

ソクラテスがひとりでしていたことは、かなり特別のことであったと思われる。じっさい「己がそれぞれのことについてどれだけ知っているか」を自分ひとりで吟味できる人は、彼のほかにいなかっただろう。

試験を受けて満点がとれなかったとか、本を読んで自分が知らなかったことがたくさんあることに気づいたといったことならば、たいていの人間が経験する。しかしそれは、自分が知っていることと知らないことを全体的に明らかにすることではない。「そのときまでは」自分が知らなかったものがあったことをあらためて知った、ということにすぎない。

知ってはじめて「それ以前は知らなかった」ことに気づいても、それは過去の時点において自分が無知であったことの自覚であって、ソクラテスのいう、いま現在の「無知の自覚」ではない。現在の自分がどれほど知った状態にあるのか、あるいは「知らない」状態にあるのか、それではまったく明らかにならない。過去の自分の無知に気づくことは、現在の自分の知と無知の境界が見えるということではない。

ソクラテスは、とにかく容易にはうかがいしれない方法で、孤独な作業のなかで己の無知を見定めるようになった。その後のことについては、裁判における本人の弁が教えてくれる(プラトン『ソクラテスの弁明』)。

あるとき友人のひとりカイレポンがデルポイの聖所に出かけていき、「ソクラテスより知恵のある者はいるか」とたずねた。巫女の口から出たことばは、「より知恵のあるものはいない」であった。カイレポンは、その神託をソクラテスに伝えた。驚いたソクラテスは、その神託の意味を知ろうと、巷で知者と思われている人々に質問を浴びせてみた。するとどの人物も、とり巻きの人々から知者と思われているし、本人もそうだと思っているが、じつは少しもそうではないことが(ソクラテスには)判明したという。

この経験が何を意味するかを考えたソクラテスは、結局、巷でとにかく人を呼びとめて質問を浴びせ、自分を知者だと思いこんでいる人に、本当は「知者ではない」ことを思い知らせることが、神から自分に与えられた自分の使命なのだ、と合点したという。それ以来、ほかのことはさておき、神を信じて、何よりもこの仕事を一生懸命につづけてきた、と彼は述べている。
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激変(一九五八年) 奇怪な状況

『核の脅威』より 激変(一九五八年)

奇怪な状況

 限りなく増大した無限

  隠喩的な意味では、「無限の力」は昔も存在していた。たとえば植民地戦争には無限の力が見られ、そこでは征服者の力が原住民の武力を何倍も上回っていたため、原住民の武力は(相対的に)無に等しかった。しかし今日問題なのはこういう隠喩的な無限ではない。国家が今日、獲得し所有し得る力は単に個々の敵国に対する関係において最大であるのではなく、つまり相対的に最大であるというのではなく、絶対的に最大のものである。「絶対的に最大のもの」とは以下のことを意味している。

   (a) それ以上に大きな力を持つのは考えられないこと。
   (b) どんなに大きな力でも、実際には、すでに所有されている力より決して大きくないこと。なぜなら、たとえば四千発の水素爆弾の所有者は二千発の所有者より多くを持っていることにはならないからである。どの国でも最低限度以上の核兵器を所有しておれば、それだけですでに全能になっているからである。

  こういう考え方は分かりにくいとは言えない。しかしこういう考え方には明らかに、難解というのとは種類の違う抵抗がある。とにかく、こういう考え方で押し通すわけにはいかない。それどころか、こういうアナロジーはばかげているが、現代の他の産物の性質と全く同じように、全能も当然高められ「改良され」得るとみなされている、つまり無限なものは当然無限に増大され得るとみなされているのである。現代の全く別種の「現代最高の」産物、つまり(理論的にも実践的にも)全く新しい仕方で扱わねばならない産物に 軽率にも(すなわち単に類推にすぎないことも分からず)、普通の古風な産物の大半に妥当する規則を適用しているわけである。

  別の箇所で示したように、現代人は自分が実際に製造したものの本当の規模や実際の効果を想像することができず、現代の産物を過去のカテゴリーや扱い方で処理できると信じて「時代おくれ」になっており、「製造」と「想像」という二つの能力のあいだの「プロメテウス的落差」が、現代人の本質または現代人の破廉恥な本質喪失となっている。現代人が自分の作った「無限なもの」を無限に増大させようと努力していることは、われわれのテーゼが正しいことを補足的に証明するもの、少なくとも新しい仕方で説明するものである。

 全能の複数化

  「核兵器」を所有して全能を獲得したのは一国だけではない。合衆国が核の独占を失って、全能は他の諸国の特質ともなり、全能は「複数化」された。いろいろな国が最大限の力を持っている以上、これは哲学的には、「最大の力」というものはもはや存在しないことを意味する。最上級は意味を失った。「大きな全能」と「小さな全能」とを区別することができないから、考えてみれば比較級も同様に無意味になってしまっている。全能の所有者には「自分たちが所有しているもの(=過去数十年間の出来事が示していたもの)が何であったかがまだ分かっていない」から、同盟国同士の競争にしても敵国との競争にしても、ぱかげた闘争であるか、少なくともそれに類したものになっている。

 全能によって大国に

  (核以外の)あらゆる点で小さくて、比較にならぬほど他国より遥かに小さな国は、この全能を獲得して、列強が持っているのと岡じような力を得ようとするかもしれない。現にすでにそうやっている国がある。(フランスだけではないが)フランスの場合を見れば、列強という階層から転落した国は、そういう地位に迎することがおそらくもうないのは明らかである。それに対して、核以前の政治目標を今日なお努力目標として掲げている国は、全能状態という回り道を通って実質的に大国の状態になろうとしている、つまり絶対的な大国という回り道を通って相対的な大国に立ち返ろうとしている。こういう回り道は極めてばからしいものに思われるが、本当に奇怪なのは、そういうやり方が広く流布していることだ。すなわち、伝統的手段では伝統的意味での大国の状態に到達できない国が、絶対的な力を獲得できることだ。というのは、絶対的な力を獲得することは完全に技術的な課題であって、こういう課題は今日では産業的・科学的に発展した国であればどういう国でも、明日にも解決できる課題だからである。

  「全能によって大国に」なろうとするこういう計画は、たとえばド・ゴールが自分のプログラムにはっきり組み込んだものである。今日ではフランスにとって正しいことが、明日には他のどういう国にとっても安上がりにできるものになり、この方法が広く試みられるようになるのは明らかである。

  大国が全能を独占しているのは間違いがなく、「大国=全能」という等式は今日ではまだ正しい。しかしこの等式を不朽のものにしようとどう試みても、明日にはおそらく、遥かにもっと悪魔的な等式が、つまり従来のものとは逆の等式が支配的になるだろう。明日の等式は「大国はすべて核大国である」ではなく、「どの核保有国も大国である」というものになるだろう。全能の領域に踏み込むのに成功すれば、ある国が大国をステップにして激変したのか、それとも小国をステップにして激変したのかを問題にする者はもういないだろう。なぜなら、全能の状態に達すると、量)になってしまうか無視できるくらいの質になっていない差はなく、量的な差も質的な差もなくなり、およそ差というものがなくなっているからである。

  昔からさまざまな宗教が教えていたことだが、神の全能の前では王と乞食との力の差も大きさの違いも消えてしまうということが、われわれがその所有者となった全能を見れば正しいことになるだろう。全能を手中に収めた者たちの王座を前にすれば、以前なら小さな力のあいだにあった力の差は微小なものになるだろう。「非核保有国」はすべて、偶然にも政治的または肉体的な存在は抹消されていないが、余命いくばくもないものとして我慢強く生き続けることになるだろう。

 無力な大国

  これまでの記述では、脅迫されたりカを奪われたりするのは「非核保有国」だけのように思われる、これは全く不完全どころか、完全に間違っている。この状況の奇怪さの本質は、脅迫する側も自動的に脅迫される側になるところにあるからだ。すなわち、「保有」が「非保有」より少しも良くなく、おそらくもっと悪い状況になるところにあるからだ。「ミサイル発射台はミサイルの攻撃目標である」、すなわち、全能の道具を持てばたちまち攻撃されやすくなるからである。このことが示しているのは、(他国に対しては脅迫を強化する以上)脅迫する側はすべて間接的に自分自身を脅迫しているということにほかならない。

  脅迫する側が脅迫されているこの状況は、もう十分に不安なものになっている。しかし脅迫されている脅迫者が増えるにつれて、もちろん世界全体が脅迫されるようになる。互いに脅迫し合うこの現在のシステムを解体するチャンスがあるとすれば、それは当然、脅迫者の数を可能な限り少なくしておく場合だけである。

  言い換えれば、全能を有する側はすべて、他の保有国を全体的に消滅させ得るだけでなく、他の保有国によって消滅させられることもあり得る以上、どの保有国もすべて完全に強力であるだけでなく、完全に無力でもある。この種の無力も昔は存在していなかった。在ったとしても相対的なものでしかなかった。完全な全能が同時に完全な無力であれば、完全な全能というものそのものが奇怪なものであるのは明らかである。

われわれが全能なのは、われわれが無力だからである

 われわれが成し遂げた怖ろしい「激変」について繰り返し述べてきた。

 問うてきたのは、「激変」が問題ではないかということだけである。われわれがいま直接出遭って大いに驚いている状況は、われわれ自身が激変したから起こったのではないか。おそらく、技術の自動的な進歩こそ、われわれを新しい状態に投げ込んで激変させた元凶だとみなすのも、それに劣らず正しいかもしれない。いかにプロメテウス的であろうと、われわれはまさに惨めであって、ブレーキのきかない盲目のプロメテウス的存在だからである。自分のしていることを見ることができず、自分が好きこのんでやっていることを止められないプロメテウス的存在だからだ。これはわれわれは強力であるにもかかわらず無力であるという--すでに時代おくれになっている--「魔法使いの弟子」の真実を繰り返しているのではなく、逆に、われわれが全能であるのは、われわれが(自分の作った自動機関と比べると)無力だからである。われわれには、自動機関を制御するのに不十分な力しかないからである。

 こういう考え方に注意していただきたい。それこそまさに「核の神学」と名づけたものの基本的定式だからである。したがって繰り返して言っておく。われわれの全能の根源、つまりわれわれの「神のごとき状態」の根源はわれわれの無力である。

 もちろんこの命題が慰めになるわけではない。われわれの破局は、破局に陥ったのは偶然だということでどうかなるものではない。--ましてや、この命題を良心をいだくための薬に使う過ちを犯してはならない。われわれは(少なくとも数百万人は)、(飛び込んだか押し出されてか)新しい状態に達したときその状態を歓迎した、しかも自発的にその状態に飛び込んで途方もない大声で歓迎の意を表明しただけに、そういう過ちを犯してはならない。その状態が始まったのは、不必要だった(〔一九四五年六月十一日にシカゴ大学の七人の科学者による『政治的・社会的問題に関する委員会報告』である〕フランクレポート参照)ばかりか、宗教的に祝福され国民の誇りともされた原爆投下だったのだから、倫理的には、それは単に魔法使いの弟子のように偶々やった始まりではなく、意図的に始められたと判定されねばならない。
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