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本のネット化

本のネット化

 本を完全にネット化したらどうなるのか。借り方も違うし、読み方も違うし、残し方も違う。

 最低、新刊書コーナーで本を取り合うことはなくなる。物理的な存在でなくなるので。

メインボード交換で6万7千円

 パソコンはメインボード交換で6万7千円。アホか。6冊分だけのコンテンツは捨てましょう。必要なら、必ず戻ってくる。それよりも保証期間が過ぎたら壊れるようになっているハードの方が私に何をやらせようとしているか。

豊田市図書館の新刊書冊数

 本当に冊数が減った。それとチープな本が主流になっている。本当に小粒になっている。高い本はTRC配下の岡崎市図書館に頼ろう。ネットでのリクエスト。
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豊田市図書館の30冊

209『いまがわかる 世界史の教科書』

159『辛口サイショーの人生案内』コーヒーと一冊 あなたの悩みに、おこたえします。

188.84『禅、「お金」の作法』人生の流れが美しくなる

019.9『東大教授が、新入生にすすめる本 2009-2015』

673.94『本物のカジノへ行こう!』

540.67『君がいる場所、そこがソニーだ』ソニーを去った異端たちの夢

288.1『世界の名前』

191.5『天使とは何か』キューピッド、キリスト、悪魔

291.09『ニッポン100』「旅の手帖」が選んだ絶景・まち・文化遺産 死ぬまでに行きたい!

293.7『甘くて、苦くて、深い 素顔のローマへ』

332.3『新西洋経済史講義』--史的唯物論入門--

289.3『ヒラリー・クリントンの言葉』

023.1『オビから読むブックガイド』オビ、またあります--。

013.8『デジタル環境と図書館の未来』図書館サポートフォーラムシリーズ これからの図書館に求められるもの

493.24『しなやかな血管 いきいき血管』健康寿命をのばすために知っておきたい65のはなし

367.1『別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイド』うまくいかない関係に潜む“支配の罠”を見抜く

336.1『もしも、あなたが「最高責任者」ならばどうするか?』

188.86『禅の教室』座禅でつかむ仏教の真髄 伊藤比呂美が共著になっている。

141.33『学びとは何か』--<探求人>になるために

302.38『アイスランド・グリーンランド・北極を知るための65章』

329『国際法』

222.01『史記列伝(五)』

143.7『中高年がキレる理由』

210.59『幕末遺外使節物語』夷狄の国へ

493.7『教えてルモアンヌ先生、精神科医はいったい何の役に立つのですか?』

302.48『ナミビアを知るための53章』

289.2『アウンサンスーチーもミャンマー』

366.14『ベーシック労働法』

159.4『社会人に必要な9つの力』

304『悪魔のサイクル』日本人のよりかかり的思考
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震災は日本を変えたのか 地方自治体の学んだ教訓とつかんだ機会

『3.11 震災は日本を変えたのか』より 地方自治体の再活用 窓は開かれた 地方自治体における変化のナラティブ

三・一一という大災害は、論争の的である地方行政改革--地方分権、地方自治、地域化---をめぐる議論にふたたび火を付けた。日本のある大都市の幹部職員は三・一一の主な教訓として、こう語った。「これまで継承されてきた、中央から都道府県、都道府県から市町村、という三層のモデルは機能しませんでした。地方が地方を助けるために団結せざるを得なかったのです」。兵庫県の井戸知事はこれに同意し、ペアリング支援制度は全国で制度化されるだろうと示唆した。しかし、地方自治体が学んだ教訓を生かすために、法改正や、法的指針さえも待つつもりはないのは明らかだった。政府が教訓を求めて三・一一についての調査を行なっているあいだに、地方自治体は事実上、防災と災害対応のプログラム強化に乗り出したのだぺ。徳島県知事の飯泉嘉門は全国知事会の会議で、その理由を、全体のビジョンを確立すべき政府が自分の果たすべき役割を決定できない以上、それをする責任は知事にあるからだと説明した訥。

だが知事たち、とくに東北の知事からは、行政改革のためにふさわしい教訓とはなにか、よくわからないという声も上がっている。全員が「カウンターパート方式」に前向きで、宮城県の村井知事や福島県の佐藤知事は、この制度が早急に全国的に確立されるよう呼びかけた。だが、地域全体の行政改革を「時期尚早」と判断しつつ、より東北の状況にかなうのは関西のような広域連合か、それとも道州制なのかという点では意見が割れている。ローカル化への改革がより望まれているときに、東北広域連合を設立しても単に政府の計画のための「受け皿」になるだけではないか、という懸念の声もある。これと同じ分裂が、道州制への展望についても見られる。村井知事が、道州制を将来、住民の助言も仰いで導入することがきわめて重要になると述べたのに対し、秋田県知事の佐竹敬久は、道州制は権力集中の新たな形態を招くのではないかとの懸念を示した。一方、地方公務員は、三・一一によって中央政府と地方との関係が今まさに転換しつつあることが明らかになったとはいえ、中央政府の役割はまだ存在すると認めている。ある岩手県復興局計画担当者は構造的問題について、縦割り行政は相変わらず県にとって問題で、土地利用、財政、港湾管理といった、中央省庁の権限の重複に対処すべき分野はとくにそうだと述べたが、三・一一によって、各県の横や斜めの結び付きはかつてないほどに強まっていると明言した。ある専門家は、日本は地方レベルで政策の効率化に向かって「じわじわと」進んできたが、新たな協力体制に向けては疾走してきたと説明する。その体制が、三・一一当時、混乱した政府とは裏腹に早急な対応を可能にしたのだに。総務省が二〇』三会計年度予算要求で「カウンターパート支援」に一五億円を割り当てたことによって、その混乱はようやく少しは落ち着いたようだ宍。

これについては、二○一二年三月に内閣府の中央防災会議が中間報告を行なっている。ほぼ一年がかりのその調査は、主に政府機関の当面の危機対応に対する評価と、(それまでにおなじみになっていた)情報伝達、救援物資の輸送、人員、燃料供給、避難所、医療における障害をつきとめることに焦点を当てたものだった。その報告書は、災害対応の改善のために増えつづける勧告で埋め尽くされた。それは、災害時には、政府、地方自治体、民間企業、個人それぞれが不特定の役割と責任を負うものと結論づけ、最終報告書では詳述されていないものの、法改正が望ましいとしている。だが、危機管理における中央と地方の関係の大きな変化については、ほとんど述べられていない。三・一一から一年以上たち、日本は総合的な分析を待ちつづけていた。

その分析が政治に後れをとったのは、あの災害に見舞われたのが地方自治体にとってとりわけ不安定な時期だったからだ。二〇一一年六月、総務省の諮問委員会は、府県に政府機能を持たせることでより大きな権限を委譲する方法について報告を出した。そこでは、地方自治法を改正し、震災後の救援に主導的役割を果たした広域連合にさらなる権限を与えることが提案されている円たしかに、出だしでつまずき数十年がすぎて、大衆主義のリーダーらはすでにイニシアチブを取りはじめていたが、三こ一によって彼らの反中央というメッセージはより伝わりやすくなった。名古屋市では、元衆議院議員で、二〇〇九年に反中央の声を上げて地方レペルヘ移行した河村市長が、地域政党「減税日本」の共同設立者となり、二〇一一年二月には民主党の対立候補の三倍の票を得て再選された。河村は地方自治体の首長のなかでも、もっとも精力的に三・一一後の東北を支援した一人だ。だが、地方行政についてもっとも耳目を集める抗議を申し立てたのは、河村と類似した志向を持つ橋下徹だった。前大阪府知事の橋下は、地方行政改革を掲げて二〇一一年一一月に大阪市長となった。多くの知事とは違い、橋下は道州制を擁護している。「道州制という大号令をかけるしかない。しかし道州制など、口でいうだけではなにも進まない」

また別のところで橋下は、改革が進まない理由として、中央省庁は東京にあり、各役所の役人はどうしても東京からの視点でしかモノを考えられないからだと述べた。彼はこう提案する。「地方のことは、地方に任せることが最良の策なのです。なぜならその地のことは、そこに生まれ、そこで生活する人間がいちばんよくわかっているからです。言葉が悪くなりますが、今すべての地方は霞ケ関に『隷属』しているような状況です」宍。この問題に少なからぬ効果を及ぼすために(あるいは政治上の盟友を見きわめる試金石として)、橋下は二〇一二年初頭、「大阪維新の会」という政党を立ち上げ、維新政治塾という政治教育の場をつくった。国政レベルで、自民党や民主党に対抗する候補者を養成するためだ。橋下の人気は、三・一一の直接的な結果ではないが、三・一一は彼に力を貸した。彼の政党のマニフェストは、三・一一がくっきりと浮き彫りにした、いくつかの問題にまともに向き合っている。そのマニフェストとは、道州制を擁護し、地方交付税制の代わりに消費税を地方税化し、大阪市と大阪府の統合を目指し、原子力発電の廃止を訴え、憲法改正により総理大臣の直接選挙と参議院の廃止を求めるものだ。かなりの批判(ヒトラーやムッソリーニとの比較から、既存の政治家らに「ファシモト」と呼ばれることもあった)にもかかわらず、橋下は三・一一後、日本でもっとも注目された政治家となった。彼の努力は、地方自治法の改正に賛成する自民党や民主党の支持者を刺激した。その改正とは、地域連携の強化だけでなく、ある程度以上の規模のすべての市に都道府県の権限を持たせることだ。これほど広い分野にわたって、地方の力を国の力に変換することを迫った者は、これまでだれもいなかった。しかしまた同時に、地方行政がここまで多くの日本人にとって大問題になったことも、これまでほとんどなかったのだ。
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福井地域学 転換期の原子力産業

『福井地域学』より 非製造業

(1)何故、福井県に原子力発電所が集中立地したのか

 日本に原子力発電所が立地し始めて半世紀あまりが過ぎた。一九五五(昭和三〇)年、発端となる財団法人日本原子力研究所が設置されてからのことである。ちょうどその頃、日本は高度経済成長期にあり、全国各地で企業誘致を軸とした地域開発が進められていた。原子力発電所の立地もまた、地域経済の活性化を図るため企業誘致と共通する期待感があったのであろう。福井県では、日本原子力発電所の研究用原子炉を関西に建設する計画が予定候補地の反対から難航したのを契機に、福井県原子力懇談会が中心となって、その研究用原子炉を福井県に誘致しようという運動が惹起されたのである。そして、遠敷郡上中町(現在の三方上中郡若狭町)と坂井郡川西町(現在の福井市)が名乗りを上げた。一九六〇(昭和三万年のことである。

 それまでの福井県では、「後進県からの脱却」を目指して、真名川総合開発と奥越電源開発、福井臨海工業地帯の整備を二本柱に地域開発が展開されていたが、当時の全国的な流れとして、福井県でも原子力発電所の立地が重化学工業の誘致と同様のものとして捉えられたのであろう。早くから原子力懇談会を設立していた福井県では急速に原子力発電所誘致の機運が高まっていった。ただ、最初に名乗りを上げた上中町は住民の合意が得られず、川西町も立地要件とされた地下五〇メートル以内に堅固な岩盤が発見されず候補地から脱落。しかし、日本原電の当初からの思いである〝茨城県東海村に次ぐ商業用二号炉は関西方面の日本海側に設置する〟とする方針は曲げられることはなく、次に浮上した有力候補地が福井県敦賀市であった。こうして福井県では、日本原電が敦賀側を、関西電力が美浜側を開発することが決定し、福井県に原子力発電所が集中立地することとなっていった。その結果、一九六七(昭和四二)年から建設が始まった原子力発電所は、一九六〇年代後半から七〇年代初頭にかけ嶺南地域に立地が進み、ピーク時には関西電力の商業用原子炉を中心に大飯・高浜を合わせ一五基にまで達した。

(2)原子力発電所立地地域からみたエネルギー政策とはどうあるべきか

 二○一一年三月一一日、突如発生した東日本大震災とそれにともなう東京電力福島第一原子力発電所の事故は、これまでの原子力政策を大きく見直す契機となった。そして、当時の民主党政権下で「革新的エネルギー・環境戦略」が策定された。それは、エネルギーミックスの選択肢を中心に論議されたものであるが、大きな問題点の一つに地域の視点が欠けていることであった。エネルギー政策の再見直しには地域の視点を反映することが必要である。こうした観点から、福井県立大学地域経済研究所では、二〇一三年、『原子力発電所と地域経済の将来展望に関する研究』と題して、エネルギー政策の再見直しの方向性を地域の視点から提示した。ここでは、その主要な内容を紹介しよう。

 ①「あるべき姿」の目標時期を二〇六〇年頃に

  「革新的エネルギー・環境戦略」では「あるべき姿」として二〇三〇年のエネルギーミックスを描いているが、原子力発電所の計画から運転までの時間(リードタイム)を考慮すると二〇三〇年は現実的ではない。エネルギーミックスの再見直しで「あるべき姿」を描くとすれば二〇六〇年頃を基準に方向性を示すべきではないか。

 ②再生可能エネルギーの見通しに地域の視点を十分含めること

  再生可能エネルギーは、地域による気象条件や自然条件などで生産性に格差が生まれる。そのため、地熱発電や風力発電の適地は北海道や東北、九州に集中し、水力発電は北陸、東京、中部および東北に集中している。太陽光発電は建造物に設置されることから人口密集地の都心部ほど高い。つまり、再生可能エネルギーは必ずしも地方分散型の電源とはいえない。さらに、原子力発電が大量消費する大都市圏の電源として利用されてきた実態と合わせ考えれば、再生可能エネルギーが普及しても原子力発電の代替エネルギーとなりうる余地は限られてくる。とりわけ関西地方周辺の再生可能エネルギーの適地は少ないことから、大都市圏の電力供給は原子力発電によることが現実的である。

 ③原子力発電の見通しに地域の視点を含めること

  原子力発電所が稼働してから半世紀を迎える現在まで、国と立地地域の信頼関係が原子力政策の展開を可能にしてきた。特に、福井県は県民の安全確保を図る立場から事業者との安全協定の締結や独自の安全対策を他の地域に先駆けて実施、国の安全規制強化にも寄与してきた。どのような政策でも当事者の理解と行動なしに実現することはありえない。于不ルギー政策の推進に立地地域の理解が不可欠であることは原子力政策の展開から明らかである。エネルギーミックスの再見直しに際しては立地地域との信頼関係を軸に、地域の視点を十分に踏まえなければならない。

 ④立地地域の経済的影響を十分に考慮すること

  原子力発電の在り方を考えるうえで、立地地域の経済的影響に配慮することは重要である。立地地域の多くは人口の少ない町村で、一つの地域に複数の原子力発電所が集積していることから、地域経済に占める原子力発電および関連産業の割合が極めて高い。従って、原子力政策の在り方が地域経済に大きな影響を与えることになり、国内ではほとんどの原子力発電所が停止している現在、既に立地地域の経済情勢が悪化している事実は云うに及ばない。今後の原子力政策については、原子力発電所が地域経済活性化に果たした役割を十分に検証し、立地地域に配慮した政策形成を行わなければならない。

 ⑤原子力発電の安全性向上を依存度だけの問題にしないこと

  エネルギーミックス見直しの背景には福島原発の事故があり、原子力発電所の安全性への配慮から依存度の提言と二〇三〇年代の稼働ゼロが「革新的エネルギー・環境戦略」によって提起された。しかしながら、原子力発電所の安全性は依存度だけで測れるものではない。一九七五年から始まった原子力発電所の改良標準化計画は一九八五年までに第三次までを終え、現在は次世代軽水炉の開発が進められている。計画には電力会社、メーカーが参加しており、第二次、第三次改良標準化などプラン卜全体は技術的に安全性が数段向上していると考えられる。より安全な原子力発電所を運転することが重要ではなかろうか。

  また、一基ごとの出力も向上しており、敦賀三・四号機では各一五〇万キロワットを超え敦哲二号機の四倍以上となる。原子力発電への依存度が出力だけでなく基数でも考えられるとすれば、安全性の向上した新しい原子力発電所を運転しながら、長期的リプレースを視野に入れることが必要かも知れない。

 ⑥原子力政策に対する国際的な視点の導入

  福島第一原子力発電所の事故は、世界第三位の原子力大国で有数の技術大国でもある日本で発生したことから、世界的に大きな衝撃を与えた。それでも世界の大勢は原子力支持のままであり、この中で日本が原発ゼロを目指すのは、蓄積してきた技術基盤・人材基盤を失うだけでなく、国際社会において原子力の平和利用やエネルギー・環境問題、新興国の技術協力が不可能となる。福島原発の事故で得た新たな知見・知識を世界に積極的に発信するとともに、日本の持てる技術力を最大限に活用し世界の原子力発電所の安全性向上に貢献していくことが責務ではなかろうか。また、廃炉技術で国際貢献をすべきという意見もあるが、原子力発電所の建設・保守やトラブル対応の技術と重なる分野が多くあるため、日本が廃炉技術で世界に貢献していくことも原子力発電を一定割合で継続していくことが求められる。
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沈黙の螺旋とマスメディア

『メディアは社会を変えるのか』より マスメディアは世論にいかなる影響を及ぽすのか

「空気を読め」という圧力

 マスメディアと現実の認知との関わりを論じるうえでもう一つ重要な研究が沈黙の螺旋理論です。なんとなく中二病っぽいネーミングですが、ドイツの世論研究者であるエリザベート・ノエル=ノイマンによって提起されました。この理論を紹介するうえでまず考えてみたいのが「空気」の問題です。

 数年前にKYという言葉が流行ったことがあります。「空気が読めない」の略語ですが、流行りが終わった後でも空気が読めない人が疎んじられる風潮が変わっていないように思います。多くの人に好まれないことをしたり言ったりする人物が槍玉に挙げられるわけです。ちなみに高校時代、筆者はよく空気が読めないと言われていました。だからどうしたと言われても困るのですが。

 空気を読むことを重視するのは日本人の特徴だと言われることがあります(山本1983)。しかし、実際には個人主義的で自己主張が強いと言われる欧米人であっても、空気を読むという指摘があります。自分の意見が少数派だと認識すると、人は自分の意見をあまり人前で言わないようになる。逆に多数派だと認識すれば、より雄弁に語るようになるというのです。空気という言葉こそ使われていませんが、これが沈黙の螺旋理論の重要なポイントなのです。

なにが多数派の意見なのか

 それでは、人はどうやって自分の意見が多数派/少数派なのかを知るのでしょうか。仲間との会話であればその判断は難しくありませんが、世論全体となるとそうはいきません。たまたま自分の周囲の人たちが同じような意見を持っているからといって、世論全体がそうだとは限らないからです。そこで世の中の意見分布を知るための重要なバロメーターになりうるのがマスメディアです。マスメディアは世論調査のような方法だけではなく、コメンテーターによるコメントやインタビューなどを伝えることで、世の中の意見分布を人びとに周知させていきます。

 周囲の観察やマスメディア報道を通じて、人びとは自分の意見が多数派か少数派かを知るようになります。意見分布の状態を判断する人びとの能力をノエル=ノイマンは準統計的能力と呼んでいます。準統計的能力によって自らを多数派だと認識した人は明確に意見を表明するにようになり、少数派だと認識した人は意見の表明を控えるようになる。すると、多数派の意見はますます多数派であるように見え、少数派の意見はますます少数派に見えるようになる。実際の意見分布は6:4ぐらいであっても、語られる意見の割合は7:3、さらには8:2ぐらいになっていくかもしれない。こうした流れこそが沈黙の螺旋と呼ばれるものです。マスメディアはどの意見が多数派なのかという認知を人びとのあいだに作り上げていくことで、世論に影響を与えていくというのです。

「あえて空気を読まない」人の大切さ

 ただし、沈黙の螺旋が生じて少数派の人びとが口を閉ざすようになったとしても、すべての少数派が黙ってしまうわけではありません。少数派であっても、あるいは少数派であるからこそ、より雄弁に自分の意見を語る人が出てくることもあります。沈黙の螺旋理論では、こうした人びとはハードコア層と呼ばれます。空気を読めない人、あるいは空気をあえて読まない人と言うこともできるでしょう。こういうとバカにしているように聞こえるかもしれませんが、実際には民主主義社会の健全さは空気を読まない人の存在にかかっています。いや、筆者が「空気が読めない」と言われていたからこういう主張をしているわけではありません。

 全体主義社会とは、思想や言論の多様性が許容されず、政治指導者が決定した方針に全員が従うことを求められる社会であると考えられます。ハンナ・アレントは全体主義社会において自由な言論が許容されるのは強制収容所のなかだけだと語っています。というのも、強制収容所に入れられた人間はいずれ死ぬことになるので、彼らがなにを考えようが、なにを語ろうがもはや重要ではないからです。こうした全体主義は民主主義とは対極的な政治原理であるかのように見えるかもしれませんが、この両者がきわめて近い関係にあることはしばしば指摘されるところです。民主主義のもとでは往々にして多数派の意見を少数派に押しつけ、後者の声を圧殺しようとする動きが生じるからです。

 たとえば、第4講でも取り上げた。1991年から翌年にかけての湾岸戦争にさいして、無実の人びとを殺さないよう米国兵士に訴えたバーバラ・スコットという研究者は、上院議員から裏切り者として非難され、脅迫状や彼女を解雇するように求める大学宛ての手紙が殺到することになりました。社会の調和を乱す発言をする人びとは糾弾されても仕方がないという見方もできるとは思いますが、ハードコア層が発言を続けない限り民主主義はすぐに全体主義へと転じてしまうことは覚えておくべきでしょう。実際、沈黙の螺旋理論を提起したノエル=ノイマンは、ナチスドイツにおいて宣伝研究に従事していたことが明らかにされており、この理論のベースにはナチスによる世論統制の方法論があるのではないかとも言われています。

 ただし、これまでの話とは矛盾するようですが、沈黙の螺旋が良い影響力を発揮することもありえます。第7講でも少し触れた差別の問題です。差別的な言動を抑制するための心理的なメカニズムとしては、差別は良くないという価値観を身につけることのほかに、差別的な言動をしてしまうと周囲から白い目で見られるかもしれないという不安があると考えられます。つまり、内心では差別的な考えを抱いていたとしても、それを表立って述べることで周囲の人びとから非難されたり、白い目で見られたりするかもしれないという不安や恐れが発言を控えさせるという可能性です。このような意昧での沈黙の螺旋の発動は、社会的にはプラスの効果を発揮していると言えるでしょう。もっとも、それを論じるためにはなにが好ましい沈黙の螺旋で、なにが好ましくないのかという価値判断が厳しく問われることにもなります。

沈黙の螺旋理論への批判

 他方で、沈黙の螺旋理論にもいくっかの批判が寄せられています。まず、人びとは世論の多数派といった曖昧なものではなく、準拠集団からの孤立を恐れるのではないかという指摘があります。たとえ世の中全体のなかでは少数派であることを知っていたとしても、自分が所属している、あるいは所属したいと願っている集団で共有されている考え方と合致しているならば、人はそれほど孤立を恐れないのではないかということです。たとえば、世間からは冷たいまなざしを向けられている政治グループの一員であっても、その集団内では多数派に属しているがゆえに意見を表明できるといった事例を挙げることができます。

 さらに、沈黙の螺旋理論では自分の意見が多数派なのか少数派なのかを判断できる準統計的能力が人びとに備わっているということが前提とされているのですが、その判断は往々にして間違っているという指摘も行われています。そこで挙げられるのが、意見分布の無知という現象です。意見分布の無知の説明としては次の逸話が挙げられます。ある町では宗教的な理由によってトランプ遊びが禁止されていた。ところが、ある旅人がその町にやってきてしばらく街の様子を観察していると、実際には多くの町民が隠れてこっそりとトランプで遊んでいることに気づいた。けれども町民たちはみな、トランプで遊んでいるのは自分たちだけで、ほかの町民は遊んでいないと認識していたという。つまり、トランプで遊んでいる町民は実際には多数派であったにもかかわらず、個々のトランプ愛好者は自分たちが少数派だと信じ込んでいたのです。あえて具体例は挙げませんが、みんながバカバカしいと思っているにもかかわらず、それを口に出すと角が立ちそうなので保たれているルールというのはたしかにありそうです。この意見分布の無知という観点からすれば、人びとの同調作用が発生するのは準統計的能力があるからではなく、逆に世の中の意見分布を正確に認識できないことに起因しているという考え方も可能になります。
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