未唯への手紙
未唯への手紙
二一世紀のフランス リーマンショック後
『図説 フランスの歴史』より 現代のフランス
リーマンショック後、サルコジ人気は低調へと向かったが、そのなかで改革も実施された。二〇一〇年には年金改革法案が可決され、年金の支給年齢の延長が決められた(この結果、拠出期間も長期化)。また二〇〇九年六月には「積極的連帯所得手当」という日本の生活保護に似た制度が導入されたが、必ずしもうまく機能しなかった。移民政策については、二〇〇七年に移民省を設置し、移民が家族を呼び寄せる場合にはフランス語の能力証明を課すなど、入国のハードルを高くするとともに、不法移民を雇用した者への制裁の拡大、偽装結婚の刑罰を重くするなど、取り締まりも強化した。
二〇一〇年には中東諸国で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が進展したが、それに伴って大量の移民(難民)が発生した。チュニジアとリビアからの移民の多くはイタリアに入国したが、ヨーロッパ諸国が調印しているシェングン協定によれば、彼らはイタリア入国後には自由にフランスに入国できる仕組みとなっていた。サルコジはこれに反発し、二〇一一年四月にはイタリアとの鉄道網を閉鎖し、協定の見直しを提案した。結局フランスが妥協し、イタリアの発行する滞在許可証を認めたが、ここでもEUとフランスの政策の間に齟齬があった。その後、「イスラム国(IS」」を原因とする難民についても、同じ問題が発生した(ハンガリーやドイツなど)。
二〇一二年の大統領選挙では、サルコジは再選されず、社会党のオランドが勝利した。この選挙での争点は、かつてのようにイデオロギーや「大きな政府」対「小さな政府」といったものではなく、緊縮財政を優先するサルコジと雇用拡大を優先するオランドといった路線の違いでしかなかった。そのため、第一回投票では両者の得票率はともに二〇パーセント代後半と僅差であり、むしろFNの躍進(一七・九パーセント)を印象づけた。FNは二〇一一年に党首がジャン=マリ・ルベンから娘のマリーヌ・ルベンヘと世代交代し、二〇一一年三月の県議会選挙で大きな躍進を見せていた。マリーヌ・ルベンは移民排斥という単一政策政党からの脱却を図り、単純な排外主義や父親の掲げた「小さな政府」を標榜することをやめ、ネオリペラリズムやグローバル化に反対して、フランス型の福祉国家モデルを擁護した。そして、ユーロから離脱してフランスの財政主権を取り戻すことを主張した。この政策転換が、保守や社会党によって切り捨てられたと感じる社会的「弱者」やヨーロッパ統合に疑問を持つ層を引きつけることとなった。FNの政策の実現性には多くの疑問が呈されているが、閉塞する社会状況のなかで、このようなポピュリズムが一定の国民を引きつけているのも事実である。
オランドはサルコジ政権下の緊縮財政策を転換し、公務員増大や雇用増、中小企業助成などによる成長戦略をとる一方で、富裕層への増税によって財政均衡の実現や社会保障費の捻出を行おうとした。だが、公約の実現は容易ではなかった。年間一〇〇万ユーロを超える高額の所得に対して、富裕税の税率を最高七五パーセントに引き上げることをオランドは就任後に提案していたが、二〇一二年て一月の憲法裁判所の違憲判断のために、成立した内容では、税負担の対象を個人から企業に変更し、二年間の時限措置となった(一五年一月に終了)。
改革が予定通りに進まず、景気浮揚の兆しが見えないなか、財界は人件費の高さと労働規制の強さを問題とし、人権費の削減と労働市場の柔軟化をめざしていた。これに対し、労働側は雇用と労働条件の改善を要求していたが、二〇一三年一月に両者の合意が成立し、六月に「雇用安定化法」が施行された。そこでは、解雇規制の緩和が図られた一方で、従業員代表機関の権限強化などもなされた。雇用は前世紀末より政策の最重要課題であり続けたため、労使のどちらかを一方的に利する改革を実施することは困難となっていた。
経済成長や雇用の目標が達成されず、財政赤字の深刻さも増したことを受けて、政府は政策転換を余儀なくされた。オランドは二〇一四年一月の記者会見で企業活動の活性化を優先する方針を示し、社会保障料の企業負担の軽減や法人税控除の拡大に舵を切り、その代償として企業側には雇用増の数値目標を設定させる責任協定の締結を述べた言月に大筋介意、ただし数値目標は見送り)。「弱者」を保護する社会党政権としては雇用の確保や社会保障も重要であるが、生産の縮小がフランス経済の問題であるとして、オランドは供給側(サプライサイド)への対応を優先する政策へと転換をしたのだった。
グローバル化やEU内での経済統合に対応するためには、フランス企業の国際競争力を高めねばならず、工場の国外移転を防ぐためには企業負担の軽減や雇用の柔軟化が必要であるとの認識が、現在では左右を問わず共有されている。二〇一四年八月に発足した第二次ヴァルス内閣では、「経済・産業・デジタル大臣」に投資銀行役員経験者のエマニュエル・マクロンが任命され、経済改革に取り組んだ。彼は二〇一四年一二月に「経済の機会均等・経済活動・成長のための法律案(マクロン法)」を議会に提出した。法案の成立に際して、ヴァルス首相は党内からの反対にも遭ったため、「表決なしの採択法」を利用して、国民議会の議決を経ることなしに同法を可決させた。「フランス経済の閉塞を打破する」という目的をもつこの法律では、日曜営業の拡大がよく知られているが、深夜営業の拡大、長距離定期バス路線開設のための規制や運転免許取得規制の緩和、公証人などの司法分野の専門職に関する規制緩和(事務所の新規開設の自由化など)、雇用規制の緩和など多岐にわたっている。今後この法律に沿って、具体的な施行令が出される予定で、解雇規制の緩和が検討されている。
経済政策が多難ななか、二〇一五年にはパリで大規模なテロが二回発生した。最初が一月の風刺新聞『シャルリ・エブド』の本社襲撃事件で、これと同日に起きたパリのスーパーマーケット立てこもり事件とを合わせて一七名の死者が出た。その後、テロ計画が散発的に実行されようとしたなか、一一月一三日の夜にパリ市内とサン・ドニで複数の銃撃事件が発生し、少なくとも一三〇人の死者が出た。一一月の事件では(イスラム国(IS)」が犯行声明を出しており、フランスでは非常事態宣言が布告された。
二回のテロを受けて、「なぜフランスが狙われるのか」という議論がなされているが、原因は単純ではない。「サイクス・ピコ協定」に象徴される植民地主義の問題、共和主義とイスラム原理主義の相反、ライシテを理由としたイスラム教徒への抑圧、フランスによるシリア空爆など、いずれも関係のある事例であるが、それだけでは説明できない。
そこで、より底流にある事実に目を向けてみると、そこには社会統合と貧困の問題が存在している。移民社会がテロリストの温床であるとの指摘もあるが、移民たちはライシテの原則のもとで世俗的な教育を受けており、毎日欠かさずに礼拝をするものはむしろ少数派で、彼らが日常的にイスラム原理主義に接しているわけではない。
イスラム教やイスラム教徒の存在をテロの理由とすることは間違っており、むしろ移民社会が置かれた社会状況が根底の問題として存在している。移民二世や三世たちは、貧困の連鎖や差別のなかでフランス社会の中に自分たちの居場所を見つけられない状況にある。そして、経済的・文化的に疎外感を持つ者たちが、何らかの偶発的なきっかけでシリアヘと向かうケースが発生する。その意味では「イスラム国」への参加は必然ではなく、状況の産物でしかない。異なる選択肢があれば、彼らはそれに身を投ずる可能性もある。本来テロは政治問題に付随する行為である。しかし、今日のフランスでは、テロは社会問題と密接に関わっている。
問題解決の可能性のひとつが、文化的多元主義を深化させて新たなフランスを構築することかもしれないが、これには障害が多い。フランスの歴史的伝統や共和主義の原理は移民たちに同化を強制しており二九九二年の憲法改正では、「共和国の言語はフランス語である」という条文が加えられた)、エリートたちの共和主義への信頼も多様性の認識に対してはマイナス要因である。さらに極右とそれに影響される人びとの動向もある。二〇一五年一一月の同時テロ直後に実施された一二月の地域圏議会選挙の第一回投票では、改選される一三地域圏の六つでマリーヌールペンが率いるFNが一位となった。全選挙区でのFNの得票率は二八パーセントで、共和党・中道派の二七パーセント、社会党の二三パーセントを抑えてトップとなった。
雇用を安定させて「弱者」に夢を持たせ、社会統合を推進する。フランスが直面するこの課題の解決は非常に困難である。しかし、この課題を克服しない限り、国民国家としてのフランスがその輝きを取り戻すことは難しいだろう。
リーマンショック後、サルコジ人気は低調へと向かったが、そのなかで改革も実施された。二〇一〇年には年金改革法案が可決され、年金の支給年齢の延長が決められた(この結果、拠出期間も長期化)。また二〇〇九年六月には「積極的連帯所得手当」という日本の生活保護に似た制度が導入されたが、必ずしもうまく機能しなかった。移民政策については、二〇〇七年に移民省を設置し、移民が家族を呼び寄せる場合にはフランス語の能力証明を課すなど、入国のハードルを高くするとともに、不法移民を雇用した者への制裁の拡大、偽装結婚の刑罰を重くするなど、取り締まりも強化した。
二〇一〇年には中東諸国で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が進展したが、それに伴って大量の移民(難民)が発生した。チュニジアとリビアからの移民の多くはイタリアに入国したが、ヨーロッパ諸国が調印しているシェングン協定によれば、彼らはイタリア入国後には自由にフランスに入国できる仕組みとなっていた。サルコジはこれに反発し、二〇一一年四月にはイタリアとの鉄道網を閉鎖し、協定の見直しを提案した。結局フランスが妥協し、イタリアの発行する滞在許可証を認めたが、ここでもEUとフランスの政策の間に齟齬があった。その後、「イスラム国(IS」」を原因とする難民についても、同じ問題が発生した(ハンガリーやドイツなど)。
二〇一二年の大統領選挙では、サルコジは再選されず、社会党のオランドが勝利した。この選挙での争点は、かつてのようにイデオロギーや「大きな政府」対「小さな政府」といったものではなく、緊縮財政を優先するサルコジと雇用拡大を優先するオランドといった路線の違いでしかなかった。そのため、第一回投票では両者の得票率はともに二〇パーセント代後半と僅差であり、むしろFNの躍進(一七・九パーセント)を印象づけた。FNは二〇一一年に党首がジャン=マリ・ルベンから娘のマリーヌ・ルベンヘと世代交代し、二〇一一年三月の県議会選挙で大きな躍進を見せていた。マリーヌ・ルベンは移民排斥という単一政策政党からの脱却を図り、単純な排外主義や父親の掲げた「小さな政府」を標榜することをやめ、ネオリペラリズムやグローバル化に反対して、フランス型の福祉国家モデルを擁護した。そして、ユーロから離脱してフランスの財政主権を取り戻すことを主張した。この政策転換が、保守や社会党によって切り捨てられたと感じる社会的「弱者」やヨーロッパ統合に疑問を持つ層を引きつけることとなった。FNの政策の実現性には多くの疑問が呈されているが、閉塞する社会状況のなかで、このようなポピュリズムが一定の国民を引きつけているのも事実である。
オランドはサルコジ政権下の緊縮財政策を転換し、公務員増大や雇用増、中小企業助成などによる成長戦略をとる一方で、富裕層への増税によって財政均衡の実現や社会保障費の捻出を行おうとした。だが、公約の実現は容易ではなかった。年間一〇〇万ユーロを超える高額の所得に対して、富裕税の税率を最高七五パーセントに引き上げることをオランドは就任後に提案していたが、二〇一二年て一月の憲法裁判所の違憲判断のために、成立した内容では、税負担の対象を個人から企業に変更し、二年間の時限措置となった(一五年一月に終了)。
改革が予定通りに進まず、景気浮揚の兆しが見えないなか、財界は人件費の高さと労働規制の強さを問題とし、人権費の削減と労働市場の柔軟化をめざしていた。これに対し、労働側は雇用と労働条件の改善を要求していたが、二〇一三年一月に両者の合意が成立し、六月に「雇用安定化法」が施行された。そこでは、解雇規制の緩和が図られた一方で、従業員代表機関の権限強化などもなされた。雇用は前世紀末より政策の最重要課題であり続けたため、労使のどちらかを一方的に利する改革を実施することは困難となっていた。
経済成長や雇用の目標が達成されず、財政赤字の深刻さも増したことを受けて、政府は政策転換を余儀なくされた。オランドは二〇一四年一月の記者会見で企業活動の活性化を優先する方針を示し、社会保障料の企業負担の軽減や法人税控除の拡大に舵を切り、その代償として企業側には雇用増の数値目標を設定させる責任協定の締結を述べた言月に大筋介意、ただし数値目標は見送り)。「弱者」を保護する社会党政権としては雇用の確保や社会保障も重要であるが、生産の縮小がフランス経済の問題であるとして、オランドは供給側(サプライサイド)への対応を優先する政策へと転換をしたのだった。
グローバル化やEU内での経済統合に対応するためには、フランス企業の国際競争力を高めねばならず、工場の国外移転を防ぐためには企業負担の軽減や雇用の柔軟化が必要であるとの認識が、現在では左右を問わず共有されている。二〇一四年八月に発足した第二次ヴァルス内閣では、「経済・産業・デジタル大臣」に投資銀行役員経験者のエマニュエル・マクロンが任命され、経済改革に取り組んだ。彼は二〇一四年一二月に「経済の機会均等・経済活動・成長のための法律案(マクロン法)」を議会に提出した。法案の成立に際して、ヴァルス首相は党内からの反対にも遭ったため、「表決なしの採択法」を利用して、国民議会の議決を経ることなしに同法を可決させた。「フランス経済の閉塞を打破する」という目的をもつこの法律では、日曜営業の拡大がよく知られているが、深夜営業の拡大、長距離定期バス路線開設のための規制や運転免許取得規制の緩和、公証人などの司法分野の専門職に関する規制緩和(事務所の新規開設の自由化など)、雇用規制の緩和など多岐にわたっている。今後この法律に沿って、具体的な施行令が出される予定で、解雇規制の緩和が検討されている。
経済政策が多難ななか、二〇一五年にはパリで大規模なテロが二回発生した。最初が一月の風刺新聞『シャルリ・エブド』の本社襲撃事件で、これと同日に起きたパリのスーパーマーケット立てこもり事件とを合わせて一七名の死者が出た。その後、テロ計画が散発的に実行されようとしたなか、一一月一三日の夜にパリ市内とサン・ドニで複数の銃撃事件が発生し、少なくとも一三〇人の死者が出た。一一月の事件では(イスラム国(IS)」が犯行声明を出しており、フランスでは非常事態宣言が布告された。
二回のテロを受けて、「なぜフランスが狙われるのか」という議論がなされているが、原因は単純ではない。「サイクス・ピコ協定」に象徴される植民地主義の問題、共和主義とイスラム原理主義の相反、ライシテを理由としたイスラム教徒への抑圧、フランスによるシリア空爆など、いずれも関係のある事例であるが、それだけでは説明できない。
そこで、より底流にある事実に目を向けてみると、そこには社会統合と貧困の問題が存在している。移民社会がテロリストの温床であるとの指摘もあるが、移民たちはライシテの原則のもとで世俗的な教育を受けており、毎日欠かさずに礼拝をするものはむしろ少数派で、彼らが日常的にイスラム原理主義に接しているわけではない。
イスラム教やイスラム教徒の存在をテロの理由とすることは間違っており、むしろ移民社会が置かれた社会状況が根底の問題として存在している。移民二世や三世たちは、貧困の連鎖や差別のなかでフランス社会の中に自分たちの居場所を見つけられない状況にある。そして、経済的・文化的に疎外感を持つ者たちが、何らかの偶発的なきっかけでシリアヘと向かうケースが発生する。その意味では「イスラム国」への参加は必然ではなく、状況の産物でしかない。異なる選択肢があれば、彼らはそれに身を投ずる可能性もある。本来テロは政治問題に付随する行為である。しかし、今日のフランスでは、テロは社会問題と密接に関わっている。
問題解決の可能性のひとつが、文化的多元主義を深化させて新たなフランスを構築することかもしれないが、これには障害が多い。フランスの歴史的伝統や共和主義の原理は移民たちに同化を強制しており二九九二年の憲法改正では、「共和国の言語はフランス語である」という条文が加えられた)、エリートたちの共和主義への信頼も多様性の認識に対してはマイナス要因である。さらに極右とそれに影響される人びとの動向もある。二〇一五年一一月の同時テロ直後に実施された一二月の地域圏議会選挙の第一回投票では、改選される一三地域圏の六つでマリーヌールペンが率いるFNが一位となった。全選挙区でのFNの得票率は二八パーセントで、共和党・中道派の二七パーセント、社会党の二三パーセントを抑えてトップとなった。
雇用を安定させて「弱者」に夢を持たせ、社会統合を推進する。フランスが直面するこの課題の解決は非常に困難である。しかし、この課題を克服しない限り、国民国家としてのフランスがその輝きを取り戻すことは難しいだろう。
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国民主権と民主制
『憲法2 統治』より 国民主権と民主制
関連する諸概念の整理
それでは、国民主権と民主主義とはどういう関係に立つのか。この点に関するこれまでの憲法学説の理解も、決して明確とは言えなかった。国民主権の意味についても民主主義の理解についても、さまざまな考え方が対立している以上、これも当然と言えば当然だ。両者の関係を考えるにあたって、ここではまず、関連するいくっかの対立概念のいちばん一般的な使用法を簡単に整理してみたい。
君主制と民主制、君主制と共和制、民主制と独裁制
① 君主制⇔民主制。支配者の数によって政治体制を分類することは、プラトン、アリストテレスなどの古代哲学以来、近代に至るまでヨーロッパではポピュラーな考え方だった。この発想では、支配者が1人の政治体制が君主制、支配者が少数者である政治体制が貴族制、多数者または民衆が支配者である政治体制が民主制とよばれる。君主主権原理を採用する政治体制を君主制、国民主権原理を採用する政治体制を民主制と名づける川語法もその流れだ。こういう言葉遣いをすれば、君主制と民主制は互いに排斥しあう対立概念ということになる。たとえば、大正時代に活躍した有名な政治学者吉野作造が、democracyを民主主義ではなく、あえて「民本主義」と訳したのは、民主制は明治憲法の天皇主権=君主制に反するという批判を意識したからだ。
② しかし、君主の憲法上の権限はどうであれ、君主が存在する政治体制を君主制とよび、被治者である一般市民が、同時に有権者の一員として議会選挙などの国政上の重要決定に参加する政治体制を民主制と見るなら、君主制と民主制とは対立概念とは言えない。君主の権限が縮小していった19世紀末から20世紀初頭以降、ヨーロッパではむしろこういう考え方のほうがふつうになったと言ってよいだろう。
③ 君主制⇔共和制。君主制と民主制を対立物と見ることに取って代わったのは、君主制と共和制という対立概念だ。共和制の原語res publica, republicの歴史も古く、国家という意味ももつ。しかし、少なくとも20世紀の政治用語では、君主が存在する政治体制を君主制、君主が存在しない政治体制を共和制とよぶ用語法が最も一般的である。現在でもベルギー王国とかフランス共和国など、各国の正式名称は、自国の政治体制としてこの区別を意識している場合がふつうだ。
④ 民主制⇔裁制。また、上で述べたように、民主制を複数政党制や自由な選挙を前提とする市民の国政参加の体制と理解すれば、その対立物は独裁制ということになる。独裁制は(ルイ14世の支配のように)君主制の場合もあれば、(ヒトラー、スターリンからチリのピノチェトまで、20世紀の独裁の多くがそうであるように)共和制の場合もある。そこで、②~④の説明を前提とするならば、民主的君主制・民主的共和制・独裁的君主制・独裁的共和制のどれもが想定可能だということになる。
国民主権と君主制・共和制、民主制・独裁制
それでは、国民主権との関係はどうだろうか。国民主権原理を権力の正当性原理と考えても、特定の制度原理と考えても、いま述べた③の意味での君主制・共和制のどちらとも矛盾しない。現に、国民主権原理を基礎とする君主制憲法(冒頭に掲げたベルギーやスペインなど)も存在する。
国民主権原理を権力の正当性原理と考えた場合には、それは独裁制とも結びつく。ボナパルティズム(ナポレオンの支配)・ナチズム・スターリニズムなど、19~20世紀の独裁体制の多くは、民衆の支持を権力の正当性根拠としていたという意味では、国民主権原理に立脚する独裁制と見てよい。
しかし、国民主権原理を複数政党制・自由選挙・議会での野党の存在と多数決などを求める制度原理と理解すれば、それは民主制と同義であり、独裁制とは相入れない。
憲法上の国民主権と民主制
これらの整理を前提として、日本国憲法について考えてみよう。まず、観念的統一体説に立って、日本国憲法の国民主権原理を権力の正当性原理と理解し、他方で憲法は民主制を採用していると考える場合には、両者は違う次元の問題ということになるだろう(図36-1の②)。これに対して、自然人説をとって、国民主権原理を制度規定と解釈するならば、国民主権と民主制とは結局同一物を意味することになるはずだ。第3に、国民主権規定について総合説に立てば、国民主権と民主制とは重なり合うが同一物ではなく、国民主権原理は制度としての民主制の採用、プラス正当性根拠としての国民の指定という2つの意味をもつと考えられていることになる。総合説をとる第3の考え方がこの本の立場だ。
関連する諸概念の整理
それでは、国民主権と民主主義とはどういう関係に立つのか。この点に関するこれまでの憲法学説の理解も、決して明確とは言えなかった。国民主権の意味についても民主主義の理解についても、さまざまな考え方が対立している以上、これも当然と言えば当然だ。両者の関係を考えるにあたって、ここではまず、関連するいくっかの対立概念のいちばん一般的な使用法を簡単に整理してみたい。
君主制と民主制、君主制と共和制、民主制と独裁制
① 君主制⇔民主制。支配者の数によって政治体制を分類することは、プラトン、アリストテレスなどの古代哲学以来、近代に至るまでヨーロッパではポピュラーな考え方だった。この発想では、支配者が1人の政治体制が君主制、支配者が少数者である政治体制が貴族制、多数者または民衆が支配者である政治体制が民主制とよばれる。君主主権原理を採用する政治体制を君主制、国民主権原理を採用する政治体制を民主制と名づける川語法もその流れだ。こういう言葉遣いをすれば、君主制と民主制は互いに排斥しあう対立概念ということになる。たとえば、大正時代に活躍した有名な政治学者吉野作造が、democracyを民主主義ではなく、あえて「民本主義」と訳したのは、民主制は明治憲法の天皇主権=君主制に反するという批判を意識したからだ。
② しかし、君主の憲法上の権限はどうであれ、君主が存在する政治体制を君主制とよび、被治者である一般市民が、同時に有権者の一員として議会選挙などの国政上の重要決定に参加する政治体制を民主制と見るなら、君主制と民主制とは対立概念とは言えない。君主の権限が縮小していった19世紀末から20世紀初頭以降、ヨーロッパではむしろこういう考え方のほうがふつうになったと言ってよいだろう。
③ 君主制⇔共和制。君主制と民主制を対立物と見ることに取って代わったのは、君主制と共和制という対立概念だ。共和制の原語res publica, republicの歴史も古く、国家という意味ももつ。しかし、少なくとも20世紀の政治用語では、君主が存在する政治体制を君主制、君主が存在しない政治体制を共和制とよぶ用語法が最も一般的である。現在でもベルギー王国とかフランス共和国など、各国の正式名称は、自国の政治体制としてこの区別を意識している場合がふつうだ。
④ 民主制⇔裁制。また、上で述べたように、民主制を複数政党制や自由な選挙を前提とする市民の国政参加の体制と理解すれば、その対立物は独裁制ということになる。独裁制は(ルイ14世の支配のように)君主制の場合もあれば、(ヒトラー、スターリンからチリのピノチェトまで、20世紀の独裁の多くがそうであるように)共和制の場合もある。そこで、②~④の説明を前提とするならば、民主的君主制・民主的共和制・独裁的君主制・独裁的共和制のどれもが想定可能だということになる。
国民主権と君主制・共和制、民主制・独裁制
それでは、国民主権との関係はどうだろうか。国民主権原理を権力の正当性原理と考えても、特定の制度原理と考えても、いま述べた③の意味での君主制・共和制のどちらとも矛盾しない。現に、国民主権原理を基礎とする君主制憲法(冒頭に掲げたベルギーやスペインなど)も存在する。
国民主権原理を権力の正当性原理と考えた場合には、それは独裁制とも結びつく。ボナパルティズム(ナポレオンの支配)・ナチズム・スターリニズムなど、19~20世紀の独裁体制の多くは、民衆の支持を権力の正当性根拠としていたという意味では、国民主権原理に立脚する独裁制と見てよい。
しかし、国民主権原理を複数政党制・自由選挙・議会での野党の存在と多数決などを求める制度原理と理解すれば、それは民主制と同義であり、独裁制とは相入れない。
憲法上の国民主権と民主制
これらの整理を前提として、日本国憲法について考えてみよう。まず、観念的統一体説に立って、日本国憲法の国民主権原理を権力の正当性原理と理解し、他方で憲法は民主制を採用していると考える場合には、両者は違う次元の問題ということになるだろう(図36-1の②)。これに対して、自然人説をとって、国民主権原理を制度規定と解釈するならば、国民主権と民主制とは結局同一物を意味することになるはずだ。第3に、国民主権規定について総合説に立てば、国民主権と民主制とは重なり合うが同一物ではなく、国民主権原理は制度としての民主制の採用、プラス正当性根拠としての国民の指定という2つの意味をもつと考えられていることになる。総合説をとる第3の考え方がこの本の立場だ。
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憲法の統治 日本の安全保障
『憲法2 統治』より 日本の安全保障 日米安保体制 日米防衛協力のための指針
有事関連立法
2001年に起きた世界同時多発テロ事件、同年九州南西海域で起きた不審船事件、2002年の北朝鮮拉致問題、2003年のアメリカ・イギリスなどによる対イラク戦争などを背景として、2003年6月、他国からの武力攻撃に対処するため首相の権限強化や自衛隊のすみやかな活動をはかるための、いわゆる武力攻撃事態対処関連3法が成立した。そのうち、新規に制定された「武力攻撃事態対処法(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)」は、外国からの武力攻撃を受けた場合に政府がどう動くかの基本理念、国と地方の責務・役割分担、国民の協力のあり方、事態対処のための手続(対処方針の決定、対策本部の設置など)を定める。自衛隊法の改正は、有事の際、自衛隊が円滑に動くため、民間の土地を使う際の手続の簡素化や物資保管命令に従わない民間人への罰則などを定める。そして、安全保障会議設置法の改正は、有事に政府の安全保障会議の役割を強化し、自衛隊、防衛庁、検察庁、外務省の幹部などによる専門委員会の設置などを定める。
これらの法律の制定・改正は、運輸・船舶、航空など多くの業者を戦時に駆り出し、また放送局も指定公共機関にされると政府と事前協議をして放送計画を作る義務を課されるなど、いわば有事(戦時)における国家総動員体制(1937年、日中全面戦争に総力を挙げて取り組むために、この翌年制定された戦時統制法の「国家総動員法」によって政府に人的・物的資源を統制運用する権限を認める体制)の再来であるといった批判がなされた。
その後、2004年6月、いわゆる有事関連7法、すなわち、「国民保護法」(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)・「米軍行動円滑化法」(武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律)・「特定公共施設利用法」(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律)・「国際人道法違反処罰法」(国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律)・「外国軍用品海上輸送規制法」(武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律)・「捕虜取扱法」(武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律)・「自衛隊法の一部を改正する法律」が成立し、これに関連して「特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法」も議員立法として成立した。また条約も、「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」の改正・ジュネーヴ条約追加議定書I(国際的武力紛争の犠牲者の保護)・ジュネーヴ条約追加議定書II(非国際的武力紛争の犠牲者の保護)が批准された。この中でとりわけ問題となるのが、国民保護法である。この法律は、武力攻撃事態・緊急対処事態等において武力攻撃から国民の生命、身体および財産を保護し国民生活等に及ぼす影響を最小にするための国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置を規定している。しかし、その実質は、有事における民間防衛のあり方を規定するものであり、武力攻撃事態対処関連3法に対してなされた批判と同様に、たとえば、特定の無線通信を優先して実施するために必要な免許条件の変更をなすことができるとしてメディア統制の根拠を付与するなど、むしろ国民の生命、身体および財産への大きな負担・制約を課すものとの批判がなされている。
なお、以上に述べた法令も、いわゆる平和安全法制関連2法によって、集団的自衛権の一部行使にあわせて、2015年9月19日、その名称も含めて改正されたが、基本的な枠組みは維持されている。
安全保障関連法
2014年7月1日、第2次安倍晋三内閣の閣議決定による集団的自衛権行使の容認という政策転換に伴い、2015年9月19日、関連法制の整備として、新たな1法律の制定と現にある10の関連法律の改正が成立した。
はじめに、その概要を知るための前提となる事象を整理する必要がある。まず、目的の観点から、日本の平和と国際社会の平和を守るという2つの大きな類型を設ける。そして、前者の日本の平和に関連する事態を4つに再分類する。①武力攻撃事態は、日本が直接攻撃された事態で個別的自衛権を行使し、自衛隊とアメリカ軍が共同作戦をとるものである。②存立危機事態は、他国が攻撃されて日本の存立が脅かされる事態で集団的自衛権行使が予定されるもので、たとえば武力攻撃を受けるアメリカ艦船の防護、ホルムズ海峡での機雷掃海、アメリカを狙う弾道ミサイルの迎撃などが想定される。③重要影響事態は、日本に大きな影響を与える事態で日本周辺に限らずアメリカ軍などを後方支援するもので、たとえば発進準備中の他国軍機の給油や弾薬の提供などが考えられる。④グレーソーン事態は、純然たる平時でも有事でもない状況であり、たとえば共同監視、訓練中のアメリカ軍などの防護などが考えられる。これらは、有事から平時まで事態の深刻度に応じて①から④までに分類するものである。
後者の国際社会の平和に関連する事態は2つに再分類される。④-1国際平和共同対処事態は、国際危機の脅威を取り除く活動であり、他国軍の後方支援が想定され、④-2国際連携平和安全活動は、駆けっけ警護や治安維持任務、国際連合が直接関与しない人道復興支援活動が想定されている。
以上の平和維持に関連する諸事態の分類を前提として、新たに制定された国際平和支援法(「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律)は、自衛隊の海外におけるアメリカ軍や他国軍支援に関して、要件・対応措置などを規定する法律である。関連する10法律の改正は、平和安全法制整備法案(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案)として、現行法律の名称の変更(以下は改正後の名称で表示している)を含めて一括して審議された。
①自衛隊法の改正は、在外邦人の救出やアメリカ艦船の防護ができるようにする。②武力攻撃事態法(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和及び独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)の改正は、集団的自衛権行使の要件を明確にする。③PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)の改正は、国際連合が直接関与しない復興支援活動も可能にし、またいわゆる駆けつけ警護などを認める。④重要影響事態法(重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)は、活動範囲を限定する周辺事態法を改正して日本周辺以外でも弾薬提供や発進準備中の軍用機への給油など他国軍の後方支援ができるようにする。⑤船舶検査活動法(重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律)の改正は、重要影響事態において日本周辺以外で船舶検査ができるようにする。⑥アメリカ軍等行動円滑化法(武力攻撃事態等及び存立危機事態におけるアメリカ合衆国等の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際のアメリカ軍令他国軍への役務提供を強化する。⑦特定公共施設利用法(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律)の改正は、日本が攻撃された際にアメリカ軍以外の軍も港湾や飛行場などを利用可能とする。⑧海上輸送規制法(武力攻撃事態及び存立危機事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際に外国軍用品の海上輸送規制を追加する。⑨捕虜取扱法(武力攻撃事態及び存立危機事態における捕虜等の取扱いに関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際の捕虜の取扱いを追加する。⑩国家安全保障会議設置法の改正は、審議事項に集団的自衛権を行使する事態などを追加する。以上のための改正である。なお、その他に平和安全法制整備法の附則に、以上の改正に伴う技術的な改正を行うべき法律の一覧として、道路交通法などの10法律があげられている。
以上の安全保障に関連する法律の制定または改正においては、そもそも集団的自衛権の行使を憲法9条が認めているか否かという根本的問題について、何ら明確な回答が示されていない、という基本的な問題点をまず確認しておかなければならない。日本の将来の運命を決しかねない重要な法案多数を、十分に議論を尽くさず、強行採決という民主主義の根幹をゆるがす手法で成立させたという事実は、長く記憶にとどめなければならない。そして、たとえば「周辺事態」から「重要事態」へと名称が変更されたことが象徴しているように、自衛権の概念が、地理的要素と切り離され、地球規模で自衛隊等を派遣できることになってしまい、禍根を子々孫々にまで残すのではないか、という懸念も示されている。
有事関連立法
2001年に起きた世界同時多発テロ事件、同年九州南西海域で起きた不審船事件、2002年の北朝鮮拉致問題、2003年のアメリカ・イギリスなどによる対イラク戦争などを背景として、2003年6月、他国からの武力攻撃に対処するため首相の権限強化や自衛隊のすみやかな活動をはかるための、いわゆる武力攻撃事態対処関連3法が成立した。そのうち、新規に制定された「武力攻撃事態対処法(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)」は、外国からの武力攻撃を受けた場合に政府がどう動くかの基本理念、国と地方の責務・役割分担、国民の協力のあり方、事態対処のための手続(対処方針の決定、対策本部の設置など)を定める。自衛隊法の改正は、有事の際、自衛隊が円滑に動くため、民間の土地を使う際の手続の簡素化や物資保管命令に従わない民間人への罰則などを定める。そして、安全保障会議設置法の改正は、有事に政府の安全保障会議の役割を強化し、自衛隊、防衛庁、検察庁、外務省の幹部などによる専門委員会の設置などを定める。
これらの法律の制定・改正は、運輸・船舶、航空など多くの業者を戦時に駆り出し、また放送局も指定公共機関にされると政府と事前協議をして放送計画を作る義務を課されるなど、いわば有事(戦時)における国家総動員体制(1937年、日中全面戦争に総力を挙げて取り組むために、この翌年制定された戦時統制法の「国家総動員法」によって政府に人的・物的資源を統制運用する権限を認める体制)の再来であるといった批判がなされた。
その後、2004年6月、いわゆる有事関連7法、すなわち、「国民保護法」(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)・「米軍行動円滑化法」(武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律)・「特定公共施設利用法」(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律)・「国際人道法違反処罰法」(国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律)・「外国軍用品海上輸送規制法」(武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律)・「捕虜取扱法」(武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律)・「自衛隊法の一部を改正する法律」が成立し、これに関連して「特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法」も議員立法として成立した。また条約も、「日米物品役務相互提供協定(ACSA)」の改正・ジュネーヴ条約追加議定書I(国際的武力紛争の犠牲者の保護)・ジュネーヴ条約追加議定書II(非国際的武力紛争の犠牲者の保護)が批准された。この中でとりわけ問題となるのが、国民保護法である。この法律は、武力攻撃事態・緊急対処事態等において武力攻撃から国民の生命、身体および財産を保護し国民生活等に及ぼす影響を最小にするための国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置を規定している。しかし、その実質は、有事における民間防衛のあり方を規定するものであり、武力攻撃事態対処関連3法に対してなされた批判と同様に、たとえば、特定の無線通信を優先して実施するために必要な免許条件の変更をなすことができるとしてメディア統制の根拠を付与するなど、むしろ国民の生命、身体および財産への大きな負担・制約を課すものとの批判がなされている。
なお、以上に述べた法令も、いわゆる平和安全法制関連2法によって、集団的自衛権の一部行使にあわせて、2015年9月19日、その名称も含めて改正されたが、基本的な枠組みは維持されている。
安全保障関連法
2014年7月1日、第2次安倍晋三内閣の閣議決定による集団的自衛権行使の容認という政策転換に伴い、2015年9月19日、関連法制の整備として、新たな1法律の制定と現にある10の関連法律の改正が成立した。
はじめに、その概要を知るための前提となる事象を整理する必要がある。まず、目的の観点から、日本の平和と国際社会の平和を守るという2つの大きな類型を設ける。そして、前者の日本の平和に関連する事態を4つに再分類する。①武力攻撃事態は、日本が直接攻撃された事態で個別的自衛権を行使し、自衛隊とアメリカ軍が共同作戦をとるものである。②存立危機事態は、他国が攻撃されて日本の存立が脅かされる事態で集団的自衛権行使が予定されるもので、たとえば武力攻撃を受けるアメリカ艦船の防護、ホルムズ海峡での機雷掃海、アメリカを狙う弾道ミサイルの迎撃などが想定される。③重要影響事態は、日本に大きな影響を与える事態で日本周辺に限らずアメリカ軍などを後方支援するもので、たとえば発進準備中の他国軍機の給油や弾薬の提供などが考えられる。④グレーソーン事態は、純然たる平時でも有事でもない状況であり、たとえば共同監視、訓練中のアメリカ軍などの防護などが考えられる。これらは、有事から平時まで事態の深刻度に応じて①から④までに分類するものである。
後者の国際社会の平和に関連する事態は2つに再分類される。④-1国際平和共同対処事態は、国際危機の脅威を取り除く活動であり、他国軍の後方支援が想定され、④-2国際連携平和安全活動は、駆けっけ警護や治安維持任務、国際連合が直接関与しない人道復興支援活動が想定されている。
以上の平和維持に関連する諸事態の分類を前提として、新たに制定された国際平和支援法(「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律)は、自衛隊の海外におけるアメリカ軍や他国軍支援に関して、要件・対応措置などを規定する法律である。関連する10法律の改正は、平和安全法制整備法案(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案)として、現行法律の名称の変更(以下は改正後の名称で表示している)を含めて一括して審議された。
①自衛隊法の改正は、在外邦人の救出やアメリカ艦船の防護ができるようにする。②武力攻撃事態法(武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和及び独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)の改正は、集団的自衛権行使の要件を明確にする。③PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)の改正は、国際連合が直接関与しない復興支援活動も可能にし、またいわゆる駆けつけ警護などを認める。④重要影響事態法(重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)は、活動範囲を限定する周辺事態法を改正して日本周辺以外でも弾薬提供や発進準備中の軍用機への給油など他国軍の後方支援ができるようにする。⑤船舶検査活動法(重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律)の改正は、重要影響事態において日本周辺以外で船舶検査ができるようにする。⑥アメリカ軍等行動円滑化法(武力攻撃事態等及び存立危機事態におけるアメリカ合衆国等の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際のアメリカ軍令他国軍への役務提供を強化する。⑦特定公共施設利用法(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律)の改正は、日本が攻撃された際にアメリカ軍以外の軍も港湾や飛行場などを利用可能とする。⑧海上輸送規制法(武力攻撃事態及び存立危機事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際に外国軍用品の海上輸送規制を追加する。⑨捕虜取扱法(武力攻撃事態及び存立危機事態における捕虜等の取扱いに関する法律)の改正は、集団的自衛権を行使する際の捕虜の取扱いを追加する。⑩国家安全保障会議設置法の改正は、審議事項に集団的自衛権を行使する事態などを追加する。以上のための改正である。なお、その他に平和安全法制整備法の附則に、以上の改正に伴う技術的な改正を行うべき法律の一覧として、道路交通法などの10法律があげられている。
以上の安全保障に関連する法律の制定または改正においては、そもそも集団的自衛権の行使を憲法9条が認めているか否かという根本的問題について、何ら明確な回答が示されていない、という基本的な問題点をまず確認しておかなければならない。日本の将来の運命を決しかねない重要な法案多数を、十分に議論を尽くさず、強行採決という民主主義の根幹をゆるがす手法で成立させたという事実は、長く記憶にとどめなければならない。そして、たとえば「周辺事態」から「重要事態」へと名称が変更されたことが象徴しているように、自衛権の概念が、地理的要素と切り離され、地球規模で自衛隊等を派遣できることになってしまい、禍根を子々孫々にまで残すのではないか、という懸念も示されている。
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OCR化した本の感想0423
『マックスとアドルフ』
よくも、こんなに分厚い本を書いたものです。ヒットラーの記述はどこから持ってきたのか。
第二次世界大戦の興味の対象はフィンランドとギリシャです。小国がドイツ・ソ連に蹂躙されていった。抵抗の仕方もフィンランドとギリシャでかなり異なります。フィンランドの戦い方をソ連は吸収して、ナチに対抗した。
ギリシャはイタリアには負けなかったけど、ドイツが出てきたら、簡単に征服された。そのための時間がソ連侵略の時間を潰していった。ギリシャは終戦後に英国・ソ連での引っ張り合いから内戦になり、若者の死亡率が一番高くなった。
『憲法学教室』
民主主義と資本主義の元での「平等」の観念が知りたくて、プロット。資本主義のグローバリズムは格差が拡大する。民主主義での自由と平等の関係はまだ、分からない。
『亀山学』
シャープの亀山モデルが存在したときが、亀山のピークであった。次男は液晶技術で亀山に移り住んだが、今は勢いがない。
勢いのあるときに行政は何をするかの検証が必要である。アメリカの場合は、鉄鋼のピッツバーグ、自動車のデトロイトの比較が明確である。廃れたときのことを考えた姿勢が必要です。これは、豊田市にも言えるが、なき後の姿が行政は未来は見えていない。
『2030年のIoT』
IoTがはやり言葉で書かれているが、社会インフラモデルに及んでいるのは珍しい。現在の自動車は社会インフラを外部化にただ乗りしてきた。電気自動車にしても燃料自動車にしても、それは成り立たない。
地域コミュニティでの判断に従って、決められていく。その時に、国レベルのクラウド環境として、Iotを見ていく必要がある。
『法と社会科学をつなぐ』
「自由」と「平等」などのトレードオフの関係は、ベースを狭く規定するので発生する。資本主義にしても民主主義にしても、決して、根底ではない。偶々、そうなっているだけです。
全体を見て、どのようなシナリオで根底みたいなものを変えていくのかという手順が必要になる。共産革命のように、とりあえず、ぶっつぶしては成り立たない。そこまでのロジックがほしい。そのために、未唯空間がある。
『存在と時間 哲学探究1』
ヘーゲル『精神現象学』の言い放った言葉は好きですね。他者におもねくことは必要ない。存在は自分のことだから。
『憲法2 統治』
民主制までの経過を見ると、君主制⇒共和制⇒民主制⇒独裁制と思える。「アラブの春」の経過はそれを表現している。ロシアの場合は民主制が非常に短かった。その際に、民主制が国民にとって、最良ではないことが問題。では、民主制からどこに向かえばいいのか? それを未唯空間で示していきたい。
『図説 フランスの歴史』
ドイツの歴史に比べると、大戦後のフランスの歴史はまとまりがない。植民地主義の後遺症から抜け出す前に、EUでドイツに占領されてしまった感じです。自主性を出せない状態が続いている。サルコジ大統領の時が分岐点になっているのか。メルケルには勝てないと言うことなのか。
よくも、こんなに分厚い本を書いたものです。ヒットラーの記述はどこから持ってきたのか。
第二次世界大戦の興味の対象はフィンランドとギリシャです。小国がドイツ・ソ連に蹂躙されていった。抵抗の仕方もフィンランドとギリシャでかなり異なります。フィンランドの戦い方をソ連は吸収して、ナチに対抗した。
ギリシャはイタリアには負けなかったけど、ドイツが出てきたら、簡単に征服された。そのための時間がソ連侵略の時間を潰していった。ギリシャは終戦後に英国・ソ連での引っ張り合いから内戦になり、若者の死亡率が一番高くなった。
『憲法学教室』
民主主義と資本主義の元での「平等」の観念が知りたくて、プロット。資本主義のグローバリズムは格差が拡大する。民主主義での自由と平等の関係はまだ、分からない。
『亀山学』
シャープの亀山モデルが存在したときが、亀山のピークであった。次男は液晶技術で亀山に移り住んだが、今は勢いがない。
勢いのあるときに行政は何をするかの検証が必要である。アメリカの場合は、鉄鋼のピッツバーグ、自動車のデトロイトの比較が明確である。廃れたときのことを考えた姿勢が必要です。これは、豊田市にも言えるが、なき後の姿が行政は未来は見えていない。
『2030年のIoT』
IoTがはやり言葉で書かれているが、社会インフラモデルに及んでいるのは珍しい。現在の自動車は社会インフラを外部化にただ乗りしてきた。電気自動車にしても燃料自動車にしても、それは成り立たない。
地域コミュニティでの判断に従って、決められていく。その時に、国レベルのクラウド環境として、Iotを見ていく必要がある。
『法と社会科学をつなぐ』
「自由」と「平等」などのトレードオフの関係は、ベースを狭く規定するので発生する。資本主義にしても民主主義にしても、決して、根底ではない。偶々、そうなっているだけです。
全体を見て、どのようなシナリオで根底みたいなものを変えていくのかという手順が必要になる。共産革命のように、とりあえず、ぶっつぶしては成り立たない。そこまでのロジックがほしい。そのために、未唯空間がある。
『存在と時間 哲学探究1』
ヘーゲル『精神現象学』の言い放った言葉は好きですね。他者におもねくことは必要ない。存在は自分のことだから。
『憲法2 統治』
民主制までの経過を見ると、君主制⇒共和制⇒民主制⇒独裁制と思える。「アラブの春」の経過はそれを表現している。ロシアの場合は民主制が非常に短かった。その際に、民主制が国民にとって、最良ではないことが問題。では、民主制からどこに向かえばいいのか? それを未唯空間で示していきたい。
『図説 フランスの歴史』
ドイツの歴史に比べると、大戦後のフランスの歴史はまとまりがない。植民地主義の後遺症から抜け出す前に、EUでドイツに占領されてしまった感じです。自主性を出せない状態が続いている。サルコジ大統領の時が分岐点になっているのか。メルケルには勝てないと言うことなのか。
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