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真っ先に逃げる「率先避難者」であれ

『今からの危機』より

率先避難者

 過去の津波のときには、誰かがいるかもしれないと思って引き返したり、周辺を探しまわったりしているうちに津波に呑まれてしまいました。家族の絆が仇となって一家が全滅してしまったわけです。この過去の教訓がありましたから、津波のときには母も子も「てんでばらばらに逃げなさい」という先人の苦渋に満ちた言い伝えが「てんでんこ」なんですね。とにかく一人で逃げろと教えているんです。

 こういう文化があるところですから、私は子どもたちに、「率先避難者たれ」ということを3つめに言っていました。「人の命じゃない。自分の命をとにかく最優先に守れ。それがそのまま他の人を誘導することになるんだ」と。

 心理学的には集団同調性バイアスという言葉がありますが、みんな逃げなきゃいけないという意識はあるのに、いまがそのときと思えない。だから非常に不安な気持ちの中で、どうしよう、どうしようと思ってる。そんな矢先、誰かが飛び出していくと、みんなが同調してウワーツと飛び出してしまうことがあります。逆に言えば誰かが真っ先に逃げれば、それにみんなが付いてくるんです。そこで子どもたちには「君が自分の命を守ることはみんなの命を守ることにつながるんだ。だから、率先避難者たれ」と教えました。

 「想定にとらわれるな」「その場、その場の状況の中で、ベストを尽くせ」「率先避難者たれ」。この3つをよく言ってたんです。

 釜石車中学校の子どもたちは、揺れてる最中から飛び出していったんです。日ごろ小学校と中学校は合同訓練をしているものですから、大きな揺れが起こって中学生があれだけ全速力で走っている。そのことに気づいた小学校の子どもたちは、一度は学校の高いところに上がったんですけれども、みんな下りてきて、付いて走っていった。

 中学生に引っ張られちゃったわけですね。

 子どもたちは見事に「想定にとらわれるな」、「その状況下においてでき得る最善を尽くせ」、「率先避難者たれ」。この条件をみんな満たしてくれていますよね。

15年以内にマグニチュード9」の確率80%

 ここ数年で東南海地震が80%の確率で起こるとおっしゃいましたよね。多くの研究で少なくとも2030年から2040年までに、マグニチュード8クラスがあそこに来る確率が非常に高いと言われています。その誤差が人によって違いますが、10~20年くらいの誤差だろうといわれています。そうなるといまはもう誤差の中に入っちゃってるわけですよね。この話は地質学や地震学の分野では、確実なことなんですか。

 今回の東北地方の地震と同じように、東海、東南海、南海が連動すれば、マグニチュード8・6に、さらに沖縄沖まで連動する可能性もあり、そうするとトータルとしてはマグニチュード9を超えると思います。そういう規模のものが80%超の確率で起こることは、日本のさまざまな地震関係機関で公認されています。したがって、確率という意味では疑義を挟む人は誰もいないと思います。

 今回の活動期のあいだに必ず起こると言えるんじゃないかと思いますね。

 じゃあ、いまの活動期が2000年頃にははじまっているから……。あと15年ぐらいのあいだには必ず起こるでしょう。

 2025年ぐらいまでのあいだに、8割の確率で、マグニチュード9クラスの地震が起こると専門家がそろってはっきり言っているわけですね。

 いま、われわれがすべきことは何でしょうか。

 ひとつは産官学の連携構造というか、病巣をなくさないといけないと思います。規制機関として原子力安全・保安院の規模を大きくしようという話もありますが、規模を大きくして権限を増やすだけでは魂が入らない。とりわけ、私の立場からいくと、学者というものはもっと倫理観を持ってやるべきです。自分のやっている研究が国民の生活にどう関わっているのかを真摯に考えるべきだと思いますね。

 権益構造ゆえに、御用学者や御用官僚や御用政治家が、たかが私企業にすぎない束電に加担して、国民の命運を左右するような原子力行政をステアリングできるような社会的仕組みを何とかしなければなりません。原子力安全・保安院と原子力安全委員会をくっつけるような切り貼りじゃあ、話になりません。いまのところ、話にならない状況です。
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「おわび、おわび、おわび」

『中国人一億人電脳調査』より

網民たちの歴史観--日本は「敵」にあらず

九〇年代の愛国主義教育を受け、「反日」=「正義」ととらえる若い網民たちは現在、日本に対して何を求めているのか。

安徽省の女性はこうつぶやく。《中日がもし関係を緩和させれば、またはさらに緊密になれば、絶対的に両国にとって百利無害なことです。アジアの真の発展にも有益でしょう。歴史をいつでも無視するのは難しく、私もやはり、日本がドイツのような態度を取り、フランスのような風格を持てば、民間のわだかまりを解決できる。これが政治問題解決のカギだと思います》。「ドイツのような態度」というのは、中国が日本に歴史問題を説く時の決まり文句だ。

浙江省の女性は前向きな歴史問題の解決を促す。《歴史はいくら憎くても抹殺できません。中国人は実際にそんなに心が狭くない。一つの誠実なおわびがありさえすれば、かつての怨念を終結できます。これこそ相互理解と友好関係発展の積極的な一歩です》

一方、《おわび、おわび、おわび》(山東省青島、女性)、《日本は南京大虐殺などの侵略行為を認め、おわび賠償を行う》(女性)のように歴史問題への直視を日本に求めるつぶやきが圧倒的に多い。

江蘇省南京の女性はこう回答した。《現在最も重要な事は、歴史を直視すること。中国人の反日感情は、歴史の歪曲からもたらされるのが最大です。もし日本人が歴史を認め、犯した罪を素直に認めれば、中国人も許し、受け入れるでしょう》

《まず歴史を直視。第二にわが国の主権問題を重視する。第三には、この二つを前提に留学生と旅行者にさらなる開放政策を取る》(広東省深川、女性)

《歴史を直視し、その後にさらに多くの民間交流を行う。結局、両国国民の思考方式は完全に異なる。さらに深く理解しようとするなら、矛盾を減らすことでしょう》(広州、女性)

《日本国内にある中国への抵抗の気持ち、および中国に対する軽視や妖魔化(危険視)は、反日感情を深くするでしょう。日本と中国のそれぞれ道徳観が大きく違うことも、よく事情を知らない日本人の対中マイナス感情を増大しやすくしています》(江蘇省南京、女性)
《非常に多くの問題は相互的です。例えば、中国人は、日本人か過去に誤ったことをし、誤りを認めないのは非常に良くないと思っている。一方、現在の日本人は、すべて過去のことと思い、彼ら自身も被害者であり、誤りを認めようとしない》(女性)

また日本の「おわび」の本気度を問うているのが次の女性のつぶやき。《もしおわびというなら、日本は、田中角栄が(国交正常化を成し遂げた)七二年から始めている。小泉(純一郎)も含めて公開でおわびしたが、反省といっても、中国の思うようなものをやっていない》 最後に挙げる山東省煙台の男性の提言は、中国も努力しなければならないという観点から説いており、説得力を持っている。

《日本には、かつての侵略の歴史を反省し、政治・軍事面での米国依存から脱却し、責任ある国家になるよう求める。中国は早期に民主化を実現させ、民衆と他国から尊重されるようになり、自国の国際イメージを改善しなければならない。これらは両国に欠かすことができないものだと思います》
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情報交換会で感じたこと・考えたこと

資料をみる限り、コミュニケーションになっていない。ましてや、コラボレーションを望むのはムリですね。活性化のイメージではなく、売り上げが基準になっている。

コンサルティング会社も入っている。役割はよくわからない。スーツを着ていて異質。成果が上がっているとコンサルは言っているけど、実感はないみたい。データだけで言っている。

ワークショップ運営方式をとっている。本当に参加者ーは従順です。云われたとおりにやっています。

グループ討議のリーダーとタイムキーパーを決めたけど、コンサルがカウントダウンしているので、タイムキーパーは不要です。

アンケート分析はロープレとエステーの継続状況です。コンパクト・エステーのおかげで数字がよくなっている。実質は不明。店舗支援が半分しかない。少ないですね。本社の役割が中途半端なんですね。

エステーと車両成果、ロープレとサービス成果の関係みたい。サービス案件は車両に比べると少ない。バリューはさらに少ない。万分比は凸凹すぎる。102%なのに72%と言うのは、数字のマジック。落ちている所の理由がほしい。

意見交換は一分間です。皆、席で騒いでいるだけ。求めているのは数字だけです。店舗の雰囲気とか活性化などもアンケートならできる気がする。

販売店要望ヒアリングで経営者に聞いたことと格差を感じる。数字も右肩上がりと言うけど、実績は凸凹です。

プログラムの成功要因はまともです。それが表現されているかどうかです。「お客様のお喜び」が合い言葉、「朝市」「社内ニュース」で共有の場づくりは的確です。それをコンパクトにした、�全社の取り組み�小さな成功体験�飽きさせない、には理念がない。お客様から見えてこない。

スタッフはこのレベルなんですね。お客様のことを考えるプロでない。お客様の変化とか社会の変化とは別の所にいる。いつまで、そうしているのか。もっと、データを持って、外へ出ましょう。

プレゼンは成功事例の横展になっているが、資料をみる限りはその傾向にはない。「人が集まらない」に対しては、分析をするわけでも、対策するわけでもない。これはメーカーのDNAではない。創意工夫的なことが店舗ではできない風土みたい。

秋田のエステーにはハードルのレベルが書かれている。売るために、お客様状況共有。お客様のニーズ・ハードル、お勧め情報の検討がされている。こんなプロセスがいるんですね。お客様からすると、販売店に行くと余計なものを買わされる感覚になる。

技術部のようなプレゼンをしない理由は何か? 偶然の使い方なのでしょうか? 何か回りくどい演出をコンサルがしている。進行が主催者主導でわかりにくい。ポイントを決めて、直接、訴えた方が分かりやすい。それとも、ネットを使ったらどうか。一過性よりも継続性です。

熊本のプログラムレポート「好事例とつまづき集」は一ヶ月単位でテーマを決めて発行。地デジチューナー、パスポートなど、具体的に示されている。つまづきは4行ほどで、結果報告も兼ねている。商品を知らない人には、事例から説明する。説明の分かりやすさでで点数をつけている。朝にはロープレです。ネットの活用などの頭がないのか。ロープロの横展開は考えないのか。映像は可能です。ここも。お客様が見えない。

もう一つの熊本のお店は2007年からやっている。全社仕掛けのために、大相撲、グランプリに模したやり方は、あの社長らしい。飽きさせない工夫が徹底している。勝つためにエステーを自然に行う。

切り返しのネタは多くあるのか。ネタには困るよね。ここでも競技です。スタッフの意識を上げるよりも仲間内になります。エステーはほとんど手作りです。ツールとしては一過性です。過去にみた、札幌のお店は丁寧でした。お客様と向かい合っているのではなく、後ろを見ている感じです。

DM、OHPでお客様とつながらないと無理。お客様からの発信をいかに掴まえるかに心を割いてほしい。

秋田のお店はロープレが全店舗・全員で実施している。店舗でバラバラなのが、うまくいくコツ。バリューを徹底して行っている。エステーは商談に特化している。完全来店・残業ゼロで5年やり続けている。DMと電話で足りている。一人当たり400人を限界に、毎月フォロー。合わないお客様はカット。

山梨は前室長がいるところ。エステーは新人に任せたところ、一生懸命するので、先輩は引きずられている。実直な風土です。

兵庫の合い言葉は、活動の目的は“お客様との絆づくり”。あの社長らしいですね。
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今日のテーマはコラボレーション ②

未唯へ

 今日、夜中で倒れたことをトリガーに生活を変えます。私はこれを作るためにやっていない。作ったところで、そこに住めることはない。何かを確認したいだけです。

 パートナーは自分で言ってくることはないから、こちらが尋ねればいい。関係なしでやればいい。意識する必要ははまるでない。作るのは一人でしかない。

あいち2030でのロジック

 論破するロジックは、「今のままでいい」「グローバルの限界の証拠」です。グローバリズムは見えていない以上はあまり言えないですね。あとは、「ローカルとグローバルを分けるのか」「ローカルはどこなのか」

 こういう即物的な質問に答えないのか。数学なんだから、概念としてわかればいい。そんなことよりもロジックを先に進めましょう。

 答えとしてのシェア社会。答えは用意しないとしょうがない。シェア社会は難しい。車はある程度、イメージできるけど、他のものは、なにが違うかわからない。Gmlの新しい世界というのは、元のローカルとは異なります。ローカルがグローバルに代わることではなく、ローカルが新しい世界を作り出すということです。

 その時に、グローバルはローカルを支援するために存在します。ローカルが集まって、グローバルになると言う今までの考え方は通用しません。国と県と市と市民とした循環の出発点が市民が出発点になります。これをどう証明するの? 数学なら簡単です。近傍系があって、座標軸がある姿です。今までは、座標軸ですべて行っていた。

 相変わらず、座標軸は全体の効率化のために存在しているけど、主体は近傍系です。社会にそういう空間の事例があるのか。あるなら、それをベースにしましょう。既存の空間のニッチにできるような感じだったんです。

 一番近いのはエジプト革命かもしれない。政府と行政があるけど、市民主体の組織があるようなものです。2030あいちにそれを出しても、理解できる人はいないでしょう。

環境を変える。社会を変える

 環境を変えると言うよりも社会を変える。それも位相が異なるものにする。その提案だけはします。環境だけで社会が変えられるか。そんなこと。それをあいちに言っていかないと。どこまで理解できるか、どこまでやれるかです。それをするとなれば、どうなるかです。やることはない。

 考えられることはすべて考える。調べられることは全部調べます。自分の頭の整理だけはしておきます。批判はさせません。考えてない人からの批判は。考えるための道具とか、自分の存在とか、すべて巻き込みます。未唯空間になります。未唯空間の一部だけを出しています。いざとなったら、すべてを出せます。考えられることはすべて考える。調べられることは全部調べます。自分の頭の整理だけはしておきます。批判はさせません。考えてない人からの批判は。考えるための道具とか、自分の存在とか、すべて巻き込みます。未唯空間になります。未唯空間の一部だけを出しています。いざとなったら、すべてを出せます。

構図のアナロジー

 会社の構図と日本の社会の構図は一緒です。ともに、過去の成功体験から抜け切れていない。会社の構図ができれば、社会の構図が見えてくるし、社会の構図ができれば、会社の構図が見えてくる。きわめて大きなアナロジーです。会社の構図も店舗に限定させます。これもアナロジーです。

ツイッターみたいなカタチ

 論理が飛躍するので、そのまま書いてもわからないから、質問形式にするのも一つのパターンです。その時には、ツイッターでのやり取りで作り出して

 たとえば「持続可能性はどういう意味なの?」「それは本当に必要なの?」とか、今のままでいう人に対して、どういうカタチにすればいいのか? 変えないとだめなのか?の問いです。私から説明するのか、μから説明するのか分かりません。

 社会モデルをどう考えたらいいのか、と言ったときに、今回は県です。国と県と市があって、市民がいる。そこに対して、どのように対応していくのか。どういう施策を作っていくのか。どう位置づけるのか。どういうところから戻ってくるのか。
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今日のテーマはコラボレーション ①

未唯へ

 今日は3時半起きです。時間が余っています。何しろ、足が冷えているし、よく釣ります。1:30ごろにトイレに行く時に足がもつれて、部屋の中で転んでしまった。4;30から風呂で、足だけを温めていました。本当に冷え性のような軽いものなのでしょうか。

今日のテーマはコラボレーション

 なぜ、コラボレーションに気付いたのか。ポータルとライブラリをやった後です。本部から店舗への情報のフローとストックとしてのポータルとライブラリ。循環を考えると店舗から本部がないといけない。ローカルの方で、その情報を使って、自分たちが動けるようにする。その結果を吸い上げることで、P-D-C-Aではないけど、一巡します。

 偶々、生まれた所を論理で整理して生まれたのがコラボレーションです。コラボレーション用のシステムをどのように作るかで、チャッターの世界に入っていきました。その前の、アイデア・ボックスでやるところも重要です。固いデータベースでは動きません。ツイッターのように、140文字をどのように検索するかです。そういう技術を自前で作れるはずはない。それで、3年前からクラウドに着目しています。期待に応えて、マーク社長はチャッターを作ってくれた。

情報交換会

 今日は情報交換会お見に行きます。パートナーの観点とは異なります。パートナーはライブラリの一環で考えているけど、私はコラボレーションへの道です。ポータル・ライブラリと一緒にやってきて、パートナーはコラボレーションになると急にモチベーションが落ちてきた。

 グローバルの立場からはポータル・ライブラリは分かりやすいです。コラボレーションはローカルの世界です。そちらから発想するのは多様な世界です。そんなところまでのイメージがもてないのでしょう。イメージが作れないもの、自分が作らないものは皆、避けます。それを避けてきたために前に進んでいない。

 これがちゃんとできれば、市民活動の中核になります。スーダン・エジプトでの革命の理論的な根拠ができます。コミュニティにとって、コラボレーションがライブラリに次いで、重要になります。一人ひとりのパワーをどう使っていくのか。それを生かして、全体としての効率をやっていくのかが今後の政治体制です。

あいち2030でのコラボレーション

 コラボレーションをあいち2030のベースにします。これを分かる人はいないから、説明しようとすると面倒くさい世界に入っていきます。

 資本主義という観点から見ていかないといけないかもしれない。ローカルとグルーバル。作る人と使う人の関係も含めて、社会モデルを完成させましょう。社会モデルの妥当性です。分かろうとする人に分かる。

 2030あいちではなく、エッセイ側を対象にした方がいいかもしれない、

環境の観点

 環境という観点からまとめるのは、分かりやすいけど、難しい。生活は今のままで、技術だけで対応させるというのがふつうの人のスタンスです。生活を直すのは難しいから。これを考えると暗澹たる思いになる。人との関係からすると、変えなくてもいいという傾向をどう論破するかです。論破しなくてもいいけど。

 回のフクシマを見ていると、そうではない。一生懸命、元へ戻そうとします。それもじっと忍耐して。日本人の特質も入れ込みます。他がどうなっているのか。また、シートを作らないといけない。そうしないと、論点がまとまらないです。

 日本は今まで、成功体験でやってきた。それで皆、信頼するようになった。先行きが見えなくなった。人口減少はややこしいです。人口減少は本当に大変なのか。人口が増えるよりもはるかに楽だと思うけど。

社会インフラ

 上から見ていると、あの細かい道具を作ったのか。車という。皆、バラバラに動いています。

 馬車が合って、車が合って、次の道具も地上を走らせるのでしょう。もっと異なった発想ができないのか。ガソリンスタンドがあって、電気スタンドがあって、水素スタンドがある。同じ発想です。発想を少し変えれば、、いくらでも変わります。シェアの概念からすると、スタンドはおかしい。

 こういうときも連続性をどう持ってくるのかです。パスにするのか、非連続にするのかです。スマートグリッドも中途半端です。電気をストックするものができた以上はそれを変えていかないといけない。本来の電気スタンドはバッテリーだけです。
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ディープ・エコロジー VS シャロウ・エコロジー

『哲学カフェ!』より

 なぜ、環境問題は解決しないのか? ディープ・エコロジー VS シャロウ・エコロジー

 先生 今回のテーマは「なぜ、環境問題は解決しないのか?」です。

 イチロー たしかに、もう何十年もやっているのに、いっこうに解決しませんね。

 トム 人間のエゴでしょう。

 内藤 そうは言っても難しいですよ。環境を意識して生きる、ということじたいに無理があるから、いつまでたっても変わらないんじゃないでしょうか?

 森下 それは、開き直りじゃないの?

 内藤 そうじゃないっすよ。人間ってなにかすれば、必ず環境に負荷を与えるわけですよ。食物を食べれば自然が損なわれ、家を建てれば自然が損なわれる。そういう存在だから、しかたないんじゃないかって言いたいんです。

 先生 そうだとしても、程度を抑えることはできると思います。たとえば自然の動植物を食べるとしても、それはほかの動物も同じであって、食物連鎖の範囲なら、自然の体系を維持するためにかえって必要なことですよね。

 内藤 人間は、その範囲を超えざるを得ないんです。

 森下 どうして?

 内藤 それは、人間だけが文明を持ってしまったからですよ。文明というのは、自然にとって、すでに過剰なものなんです。そこをなんとかしないと。

 和田 でもそんなこと言ったら、原始人みたいな生活をしない限り、だめってことになるじゃない。

 内藤 そこまでは言いませんけど、スロー」ライフとか実践してる人がいますよね。

 イチロー そんなのファッションじゃないの? 本当に自然のことを考えるなら、もっとラディカルにやらなきゃなんないと思うよ。それこそ、原始人並に。私はできませんけど。

 先生 そういう発想をするのが「ディープーエコロジー」の人たちです。自然と人間を同等に見ることで、環境問題を根源にさかのぼり解決しようとする思想です。その反対が「シャロウーエコロジー」。つまり、環境問題はたんなる技術的な問題であって、技術により解決すればいいという立場です。ふっう、私たちが採る発想です。エコ技術とかね。

 トム プリウスとかでしょ。人間ってすごいと思いますよ。逆境をバネにして、ちゃんと新しい環境技術を武器に、経済を発展させてますから。

 内藤 本当にそれで解決してるんですか? なんか、ごまかしてるように感じるんだけどな。

 トム そうかな? 環境は、いま私たちが生きていくための最後の望みの綱でもあるよ。アメリカのオバマ大統領が就任した時に、「グリーンーニューディール」というのが話題になったけど、経済も環境頼みなんだよ。

 先生 内藤君は、ディープ・エコロジーがいいと思うんですか?

 内藤 う~んどうかな。確認ですけど、ディープーエコロジーは自然と人間を同等に扱うってことは、木を切ったらまさか殺人罪になるんですか?

 先生 殺人なのか殺木なのかわかりませんが、建物を建てたいけど、由緒ある木がある場合、それを切らずになんとかするということになるでしょうね。

 内藤 それだとディープ・エコロジーというのは、ちょっと非現実的な感じがしますね。

 トム たしかに、グリーンピースとかシーシェパードとか、過激な環境団体が捕鯨船にボートで突っ込んでいったりしてますけど、なんか違うような気がします。

 マリリン あくまで人間社会を前提にして考えないと、逆になにも変えられませんよ。そういう発想は大事なんでしょうけど。
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シェアする時代

『哲学カフェ!』より

 マリリン 最近、就活のために読んだ『シェア』(レイチェルーボッツマン、ルー・ロジャース著)という本に似てますね。新しいビジネス形態の話なんですけど、これからは所有するんじゃなくて、シェアする時代だって言うんです。最初は、使っていない部屋をホテル代わりに貸し出したら、意外と需要があることに気づいて始めたらしいんです。それで最後は、なんでもシェアすると、共同体の活性化につながるという話になるんです。

 先生 それは、私も賛成です。いま、高齢者と若者が家をシェアするという事例もあります。つまり、家賃を安く抑えたい若者と、人手の必要な高齢者のニーズが合致しているわけです。あるいは、高齢化の進む団地に若い人を安く入れてあげると、団地じたいが若返ります。そうすると、これはもう共同体そのものを活性化することになっているわけです。

 トム 国は、こうした事例が増えるように支援していけばいいのですね?

 先生 ええ。自ら巨額の財政を投入する必要はまったくなくて、既存のストックをうまく活用できるように、国民にチャンスと権限を与えるのです。これを「エンパワーメント」と言います。

 イチロー だいたい、なんでも政府がやるっていうのは、窮屈な社会を招きますよ。

 先生 それも大事な視点ですね。いくら国にお金があったとしても、全部政府にお任せでは規制だらけで、逆に自由を失ってしまうかもしれませんから。

 マリリン そうか。面倒見てくれるのは、ありかたいことばかりではないんですね。

 イチロー やりたいのにやらしてもらえない時代もあったわけでしょ? 戦前までは、ずっとそうじゃないですか。その後だって、規制だらけで、日本というのは国民の力を信用していなかった。それを考えると、いい時代になってきたと言えますよ。

 トム 日本はそうだけど、世界にはまだまだ国がすべて実権を握ってて、国民はやらせてもらえないところがたくさんあります。その意味で、この問題はまだ過去形ではないと思います。

 先生 政府は、どこまで国民の面倒を見るべきか、もちろん簡単には答えは出ないでしょう。ただ、どうやら最低限、司法、治安維持、国防は政府にやってもらう必要があるという点では一致しているようですね。問題は、どこまで行政サービスを拡大するかですが、これについては、国民の自由を奪ってしまう程度まで行なってはいけないと言えそうです。

 森下 つねに国民が積極的にかかわって、どこまで税金でやるべきか議論し続けることが大事なようですね。だって無関心になったら、国の有利なようにされちゃう気がしますから。

 先生 そのとおり。じつは、国家とは私たち自身なのです。それでは、今回はここまでにしましょう。後はみなさんが、それぞれの人生のなかで考え続けてください。哲学の問いに終わりはないのですから。
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