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ポストモダンの七つの作法

NHK『マネジメント ドラッガー』より

ドラッカーは、モダン(近代合理主義)の次にくる時代という意味で、すべてがつながった複雑で変化の激しい我々が生きている今の時代を「ポストモダンの時代」と呼んでいますが、ポストモダンの時代を生き抜くには何か必要とされるのでしょうか?

彼はポストモダンを生きるためには、以下の七つの作法が有効であると語っています。すなわち--「見る」「分かったものを使う」「基本と原則を使う」「欠けたものを探す」「自らを陳腐化させる」「仕掛けをつくる」「モダンの手法を使う」です。

これらがいったいどういうことを意味しているのか、順を追って説明していきましょう。

まずは「見る」という作法について。見るとは全体を見る、すべてを命あるものとして見るということです。部分を見るのではなく、全体を見ることの大切さをドラッカーは高等数学の「バタフライ効果」を例に挙げて説明しています。

アマゾンの密林で蝶が一羽、ぱたぱたと羽ばたいた。そして、たまたま次の週にシカゴで雨が降ったとしましょう。この二つの事実は互いに何の関係もなさそうですが、二つが無関係であることは証明できないというのがバタフライ効果なる理論です。つまり、あらゆるものは、あらゆるものと関係しうるということを言っているわけです。だからこそ、理屈で考えるのではなく、全体を見ることが大切になるのです。

さらにドラッカーは見ることの補完として、他の人が見ていることについて聞くことも大切だといいます。たとえば、自分の「強み」がどこにあるのかは本人には意外に分からないものです。人に言われてはじめて「強み」に気づく。こうした「見て、聞いて、全体をとらえる能力」がポストモダンの時代には必要になってくるというのです。

二つ目の「分かったものを使う」。これは次に何か起りそうかを考えて行動するのではなく、すでに分かっていること、すなわちすでに起こったことをもとに行動せよ、ということです。ドラッカーは「すでに起こった未来」という言葉を使って「今起こっていることをしっかり観察すれば、おのずと次に起こることが見えてくるはずだ」と度々語っていますが、同じ意味ととらえていいでしょう。

三つ目の「基本と原則を使う」というのは、文字通り、ものごとを行なう時に絶えず基本あるいは原則となるものを知って使うということです。しかし、それを万能のものとして使うのではなく、補助線として使うことが重要です。たとえば何のための経営でしょうか。基本とすべき答えは、「世のため人のため」です。

四つ目の「欠けたものを探す」。これはギャップを探して新しいニーズを見つけることを意味します。現実に私たちの目には、すべてが見えているわけではありません。大事なものの多くは見えていない。目に見えないものによって現実の多くは支えられています。見えないものを明らかにするだけでなく、それによって見えるものの意味を示すことが大切となります。

五つ目は「自らを陳腐化させる」。ポストモダンの社会はどんどん変化を続けているため、同じことをやっていては、すぐにおくれをとってしまいます。そこで必要となるのが、あえて自らを陳腐化し、絶えず新しいものにチャレンジしていく姿勢です。

六つ目は「仕掛けをつくる」。これは理想を現実化するために何らかの仕掛けをつくるということです。そのひとつとして挙げられるのが、達成すべき目標を定めるということ。さらには、失敗した場合に反省するだけでなく、成功した場合に「なぜ成功したか」を検証し、成功を慣習化していく仕掛けをつくることも重要になってきます。

七つ目は「モダンの手法を使う」。ドラッカーはモダンの手法を「論理と分析」、ポストモダンの手法を「観察と知覚」と定義しましたが、やや色のあせはじめたかに見える「論理と分析」も、そこに限界が存在するということを分かったうえで使えば大きな力を発揮すると言っています。何しろ近代文明をここまでもってきたのはデカルト以降の「論理と分析」の力ですし、ドラッカー自身が「論理と分析」の力を縦横に発揮する人でした。
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日本社会の企業社会化

『トヨタ人事方式の戦後史』より

豊かさの浸透

 企業社会が日本全体に果たした最大の功績は日本の隅々にまで物質的豊かさを浸透させたことである。企業とりわけ製造業企業はモノを大量生産することが存在意義であり、鉄鋼、造船、化学、電機、自動車、住宅、食品など産業基盤や消費に直結した企業の活動が盛んになるにっれて、国民生活の消費水準も向上した。まず食料供給が回復し、やがて冷蔵庫、洗濯機、テレビが普及した。自動車の普及も際だっていた。民間の文化住宅の供給と、住宅公団による当時としては快適で小ぎれいな集合住宅も増えていった。工場からあふれ出た豊かさは、労働者自身の豊かさとなり、自動車労働者自身が自動車を持てる状況を作り出した。

中産階級の誕生

 生産活動には労働者が必要である。工場の増設、生産台数の増大は大量の労働力需要を生んだ。トヨタ人事部とこれに協力する豊田市は、日本全国にリクルート部隊を派遣して、新規労働者の確保に奔走した。トヨタの労働は厳しかったが、ともかくもこれに耐えて正社員に採用された労働者には相対的高賃金と、高水準の企業福利が与えられた。彼らは、マイホーム、耐久消費財、自動車、子弟の教育費をまかなうことができた。特に農村出身で低学歴の次三男にとっては父親が経験した劣悪な社会・経済状況とは比較にならない社会的、経済的地位の向上を獲得できた。彼らは産業化の最大の担い手であったと同時に、最大の受益者でもあった。こうして形成された農村出身の労働者層はこれまでの上層、下層ホワイトカラーと合体して中産階級となって一億総中流社会が誕生した。

学歴社会化

 戦後は日本社会全体が前近代から近代へと移行した時代である。人間の評価基準が出生主義、所属主義から業績主義、達成主義へと変化した。この変化の焦点にあったのが学歴である。他方、良好な安定した雇用機会の増大は、労働者家計に対して教育投資の余裕をもたらした。もともと日本社会の全般的な高学歴志向は企業社会内部の厳しい学歴差別から始まったのではないか、というのが本書の仮説である。高学歴志向はまず、親のある種のステータスとして求められ、またもちろん子弟自身のさらなる社会的地位上昇への願望として追求された。こうして瞬く間に中卒層は実質的に消滅し、中等教育に属する高卒水準が8~9害Uを占めるようになり、短大、高専、4年制大学など高等教育卒業者も4~5害lに達した。このような高学歴志向は裏返せば学歴差別の蔓延であり、学歴社会の成立でもある。

会社人間化

 これらの諸動向、諸傾向を生きた人間として体現しているのが、会社人間である。彼らは高学歴の取得者であり、有名会社の社員であり、安定した生活を送ってはいるが、その存在は全面的に個別企業に依存している。会社の価値観を内面化して、会社の期待通りに生きることが自らの生き甲斐になる。生きるために働くのではなく、働くために生きる。目的と手段が転倒して、自身の余暇の充実や家族生活を顧みない、地域活動にも参加するゆとりがない。こうした企業内人生を生きるしかない会社人間が日本人の多数派になった。企業社会で発生・発達した「ジェンダー体制」は外部社会に溢れ出て、企業内性別分業り反転像である家庭内性別分業を帰結した。男の会社人間化は企業内外のジェンダー体制化によって何倍にも強化され、将来を担う日本人男女の価値意識とキャリアを著しく歪めた。会社人間は会社の利益や立場を市民社会の道徳や規範に優先させる。会社のために企業犯罪の隠蔽、歪曲、偽装に手を貸す社員が後を絶たず、職業道徳、市民道徳は地に落ちた。

一元社会化

 日本の高学歴化と学歴社会の成立は、初等、中等、高等教育として順位付けられた社会のなかで誰がどこに位置するかを敏感に区別しつつ、ある種の生得属性に転化した学歴順に人を差別する社会である。前近代段階には保持されていた地域的多様性や文化的多様性は消失して、いい学校に入って、いい会社に就職をすることが、日本人のほとんど唯一の目標になった。受験競争は過熱し受験産業が隆盛になった。大企業の社員でなければ人ではないような評価基準が作られるとともに、生き方の多様性を許容しない偏狭な一元社会をもたらした。戦前・戦中は天皇を頂点においた一元社会だったが、戦後は大企業トップが頂点に座る一元社会になった。地方文化、方言、郷土料理、地場産業など、この余波で衰退・消滅した非物質的資産の価値は計り知れない。人間類型の会社人間化と社会全体の一元化とは、相互に補強・補完しながら社会全体の無個性化、無表情化をもたらした。普通の範囲からはみ出す人間や独自に思考する人間には、ひどく生きにくい社会になった。
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やはり、お客様状況の把握をキーにしないと

未唯へ

 今日は、1時間おきに起きていた。きついですね。家で本を読めるために、ブログ関係を早急に片付けます。

 海外へ行きたい理由は、今、行けば、何かが起こる。何かが見える。行かないと、勝手に起こる。起こるとしたらどこでしょうか。奥さんは反応しません。

エステーとお客様状況

 エステーで分かったのは、スタッフの覚悟がない。これで個人の能力が発揮できるという感覚がない。結局、人に頼るだけです。頼っても、本気で教えるわけがない。店舗がコミュニティとして、成り立っていない。

 お客様との関係にしても、3ヶ月前に急にやられてても、成果は上がるものではない。そんなものは、素人がやっても分からない。そのお客様のプロとして、行動することができない。

 その点では、秋田が一番まともです。一人あたりのお客様の数を決めて、その範囲で月に一回、接触を持つことを基本にしている。それで、常時、お客様状況を把握している。

 お客様状況把握には、ライブラリとコラボレーションが要求されます。お客様状況を把握して、皆で共有することです。

パートナーの判断予測

 パートナーは、相手を立てようとするので、表面で判断することになる。私には、あがきとしか思えないものが、パートナーには努力と見えるのでしょう。

 南国に靴を売りに行った時に、相手が裸足だから、売れるとか、裸足だから売れないという論点で終始する。そんな発想で止めてはいけない。なぜ、彼らが裸足なのか。その良さと悪さと今後、どうしていきたいのか、を考えないとダメです。

情報交換会のテーマ設定

 熊本のお店はスタンドプレイだけの紹介でした。社長も含めて、色々な試みを行っている会社です。それらの根幹部分を他の販売店に見せていない。

 これは、情報交換会のテーマ設定の問題です。自分の所の特徴を出せというテーマ自体が悪いです。もっと、お客様への接触の考え方を出して、そこで合意させないといけない。

ロープレの分析

 問答話集もデータ化します。これはロープレのレベルと関係します。切り返し話法についても、どこまでお客様の身になって考えられるかです。

 ロープレを切り返しで使うのであれば、意味がない。そんなものは勝手に覚えていればいい話しです。差別化と思っていることに対して、お客様はムダだと思っています。

 お客様が何を求めているかを知るのが、シミュレーションの意味です。お客様の質問の意味を考え、お客様のプロファイルを作る。お客様の要望を言葉にできれば、信頼を得ることができる。

 商品説明ではなく、お客様要望把握をするとなると、知っておくことは多い。スタッフのナレッジ化が必要なものです。

販売店での工夫を生かす

 うまくいった時のエステーをやっていた販売店があった。どうしたらうまく行くのか。ポイントを絞らないとダメです。その分の情報共有の方が分かりやすい。

 本人もよく知らないお客様についてのコメントに従って、先輩がコメントしても、答が出ない。行動は一番最後にしないといけない。考えることです。そのためのシミュレーションです。

意図と生活のマッチング

 老夫婦が病院通いをイメージしていれば、どんなものが必要なのかが分かるはずです。そこから話すことです。知らないことも知ることができます。

 カッコいいほうがいい、と言う中でも心理分析があります。どんなカッコ良さが異なります。誰に対してカッコよくしたいのか。父親としてなのか、恋人に対してなのか。

グーグルの安否確認

 グーグルの安否情報とマップとお客様除法把握をつなげれば、実際の空間が見えてきます。グーグルはPicasaの文化が役に立った。画像と映像は当たり前の世界です。それをつなぐものは多くあります。

 今は、ものすごい情報が走り回っています。3.11は9.11とかヒロシマと一緒です。皆の意識を変えるものです。そして、次の世界を考えるためのものです。永久エネルギーがあれば、人類は幸せになるのか。争いの元です。石油がそうでした。未唯空間で提唱した「しあわせのループ」の発想が必要なときです。
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