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スパルタ

『歴史哲学講義』より

スパルタに見られるのは、厳格で抽象的な徳と国家のための生活であって、個人の活動と自由は後退しています。スパルタの国家形成は、国家の利害しか眼中になく、自由な運動のない、精神を欠いた平等のみをねらいとする施設を基礎としておこなわれます。

国のはじまりからして、スパルタとアテネでは大きなちがいがある。スパルタにやってきたのはドーリア人であり、アテネにやってきたのはイオニア人であって、この民族のちがいが体制のちがいをももたらします。スパルタのなりたちはといえば、ドーリア人がヘラクレスの子孫とともにペロポネソス半島に侵入し、原住民を征服して奴隷にした。それがヘイロータイとよばれる人びとで、かれらはうたがいもなく土着民です。ヘイロータイ(奴隷)の嘗めた苦しみを、のちに、メッセニア人も嘗めることになるが、というのも、スパルタ人の性格には非人間的な残酷さがひそんでいるからです。アテネ人には家族生活というものがあり、奴隷も家族の仲間としてあつかわれたけれども、スパルタ人の隷属民にたいするあつかいは、トルコ人のギリシャ人にたいするあつかいよりももっと苛酷で、スパルタは戦争状態をぬけだすことがなかった。エフォロイ(監督官)が職務に就任するに際しては奴隷にたいして公然と宣戦を布告したし、若いスパルタ人の軍事演習のためにたえず奴隷が犠牲に供された。奴隷はときに解放されて敵とたたかうことがあって、そのときは、スパルタ軍の戦列にくわわって異常なまでの勇気を発揮することもあったが、帰国するや、極悪非道なやりかたで虐殺された。奴隷船にはつねに武装兵が乗りくみ、反乱がおきないよう細心の注意を払っていたので、このように、スパルタ人は奴隷にたいして注意をおこたらず、つねに戦争状態にあったのです。

さて、スパルタの政治体制についていえば、基本は民主制だが、それに大幅な修正がくわえられて、貴族制や寡頭制と見まがうものになっていますド国家の頂点に位置するのはふたりの王で、そのかたわらに、最良の人びとのなかから選ばれた長老会があって、裁判所の仕事をも兼ねています。裁判は明文化された法律にもとづくというより、習慣となった道徳や正義を基準にしておこなわれます。長老会はまた最高の統治機関でもあって、最重要事項について王に助言をあたえます。最後に、もう一つの最高官職がエフォロイ(監督官)ですが、その選挙がどのようにおこなわれたかは正確にはわからない。アリストテレスは選挙方法があまりに子どもじみているといいますが、アリストテレスのいうところでは、貴族の位がないものでも、財産のないものでもこの官職につくことができるようです。監督官は民会を召集したり、採決を要求したり、法案を提出したりする権限をもち、ローマの護民官とほぽおなじような地位にあったようです。かれらの権力は独裁的で、フランスで一時期ロペスピエールとその一派が行使したものと似ています。

スパルタ人の精神は徹底して国家にむけられていたため、そこには芸術や学問といった独自の精神的文化はめばえませんでした。まわりのギリシャ人の目から見ると、スパルタ人は頑固で、不恰好で、不器用で、ちょっとこみいった仕事だと途中でなげだすか、少なくとも大いに難渋してしまう人間のように見える。ツキディデスに登場するアテネ人は、スパルタ人にむかってこういいます。「おまえたちの法律やしきたりは、ほかのどこの国の法律やしきたりともちがっている。また、おまえたちが外国へ行くと、おまえたちは自分たちの法律やしきたりにもしたがわないし、といって、ほかのギリシャ人の習慣にしたがうわけでもないのだ。」スパルタ人は国内では大体において正直なつきあいかたをするが、外国人とつきあうとなると、そのあからさまな告白によれば、気にいったものを立派なものだと称し、有益なものを正義だといいくるめる。よく知られているように、スパルタでは(エジプトでも似たことがあったが)生活必需品をもちにげすることが場合によってはゆるされるので、ただその場合、盗みが発覚することだけは避けねばならないという。このように、スパルタとアテネは対立の両極をなす二国家です。一方の共同体精神はかたくなに国家へとむかい、他方は、共同体との関係をたもちつつ、教養ゆたかな意識とたゆまない活動でもって美と真をうみだしていくのです。
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アテネ

『歴史哲学講義』より

アテネがギリシャの他の地方の住民にとって、避難所の役割をはたしていたのはすでにいったとおりで、そこには種々雑多な民族が混在しています。農業、工業、商業(とくに海運業)など、多方面の営業がアテネにあつまり、内紛のきっかけともなりました。古くからある富裕な家系と貧乏な家系との対立が早く形成されています。居住地の土地柄とそれに関連する生活様式のちがいにもとづいて、つぎの三つの党ができあがっています。平地民からなる平野党は富裕な貴族の党であり、山地民からなる山岳党はワインやオリーブの栽培者と牧人の党で、数が一番多く、中間に位置する海岸住民の海岸党は穏健な党です。政治形態は貴族制と民主制のあいだをゆれうごいています。

ソロンは住民を財産の多寡によって四つの等級にわけ、もって党派の対立を緩和しようとしました。四つの等級のすべてが公共事業を審議し決定する民会には出席できるが、公職につくことができるのは上位三等級にかぎられていました。注目すべきは、ソロンの生前に、かれが出席して異議をとなえた民会で、僣主ペイシストラトスが権力をにぎったことで、ソロンの法がいまだ血となり肉となるにいたらず、いまだ共同体の社会秩序をささえる習慣とはなっていなかったのです。さらに注目すべきは、ペイシストラトスがソロンの立法になんの変更もくわえず、告訴されたときには、みずからアレオパゴス(評議会)に出頭したことです。ペイシストラトスとその息子たちの支配は、有力な家族や分派の権力をおさえ、秩序と平和を確立し、市民をソロンの立法になじませるためには、やむをえぬものであったようにも思われる。それが達成されると、支配は余計なものとなり、自由の法がペイシストラトス家の権力と矛盾をきたしてくる。ペイシストラトス家は追放され、息子のヒッパルコスは殺され、ヒッピアスは流刑に処せられます。すると、ふたたび党派闘争がさかんになる。反乱の先頭にたったアルクメオン家は民主制を支持し、スパルタに保護をもとめた反対派のイサゴラスは貴族制を擁護しました。アルクメオン家をひきいるクレイステネスが支配権をにぎり、こうしてアテネの体制はさらに民主化される。これまで四つしかなかった部族が十に拡大され、その結果、家系の影響力は小さくなりました。

最後にペリクレスが国家体制をさらに民主化します。かれはアレオパゴス(評議会)の権限を本質的な意味で削減し、これまでのアレオパゴスの職務を民会と法廷に分散しました。ペリクレスは堂々とした古代的風格をもつ政治家でした。国家生活に身をささげたかれは、私生活を犠牲にし、あらゆる祭礼や宴会を自粛し、国家のためにつくすというおのれの目的を片時もわすれることがなかった。こうして、ぞの名声は赫々たるものとなり、アリストファネスはかれを評してアテネのゼウスとよんでいます。かれには最上級の賛辞を呈しないわけにはいかない。かれは軽率な、しかし最高度に繊細で教養あふれる民族の頂点にたっています。そうした民族のなかで権力と権威をわがものにできた唯一の手段は、かれの人格と自信です。かれは自分が衆にぬきんでた人物であり、国家の安寧だけを気にかける人間であり、その精神力と知識において他の人びとに優位する人物だと信じていました。個人の力という観点からすれば、かれに匹敵する政治家を見つけることはできません。

一般的にいって、偉大な政治的人物がうまれる可能性は、民主政体が一番大きいといえる。民主政体では個人の自由が大きくゆるされるし、個人の才能を生かそうとする欲求も強いからです。が同時に、個人は、教養ある民族の精神や見解や情熱や軽率さを満足させるのでなければ、社会的に評価されることはありません。

アテネ人は共同体精神の輪のなかにありながら、個々人は活気に満ち、活動的で、個性ゆたかです。クセノフォンやプラトンにはアテネ人を非難することばが見られるが、それは、民主制の不幸な堕落がすでにはじまった後代のアテネにふさわしいものです。アテネの政治生活にかんする古代人の証言を得たいと思うなら、クセノフォンやプラトンにおもむくのではなく、現存の国家によく通暁し、国家事業を推進し、国家の最大の指導者と目される人物-つまり、政治家の言に耳かたむけねばなりません。とりわけペリクレスは、神々のごときアテネの個人たちのなかにあって、一頭地をぬくゼウスです。

かくて、アテネは、本質的に美を目的として生き、重要な公共事業と人間の精神と生活の向上にかんして透徹した意識をもち、大胆な勇気とすぐれた実践感覚とをむすびつけた国家のドラマを現出しているのです。
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ギリシャ精神の諸要素

『歴史哲学講義』より

ギリシャは個人を生かすような共同体です。共同精神そのものが個人のもとにとりもどされるので、精神が自然に埋没することはもはやなく、したがってまた、地理的条件が人びとの生活を大きく左右することもありません。国土は海によってこまかく分割され、たくさんの島々と、島のような形をした本土からなっています。ペロポネソス半島は狭い張りだし部分でかろうじて本土とつながっているし、国土の全体にたくさんの入江が食いこんでいます。全土が小さい部分にわかれ、しかも、海によって全体がつながり、むすびついています。山や盆地や小さな谷や川はあるが、大きな川やコ間に広がる谷間の平地はない。一様な地形が国土の大部分をおおうといったことはなく、山や川が入りくんだ地形です。東洋の場合、たとえばガンジス川やインダス川の流域の平野では、地平線がどこまでいってもおなじ形をしていて、そこに住む種族は画一的な生活を脱する変化のきっかけがつかめない、といった自然力の支配が見られる。が、ギリシャの自然はまったく多種多様で、それはギリシャ人の多様な民族性とギリシャ精神の活動性によくかなうものだということができます。

これがギリシャ精神の自然的特色で、そうした条件のもとにあるギリシャ人は、個人がみずからの足でたつ自立した状態を出発点として精神を形成し、家父長制にもとづく自然の結合をぬけだして、法律と精神的しきたりというべつの媒体のもとに統合をはたしたのです。ギリシャ民族にいたってはじめて、民族がなにかになるということがおこった。もとからある国民的統一には、分裂や異質の要素が大きく目につく。それを克服することが、ギリシャ形成の第一期のおもな課題です。異質な要素をかかえつつ、それを克服することによってはじめて、美しく自由なギリシャ精神がうまれたのです。この原理をわたしたちは肝に銘じなければならない。血縁と友愛を維持する種族が単純に発展していけば、そこに、美しく真に自由な生活がうみだされる、と考えるとしたら、それは皮相でばかげた考えです。一見、異質なものの入りこまない、安定した展開をしめすかに見える植物ですら、光と空気と水の対立する活動によって生命をあたえられ、生長していきます。精神のもとにある真の対立は、精神的な対立であって、精神は内部に異質な要素をもつことによってのみ、精神にふさわしい力を獲得するのです。

ギリシャ民族の生活を左右するもう一つの要素は、海です。ギリシャの国土は水陸両用の生活にふさわしいもので、ギリシャ人は、遊牧民族の放浪生活とも、河川地域の民族の定住生活ともちがって、海上を自由に動きまわるとともに、陸上でも自由な旅をしました。航海の主要な目的は、交易ではなく、海賊行為にありましたが、ホメロスを見るとわかるように、それは不名誉な行為とは見なされていない。海賊行為を制圧できたのはミノス王の力によるとされ、クレタ島は最初に市民政治の確立された土地として有名です。それ以前のクレタ島は、のちのスパルタに見られるような一党支配の地で、他の党はそれにつかえ、そのための労働に従事しなければなりませんでした。

こうして、ギリシャ人の国家形成以前に、すでに、文明をもった他民族の植民活動かおこなわれていたことになりますが、この活動は、イギリス人の北アメリカにおける植民活動と同列にはあつかえない。イギリス人は原住民とまじることなく、原住民を追放しましたが、ギリシャヘの植民は、外来のものと土着のものがまじりあっていったからです。植民者の到来の時期は、はるか紀元前十四、五世紀にさかのぼります。カドモスがテーバイを建設したのが紀元前一四九〇年ごろとされるから、モーゼのエジプト脱出(紀元前一五〇〇年)とほぽ同時期です。アンピクテュオンもギリシャの建設者のひとりにかぞえられ、テルモピレーでギリシャ本土の群小民族とテッサリアの民族とのあいだに同盟を成立させたとされます。のちの大アンピクテュオン同盟のもといをなすものですが。

ギリシャ精神の基本性格をなす美しき個人とはそのようなものです。この概念は多方面に光をはなって実現されますが、以下、その光の一つ一つを見ていかねばなりません。どの光も芸術作品をつくりあげていて、それを三重の像としてまとめることができる。第一の像は主観的な芸術作品、つまり、人間そのものの育成であり、第二の像が客観的な芸術作品、つまり、神々の世界の造形であり、第三の像が政治的な芸術作品、つまり、国家体制と個人のかかわりです。
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哲学的な歴史

ヘーゲル『歴史哲学講義』より

この講義の対象となるのは哲学的な世界史です。つまりここでは、世界の歴史をながめわたして、そこから一般的な反省をひきだしてきたり、歴史上のできごとを例に一般的なものの考えかたを解説したりするのではなく、直接に世界史そのものを相手とします。

一般的にいって、歴史の哲学とは、思考によって歴史をとらえることにほかなりません。わたしたちはいついかなる場合にも思考をやめることができない。人間が動物とちがうのは、思考するからです。感覚のうちにも、知識や認識のうちにも、衝動や意思のうちにも、それらが人間の活動であるかぎり、思考がはたらいています。が、このように思考がもちだされるのに不満をおぽえる人もいるかもしれない。というのも、歴史においては、あたえられた存在に思考が従属し、思考はあたえられた存在を基礎とし、それにみちびかれるのにたいして、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるからです。哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いねば歴史を先天的に構成することになる。ところが、歴史の課題は、現在と過去の事件や行為をありのままにとらえるところにあって、あたえられた事実に執着すればするほど真理に近づくことになるはずだから、歴史のめざすところと哲学の仕事は矛盾するのではないか、というわけです。この矛盾と、この矛盾ゆえに哲学的思索にあびせかけられる非難については、ここできちんと説明し、誤解を解いておかねばなりません。

哲学が歴史におもむく際にたずさえてくる唯一の思想は、単純な理性の思想、つまり、理性が世界を支配し、したがって、世界の歴史も理性的に進行する、という思想です。この確信と洞察は、歴史そのものにかんしていえば、一つの前提事項ですが、哲学にとっては前提事項ではない。理性-という表現をここでは神と関係づけることなくつかっておきますが、その理性が、実体であり、無限の力であり、みずから自然的生命および精神的生命をなりたたせる無限の素材であり、この内容を活性化させる無限の形式でもあることが、哲学的認識をつうじて証明されるのです。理性が実体だというのは、あらゆる現実が、理性によって、理性のなかに、存在し、存在しつづけるということであり、-無限のカであるというのは、理性がたんなる理想像ないし目標にとどまって、どこか現実の外に、たとえば何人かの人間の頭のなかに特殊なものとして存在するような、そんな無力なものではないということであり、-無限の内容だというのは、あらゆる実在と真理が理性であり、理性は活動の素材を自分で自分に提供するということ、いいかえれば、有限の活動の場合のように、外からあたえられる材料や手段を利用して、それをみずからの活動の糧とし対象とするような、そういうものではないということです。理性はおのれを糧とし、自分自身を材料としてそれに手をくわえる。理性にとって前提となるのは理性そのものだけであり、理性の目的が絶対の究極目的である以上、理性の活動や生産は、理性の内実を外にあらわすことにほかならず、そのあらわれが、一方では自然的宇宙であり、他方では精神的宇宙--つまり、世界史--なのです。そうした理念こそが力強い永遠の真理であり、その理念が、いや、その理念と理念の栄誉と栄光だけが、世界のうちに啓示されることIそれが、すでにいったように、哲学の証明するところであり、歴史においては、証明ずみの真理として前提される事柄です。
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市民の意識付け ②

ニコルさん

 コペンハーゲンの環境設備を案内してくれた人の名前を、NHKの北欧特集を見ていて、思い出しました。ニルスさんです。どこを旅するのでしょうか。

リーダー論

 リーダーは設計者である。こんな本がありました。船長ではなく、その船の設計者がリーダーです。目的を明確にして、そのための手段と人の配置を決めます。あとは行ってください。

 環境塾でもこのリーダー論を確認します。皆が船長ではいけないでしょう。航海者もその中に入るけど、それは私の役割ではない。

イザという時の組織

 イザという時に変われない組織は組織ではない。3.11はイザという時です。それに対して、何をどう提案するかを、この会社は求められている。それに対して、今のところは何も応えていない。

 お客様との接点にいる、販売店がその意識がないことは、情報交換会で確認できた。まあ、それ次第で、見限るしかない。その以前に見限られるでしょう。

日本の地域組織

 日本の地域組織は支配のためです。クライシスに対して、何も機能しなかった。自分たちが生き抜くためのコミュニティができるかどうかです。そのための道具と概念はあります。

 日本自体を位置付けないといけない。特殊な世界です。コモンなしに、やっていけるのか。それを実現させるためにクライシスが起き、次も用意されています。いつ、動き出すのですか。

 県でちゃんとした支援ができないと、コミュニティは安心して動けない。これを日本型の地域組織にしていく。そのために、国と県と市と市民のループにした、社会構造を位置付ける。

この社会は私の内側にある

 何があろうと、この社会は自分の内側にあるという感覚を持っている人になかなか会わない。これを感じさせたくて、「意思」は、私をこちらに送ったのでしょう。
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市民の意識付け ①

未唯へ

 名古屋のスタバの女性客は魅力的です。本さえあれば、どこにも寄らなくてもいいです。バス停で読むことも可能です。

 睡眠時間だけは気をつけましょう。バスの中では寝るようにします。夜は、寝ているのか寝ていないのか分からない状態です。寝始めの睡眠の深さだけが頼りです。睡眠時間の積分を信じています。

 登録されている人以外の人からのメールを全て、拒否しました。ケータイは正確な時間を見るための時計です。休みは部屋に置きっぱなしです。

私の案

 色々な本を見ていると、私の案はさほど珍しくないけど、数学とか歴史に及んでいることとコミュニティを優先することが違います。

 スマートグリッドと言っても、皆がその気にならないとダメです。使わされるのではなく、自分たちが全体のコントロールできる世界です。

 もとの考えは近傍系です。これなら簡単にイメージがわきますか。必要十分であることも自明です。近傍系の話をしても誰も信じないし、理解できないでしょう。ヘーゲルのように自信を持たないといけない。

さまざまな案

 愛知県の記述の中にも同じような物があるけど、どこまで魂が入っているかを確認しましょう。クライシス以降、色々な提案が出ている。似たり寄ったりです。画期的な提案を愛知から発信させます。

エジプト革命

 チュニジア・エジプト革命とフランス革命はよく似ている。先行きがわからないけど、政権を倒した。その後のフランス革命はどうなったか。ナポレオンが出現したりしたけど、新しい社会、民衆の世界を作り上げた。それを掠め取られた。

知りたいことが一杯

 ここへ来て、知らないことが一杯あります。数学哲学などは知らなかった。新しいものを作らないといけない。今は、知ることと出すことを同時に行っていきます。

市民の意識付け

 お客様状況の成果は地域の方に使いましょう。どうしたら、市民の意識が変えられるかの設計です。白熱教室のような公共哲学を採用しないといけない。ただ、販売店でお客様と組んでできないのであれば、地域でもできないのは確かです。販売店での活用も同時に進めます。

 ロープレは事例です。切り返しを含んだ、話し方を規定しています。コンテンツの分析をしています。感じたのは、相手をどこまで分かっているかがポイントになります。つまり、状況です。ゴルフをしない人に、4つのバックが乗るから、エコだと言っても意味がない。

 それとメーカーのロープレ・コンテンツは商品説明になっている。仲間の事例をライブラリを持っていて、それでコミュニケーションするしかない。これも販売店ヒアリングした時に、考えたことです。
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