goo

パートナーへのつぶやき

1月・2月のブログを反映をしていて、気づいたのは、パートナーへのつぶやきの多さです。それをまとめてきた。その時に状況をイメージするとなかなか興味深いです。

パートナーがライブラリーに夢が持てない。
パートナーがいると思うから面倒なのです。
パートナーの夢に負けない、まともな見解が出せるかどうか。
パートナーの夢次第です。
とりあえず、パートナーを安定させることに専念します。
パートナーとの分担も含めて、やはり、今年のテーマです。
パートナーには、第2レイアまで上がってほしい。
つまり、パートナーの視点です。
隣にパートナーが居た方が、時間が経つのが早い。
パートナーにも参画してもらい、プロジェクトへの覚悟を決めてもらう。
これもパートナーの「夢」にしてほしい。
パートナーへのプレゼンのシーンを思い浮かべていた。
パートナーの夢があれば、それを全力で支援はします。
パートナーが関係部署に思いを伝えられるような原稿を作って行きたい。
パートナーから「ふわふわした」プロジェクトと言われた。
パートナーが関係者にプレゼンできるものにします。
まあ、パートナーの夢次第です。
パートナーが本音でないことを言っているときはすぐ分かる。
パートナーに弧高を求めるのは無理!
パートナーでイメージを作ろうとしたが、無理強いは出来ない。
パートナーはいつ、自分の大きさに気づくのか!
パートナーのことよりも、この会社の先のことを考えているのは確かです。
仕事でパートナーに強要しているのは何のためですか
パートナーの夢解析の詳細を行います。
これはパートナーが予言していることです。
パートナーと「仕切る」ことを論議していた。
パートナー個人のミッションとして、何をするのか。
パートナーのために「事務局機能」と「ライブラリの拡大」に続けます。
これもパートナーのテーマです。
パートナーの仕切ってもらいます。。
パートナーからは今日はほとんどシカトされていた。
パートナーへの仕事への関与はやめる。
この構図をパートナーと話しかったけど、無視された。
パートナーの反応は意に介さない。
パートナーに確認を行いました。
現実にパートナーが行っていることを項目に入れ込むことを通告しました。
ネットワーク部分についてはパートナーに仕事にしていく。
これらは明日、パートナーにつなげよう。
パートナーの顔には笑いはない。
パートナーも単なる拘りです。
分かる可能性を持っているのは、パートナーしかいない。
パートナーが、この会社の最後の防衛線です。
パートナーとは、2年前の3月からずれてきているのは分かっていた
パートナーへのメールの答が返ってこない。
パートナーに言いたかったことは、このことです。
昨日のパートナーとのやり取りなども考慮した。
明日のパートナーとの進め方検討に生かします。
パートナーと次期ネットの進め方の検討を行った。
理解してほしいよりもパートナーを支援してもらうためです。
パートナーに自然に分かってもらう。
パートナーと話すと頭に来て、後味が悪い。
パートナーからの反応が薄くなっています。
だから、ライブラリはパートナーです。
パートナーには、現在の業務の延長線上で、進め方を考えてもらいたい。
これはパートナーでないとできません。
パートナーも育ったからフォローも必要なくなっています。
パートナーは、今のことしかできないから、「先の人」は嫌います。
パートナーに深い部分を説明しても、不快な思いをするだけです。
パートナーが居ないときの仕事と一緒です。
心配してくれていたのはパートナーだけですね。
パートナーには、現在の業務を進めながら、自分の能力にめざめてほしい。
ネットワークはパートナーでないとできません。

本当に葛藤していた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

インドネシアの世論とイリュージョン

『南部アジア』より インドネシア--民主化時代のイスラーム政治--

「どう見ても、権力闘争ですよね」

東南アジアでイスラームと言えば、ますインドネシアを思い浮かべる人が多い。ただムスリム人口が支配的な国ということだけでなく、近年、外国人をターゲットにしたテロリズムが増えていることも、そのイメージ形成に影響していよう。インドネシアのイスラームは、政治アクターとして、どのような役割をもっているのか。民主化によって大きく変容しているインドネシアの政治におけるイスラーム勢力の動態を考察する。なゼ過激主義が台頭しているのか。また伝統的な農村部、あるいは近代的な都市部で、政治とイスラームの関係はどのように再編されようとしているのか。またグローバルなイスラーム主義運動とインドネシアは、どのように連動しているのか。イスラームの多様な挑戦を理解することは、インドネシア政治の行方を考える上で欠かせない。

2002年以降、爆弾テロ事件が頻繁におきる状況や, 2004年の総選挙で福祉正義党ブームが起きたことを背景に、外国メディアはインドネシアの「イスラーム化」を語る機会が増えている。それは少なからず国際世論を形成してきた。同時に、ハンチントンの「文明の衝突」や、冷戦後のアメリカの中東政策、さらにはイスラーム復興運動のグローバル化の文脈でインドネシアを見る視点が、外交政策に投射されるようにもなった。たしかにグローバルにイスラームをとらえることは重要ではある。しかし、インドネシアにはインドネシアの力学がある。そのローカルな力学をクローズアップしてきた。

この国の政治が「イスラーム化」しつつあるという国際イメージはイリュージョンに近い。なぜなら国民がそれを支持していないからである。各種世論調査は一貫してその傾向を示してきた。選挙でもイスラーム系政党を支持するのは、常にマイノリティである。さらに、2005年から全国一斉にスタートした地方首長の直接選挙でも、今日に至るまで急進的なイスラーム主義を掲げる候補者が当選したケースは皆無に等しい。

この国のイスラーム政治は、世論ではなく権力政治の論理で見るとベクトルが浮き彫りになる。特に民主化で政治参加と競争が開放され、権力関係が流動化していることに着目することが重要である。この流動化が、一方で封建社会のキアイ政治を強化し、他方で都市部大衆の政治不信の受け皿を作り、同時に過激集団を解き放つ、といった3次元の展開をもたらしている。言い方を変えれば、これらはすべてエリート政治の産物であり、たとえばキアイの利用、政治腐敗の制度化、過激集団の利用といった問題に起因している。今後もそれは変わらない。インドネシアのイスラーム政治の実像は、ここに核がある。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界に羽ばたくインド系移民

『南部アジア』より インド-グローバル化への対応と民主主義の強化

「インドの人口問題が問題にならない理由が知りたい」

急激な経済成長を遂げつつあるインドは、国内政治面では民主政治の新たな段階を迎えつつある。インドは発展途上国としては比較的有利な条件の下で民主政治を始動させたが、その後社会の変化に伴い数々の試練に直面した。エリート政治から大衆の政治参加要求、そしてグローバル化に対して、政党制の変遷と地方分権の強化などで対応してきた。環境の変化に対する柔軟性と適応能力において、インドは抜群の強さを示してきた。

一方外交面でも、冷戦終焉後アメリカとの大幅な関係強化、対中関係改善、パキスタンとの和平プロセス開始など、大きな舵取りを行い、かなりの成功をおさめている。近隣諸国の政情不安定に懸念が残るものの、ロシア、ヨーロッパ、アジア諸国との関係も順調に推移している。内政、外交両面でのダイナミックな展開と、実力をつけた在外インド人の活躍が、今後さらにインドを世界的大国へと押し上げていくことであろう。今後を占う上で、エネルギー問題が一つの焦点になるかもしれない。

印米両国が急接近した大きな要因のlつは、在米インド人の存在である。インド人移民は、主としてプランテーションなどの労働力として大規模に海外に流出した19世紀以来、様々な形で、いくつかの波をつくりながら行われた。在外インド人総数は2000万人を超える。東南アジア諸国には19世紀以降主としてプランテーション労働者として多くが移民したが、最近では、1990年代以降インドの最も優秀な専門知識をもつ人たちが欧米諸国へと移民している。IT技術者、医師、法律家などである。起業家も多い。彼らは、イギリスや北米に数多くいるエスニック集団のなかで、教育レベルおよび所得水準でトップクラスの地位を誇っている。インド政府の2000年の調査によれば、アメリカではインド系移民の平均年収は6万93ドルで、全国平均の3万8885ドルを大きく上回っている。カナダではインド系人口の所得水準は全国平均より20%高い。

以前は「頭脳流出」として、インドにとってのマイナス面が強調されていた彼らの存在が、インドの経済自由化と急速な成長が起こった1990年代以降、11名の上院議員を送り出しており、アメリカでもインド系アメリカ人が政治力をつけ、インドの核実験などに際して、反インド的な立法を阻止する上で重要な役割を担うようになった。今やユダヤ人と並ぶほどのロビー活動が行われており、それがアメリカ政府、インド政府双方の政策に大きな影響を及ぼしている。米印原子力合意に際してもインド系アメリカ人の発言力は大きかった。

インド政府も積極策に転じた。在外インド人とのパイプの確保に特に熱心だったのはBJPである。在外インド系住民の力を本国の経済発展に利用しようと考えたわけである。インド系移民の母国への帰国、投資、送金などが容易になるような政策を導入し、さらには先進国などに居住する住民には二重国籍を認める法改正も行った。今や、在外インド人は自由に母国と行き来し、郷里で結婚相手を見つけて豪勢な結婚式を催し、巨額の投資も行う。インド本国の経済成長と平行して、在外インド人も活発な動きを示し始めた。まさにグローバル化時代ならではの動きである。

長らく眠っていた巨象がついに動き始めた。中国と並んで、急浮上するアジアの大国が世界的注目をあびている。しかし、中国の台頭が多くの国で中国脅威論を呼び起こしているのに対し、インド脅威論はあまり聞かれない。おそらくその理由は、民主国家インドの透明性の高さに求められるであろう。内政、外交両面でのダイナミックな展開と、実力をつけた在外インド人の活躍が今後さらにインドを世界的大国へと押し上げていくことであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

国民統合原理としての「ブータン性」

『南部アジア』より 多民族国家ブータン--国王主導の「民主化」

「ブータンの「国民総幸福」には何か裏を感じていたのでアップした」

ブータンは、多言語・多民族国家ながら、「ブータン性」に基づくネーション形成をめざしている。しかしこの方向に不安を抱かせる最大の存在が、「ブータン性」とは異質な、南部のネパール人の存在である。南部に住みっいたネパール系住民が、土地を開拓して定住し、その人口は急速に増えていき、ブータンの民族構成を大きく変えるまでに至った。チベット仏教を起源とする宗教文化・社会構造によってブータン政治を担ってきた「ブータン人」は、ヒンドゥー教徒であるネパール系住民の増大を「ブータン性によるネーション形成」への脅威と見た。

この問題に対処するため政府は、「ブータン化」を強調する一連の布告を発した。国籍法改正による国民認定条件の厳格化、国語ソンカ語の使用や、公的な場でのゴー、キラと呼ばれる民族服の着用義務化、第2外国語としてのネパール語教育の禁止などである。加えて南部に居住するネパール系住民の「強制排除(国外追放)」も強行した。このような「ブータン化」の押しつけとネパール系住民の排除は、幾世代もかけてブータンに住み着き、ブータン国民と認められたネパール系の人々の不安をかきたてた。

政府は、国外追放の対象となるのはネパール系ブータン国民ではなく、南部の非合法移住者であると説明したが、戸籍制度がないため国籍証明が困難なケースが多く、さらに末端では「ネパール系住民の過剰な排除」もあり、国外に逃れたネパール系住民は10万を超えた。ブータン政府による扱いに不満をもつネパール系住民のなかから政党結成の動きも強まった。これらの政治組織のなかには、王制批判、王制廃止を唱えるものもある。ネパールにおける民主化の動きも、ブータンのネパール系住民の政治化に影響している。

国民統合原理としての「ブータン性」の追求は、王制の正統性の根拠でもある。しかし多言語・多民族国家のブータンで、ナショナル・アイデンティティとして「ブータン性」を追求し確立していくことには困難が伴う。このことはネパール系住民問題で明らかとなった。「立憲君主制と議会制民主主義」への移行をめざすブータンが、ナショナル・アイデンティティとしての「ブータン性」を国民から問われる事態になれば、体制そのものが揺らぎかねないのであるレ

国民統合原理として、行政改革と国民意識結束の試みに触れておく必要があろう。先に、第4代国王による制度改革を述べた。国王はこれと並んで、技術と環境、近代化と伝統の調和などを織り込んだ「国民総幸福(Gross National Happiness)」構想を国家指標として打ち出し、様々な局面で積極的に取り上げた。「国民総幸福」は、「ブータン国民の幸福」をめざすことでブータンの国家建設つまり国民統合の指標となり手段となるのである。 2008年には、新憲法の施行と、成人普通選挙による国会議員選挙が実施された。また2008年には、現国王が退位し王座を皇太子に譲った。新国王はそれ以前にすでに国王代行として重要な国事に参加してきた。王室主導の、しかも矢継ぎ早の一連の制度改革に、多民族国家ブータンの国民統合の苦悩が読み取れる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )