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日曜日に会社にいます

未唯へ

 今日は日曜なのに、なぜか、会社にいます。朝、名古屋駅が空いていた。会社に入ってしまうと、曜日を忘れます。

環境塾の反省

 多く、話しすぎた。作るだけの人に対して、説得はしません。私は語るだけです。自分の世界でやって欲しい。「いい町・いい社会」も同じです。その人たちが自分たちのイメージを自分の言葉に替えればいいです。知ったことではない。

 社会のテーマだと、社会構造を設計することになります。彼らが本当にできるのか。社会というテーマで、素人が分析できるものではない。

 社会学者でも難しいのに、技術者が束になっても難しい。だから、やります。彼らに分からせるために。あくまでも、メンバーの口から出るようにします。

 感覚的に、メンバーの女性とはある所までは合いそうです。本番のプレゼンは度胸でやっていた。分からないのに、瞬間的にロジックを組み立てていました。

読書体制の変更

 棚に、借りてきた本があると気になってしょうがない。早く片付けたい。ブログもやらないといけない。早く帰ってやりましょう。今日は6時のバスです。

いい町・いい社会

 「いい町・いい社会」はグローバルから発信することに意味があるのです。住民が言うのは、自らのことです。それに対して、グローバルは支援することです。そのために、拠点が地域にどのように溶け込むか

 売ることがベースでなくなった時には、市民と一緒にやっていくしかない。その感覚が技術の連中を含めて、分かるのは、時間が掛かります。半年を掛けます。

 メーカーの定義では「いい町・いい社会」は成果物になっている。そこへのプロセスは書かれていない

環境塾の進め方

 次の講演から、社会との関係をあわせていくのを先に行います。答は作っておきます。あくまでも答です。全ての答を持っている以上は、そこから出てくるのは答です。他のテーマも社会の変化と関係してきます。社会は本来のテーマです。

 環境問題と社会との関係からやっていきます。未唯空間の第1~4章を見直します。エコットでの環境から来ました。具体的事実は埋め込みます。表面は抽象的な概念にします。それが言葉になります。

 社会変化の資料は膨大です。方法論ではなく、現実のための資料を集める。環境という制約はあるけど、未唯空間を使えばできます。

資料のまとめ方

 まとめる時も、検討する時も、まとめ方の方法論が重要です。私の場合はサファイアで考えてきました。そのための講義がありません。すべて、OJTなのでしょうか。縦軸・横軸では時間軸ができません。最低、3次元が必要です。それに複雑性が入ります。

 「見える化」のために、文字化を進めているが、それをどう使っていくかが見えない。SFDCのナレッジはツイッターベースです。そこから、人間のキーワード検索を模して探していきます。それ時の記事も40字以内がベストです。ナレッジエンジンがしっかりしてくれば、自動回答します。それが店舗のナレッジ化の私のイメージでした。これは汎用性を持ちます。

環境と未唯空間

 環境との接点では「循環」「持続性」を未唯空間で定義しましょう。

 技術の連中は「いい町」と言った時に、「いい」の定義は何かというよりも、「いい」に自分たちの要素技術が活かされるかを気にします。それが彼らの発想です。要素技術の技術者が何を考えるかはわかります。研究開発部署で、ずっと相手にしてきました。彼らは方向を欲しがっています。

 一般の人がどのように考えるかを分析しましょう。そのためには自分の考え方を出さないといけないとリスクがあります。回っていれば、循環か。持続は見えないですね。

近傍系を座標系

 近傍系で作る空間とベースとなる座標系は異なることが、ふつうの人には認識できないことが分かりました。近傍系がグローバルになることはない。従来の世界からすると、難しいかもしれない。持続と循環は関係します。

社会を変えたくない人

 社会を変えないとどうなるかという所から、マイナスにする方法がジャンルが異なる所で同じようにあることに驚きました。どこでも保守的な人はいるんですね。

 やらない理由を述べる技術者。全ての人にOKなものはありません。今が一番言いと思っている人に合います。ハイデッカーではないけど、呆然たる日々を過ごしていてはいけません。
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ニヒリズムを乗り越える

『現代文明論講義』より

人間は自らの存在の意味を問う

 ハイデガーこそは、そのいわばヨーロッパ文明の危機という意識の中で新たな哲学を構想しただけでなく、彼の哲学的な試みは、ただ哲学という専門的研究を超えた大きな思想的影響を当時の社会に与えたのです。彼の『存在と時間』が出たのは一九二七年ですが、この書物は、本来は、ギリシアから始まる西欧の哲学史を書き換えるという大きな野心をもった膨大な作品になるはずのものの、いわばイントロダクションです。にもかかわらずこの書物は大きなインパクトを与えました。

 どうしてか。それは、この書物の中に、ヨーロッパの陥った危機の意味を解き明かし、それからの脱出口を示唆するという思想的な意義を多くの人が読み取ったからでした。それがハイデガーの意図したことかどうか、それはよくわかりません。しかし、とくに若い人たちは、この書物の中にいわば「生き方を変える」ような意味を読み取ったわけで、それは無視できない重要性をもっています。

 ここで超難解なハイデガーの哲学を解説することはとてもできません。ニヒリズムという主題に関わる限りで、必要な論点を至極簡単に提示しておきましょう。

 ハイデガーの問いは、そもそも何かがある、というのはどういうことか、ということです。存在する、とはどういうことか。そして何かがそこに存在するということに我々は驚かなくなってしまった。存在への問いかけ、ということを我々は忘れている。

 しかし、ハイデガーは、人間は常に、この世の中にあって、さまざまなものや人という「存在するもの(存在者)」に意味を与え、存在するものの自分にとっての意義を明らかにしようとしていると言う。つまり、人間という存在の特異な点は、人間はあらゆる存在するものの意味を問おうとするところにあるのです。「存在への問い」を発するものなのです。

 そして人間そのものも、この世に存在する存在者の一つです。したがって、人間は何よりも自分自身の存在の意味を問おうとする。そこにこそ、この世界の中に現に存在する人間の最大の特質があるのです。人間が人間である由縁とは、自らの存在の意味を問うということをおいてほかにありません。

死を見据えて生を充実させる

 という点にあるとすれば、人は、このような惰性的生活に何か不安を感じるだろう、とハイデガーは言います。漠然たる不安。こんなことをしていていいのか、私はそもそも何をしたいのか、という疑問が、とりあえずは漠然たる不安として出てくる。

 ところがこの不安をバネにして、人は自らの存在の意義を問うこととなり、その問いを通して自らの「本来のあり方」へと関心を移すようになる。本当の生き方はこんなことではないだろう、と考える。

 この場合、自分の本来のあり方を問うという大きなきっかけを与えるものは、人間が有限の時間の中で生きている、という事実なのです。そしてハイデガーにとって時間の意味とは、過去のものはすでにすぎ去って失われるのではなく、常にそれは現在を規定しているものであり、また、未来は決して先にある見えないものなのではなく、まさにいまここへ到来しようとして現在へと突き刺さってくるものだという点にあります。

 そして、人の未来を確実に待っているものは「死」です。とすれば、人は、やがてやってくる「死」を見据え、「死」へと向かって現在の一瞬一瞬に意味を与えるような決断を下してゆこうと思うものでしょう。この瞬間、瞬間を大事にしようとするでしょう。と同時に、それはまったく過去に縛られない自由な決断などというものではなく、過去を引き受け、過去の経験を生かすような決断です。それによって、将来の「死」を先取りした現在に意味を与えることができる。この「死」を先取りした現在の意味づけ、決断をハイデガーは「先駆的覚悟性」という言い方で表現しました。

 そして、「先駆的覚悟性」をもつことこそがその人の生き方の「本来性」だと言う。注意しておきますが、ハイデガーは、人間は「先駆的覚悟性」をもってその本来の生き方に気づかなければならない、と言っているわけではないのです。もしも人間というものの特質が、存在の意味を問う、というところにあれば、当然そうなるだろう、と言っているのです。

 ハイデガーの「人間存在論」はまさしく、この「不安」を契機にしてニヒリズムからの脱却の方向を示唆していたわけです。それは、存在のありようとしての「本来性」の自覚ということです。「死」を見据えることによる自らの存在の本来的ありようを自ら選び取る、ということなのです。「死」とは言い換えれば「無」です。その「無」を見据えた生の充実、ということをハイデガーは示唆しているわけです。
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環境塾一日目 ①

未唯へ

 栄で朝市をやっています。お客はそこそこです。ブースに売り子がいるけど、ペイしているのか。

旅で得たもの

 旅行では色いろいろなものを見つけました。ギリシャとトルコでも啓示を受けました。デルファイでは、「行動よりも考えろ」。赤ピラミッドでは「歴史は変えられる」

 サンフランシスコ図書館に行ったときは、隣のサンフランシスコでのWindows2000発表会に入ってしまった。ビル・ゲイツもいました。その後に、バークレー大学では、デジタルライブラリーの世界を勝手に見ました。

 環境問題で、ハメンリンナに行ったときに、TGALの現場を見ることができた。TGALを分解して、サファイア循環に変えました。

 NZのクライストチャーチで、インフラの弱さ、それに対する人間の無力さを直に見ました。だから、今の段階で旅に出ないことは、得られる何かをなくしている。旅に出たい。

 とりあえずは、偶然の機会で、隔週14日間の環境塾での見聞きを旅行だと思いましょう。旅行に持っていって、風景と心の移り変わりを表現する、ポメラを持っていきます。セミナー会場はバスの中と思います。

環境塾の心配事

 今日のグループ討議での心配ごとは、私は人の人生に関心を持っていないことです。煩わしいだけです。小説でも、そういうところは読みとばします。

 自分の人生をさほど、分かってもらいたいと思っていない。だけど、考えたことを表現しようとします。これは知ってもらうためではなく、メモです。。

 46分だと、20分に出てこないと間が持たない。早く停留所に着いてしまう。

 交通費は片道700円ではない。地下鉄乗り継ぎです。プラス200円です。豊田市まで歩いて、電車と地下鉄でいくらなのかを調べます。これなら、豊田市の駅前のスタバに寄れます。

環境塾情報

 あいち環境塾の資料はすべて県の資料です。やはり、県が関係しているのか。塾長も県の関係者です。スタッフとして、4人いました。

 県という単位が2030年にあるのかというと、ない確率の方が高いですね。何しろ、中途半端です。

 希望チームは「社会」です。環境は社会の中にある。社会を変えないと環境は変わらない。ただ、レベルがどうなるか。ゆっくりやっていきましょう。

チーム編成

 チームに女性が入った。打たれ強いそうです。昔のパートナーの感じですね。恐いもの知らず。

 最初にチームとテーマを決定するとは思っていなかった。関心ごとで分けたのが、正解かどうか。テーマはいいけど、講師が話したことをどうつなげていくかです。どういうものを自分の中に入れ込むかです。やはり、一人で考える方がまとまるというのが実感です。

チューターという存在

 チューターが18名もいます。ほとんど、工学部系の大学院生か准教授です。チーム活動の支援だそうです。

 チューターから何を得るかです。塾生と同数居ます。

 名大の研究科長が顧問。一流の講師、講師とのディスカッション。あえて、塾としている。

 シューターの紹介でのキーワード;熱エネルギー、環境は複雑系、社会科学(環境マネジメント)、CSR、場を作る技術、環境デザイン、大震災で考えることが変わってきた、都市計画(市民参画型)、環境カウンセラー(環境ビジネス支援)、エネルギーを作る、エネルギーと環境の提言、太陽光には過度な期待、楽しい省エネ、エネルギーのストックとフロー、環境学研究(土木)、都市の代謝、エコトピア(インフラ整備)専門分野の言いたい放題への反発、省エネ技術の開発、一期生から起業

塾の目的

 考え、行動するリーダー。その間の強い人的なネットワークを作ることだそうです。私は考えるだけです。

 人材育成みたいですね。愛工大教授が相談役。縦型から典型的な横型での問題での問題解決を図る。

 名古屋産業研究所も含めて、作ることが主になっている。考えるための根っこを持たないと。

 今回が5回目です。
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