未唯への手紙
未唯への手紙
シェアする時代
『哲学カフェ!』より
マリリン 最近、就活のために読んだ『シェア』(レイチェルーボッツマン、ルー・ロジャース著)という本に似てますね。新しいビジネス形態の話なんですけど、これからは所有するんじゃなくて、シェアする時代だって言うんです。最初は、使っていない部屋をホテル代わりに貸し出したら、意外と需要があることに気づいて始めたらしいんです。それで最後は、なんでもシェアすると、共同体の活性化につながるという話になるんです。
先生 それは、私も賛成です。いま、高齢者と若者が家をシェアするという事例もあります。つまり、家賃を安く抑えたい若者と、人手の必要な高齢者のニーズが合致しているわけです。あるいは、高齢化の進む団地に若い人を安く入れてあげると、団地じたいが若返ります。そうすると、これはもう共同体そのものを活性化することになっているわけです。
トム 国は、こうした事例が増えるように支援していけばいいのですね?
先生 ええ。自ら巨額の財政を投入する必要はまったくなくて、既存のストックをうまく活用できるように、国民にチャンスと権限を与えるのです。これを「エンパワーメント」と言います。
イチロー だいたい、なんでも政府がやるっていうのは、窮屈な社会を招きますよ。
先生 それも大事な視点ですね。いくら国にお金があったとしても、全部政府にお任せでは規制だらけで、逆に自由を失ってしまうかもしれませんから。
マリリン そうか。面倒見てくれるのは、ありかたいことばかりではないんですね。
イチロー やりたいのにやらしてもらえない時代もあったわけでしょ? 戦前までは、ずっとそうじゃないですか。その後だって、規制だらけで、日本というのは国民の力を信用していなかった。それを考えると、いい時代になってきたと言えますよ。
トム 日本はそうだけど、世界にはまだまだ国がすべて実権を握ってて、国民はやらせてもらえないところがたくさんあります。その意味で、この問題はまだ過去形ではないと思います。
先生 政府は、どこまで国民の面倒を見るべきか、もちろん簡単には答えは出ないでしょう。ただ、どうやら最低限、司法、治安維持、国防は政府にやってもらう必要があるという点では一致しているようですね。問題は、どこまで行政サービスを拡大するかですが、これについては、国民の自由を奪ってしまう程度まで行なってはいけないと言えそうです。
森下 つねに国民が積極的にかかわって、どこまで税金でやるべきか議論し続けることが大事なようですね。だって無関心になったら、国の有利なようにされちゃう気がしますから。
先生 そのとおり。じつは、国家とは私たち自身なのです。それでは、今回はここまでにしましょう。後はみなさんが、それぞれの人生のなかで考え続けてください。哲学の問いに終わりはないのですから。
マリリン 最近、就活のために読んだ『シェア』(レイチェルーボッツマン、ルー・ロジャース著)という本に似てますね。新しいビジネス形態の話なんですけど、これからは所有するんじゃなくて、シェアする時代だって言うんです。最初は、使っていない部屋をホテル代わりに貸し出したら、意外と需要があることに気づいて始めたらしいんです。それで最後は、なんでもシェアすると、共同体の活性化につながるという話になるんです。
先生 それは、私も賛成です。いま、高齢者と若者が家をシェアするという事例もあります。つまり、家賃を安く抑えたい若者と、人手の必要な高齢者のニーズが合致しているわけです。あるいは、高齢化の進む団地に若い人を安く入れてあげると、団地じたいが若返ります。そうすると、これはもう共同体そのものを活性化することになっているわけです。
トム 国は、こうした事例が増えるように支援していけばいいのですね?
先生 ええ。自ら巨額の財政を投入する必要はまったくなくて、既存のストックをうまく活用できるように、国民にチャンスと権限を与えるのです。これを「エンパワーメント」と言います。
イチロー だいたい、なんでも政府がやるっていうのは、窮屈な社会を招きますよ。
先生 それも大事な視点ですね。いくら国にお金があったとしても、全部政府にお任せでは規制だらけで、逆に自由を失ってしまうかもしれませんから。
マリリン そうか。面倒見てくれるのは、ありかたいことばかりではないんですね。
イチロー やりたいのにやらしてもらえない時代もあったわけでしょ? 戦前までは、ずっとそうじゃないですか。その後だって、規制だらけで、日本というのは国民の力を信用していなかった。それを考えると、いい時代になってきたと言えますよ。
トム 日本はそうだけど、世界にはまだまだ国がすべて実権を握ってて、国民はやらせてもらえないところがたくさんあります。その意味で、この問題はまだ過去形ではないと思います。
先生 政府は、どこまで国民の面倒を見るべきか、もちろん簡単には答えは出ないでしょう。ただ、どうやら最低限、司法、治安維持、国防は政府にやってもらう必要があるという点では一致しているようですね。問題は、どこまで行政サービスを拡大するかですが、これについては、国民の自由を奪ってしまう程度まで行なってはいけないと言えそうです。
森下 つねに国民が積極的にかかわって、どこまで税金でやるべきか議論し続けることが大事なようですね。だって無関心になったら、国の有利なようにされちゃう気がしますから。
先生 そのとおり。じつは、国家とは私たち自身なのです。それでは、今回はここまでにしましょう。後はみなさんが、それぞれの人生のなかで考え続けてください。哲学の問いに終わりはないのですから。
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