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環境問題に個人的なことを入れたい

未唯へ

 ヘーゲルは池田晶子さんの推薦です。図書館で最新版を借りてきます。読みやすい本を探しましょう。

ブログから考える

 本はもっとエッセンスにしましょう。ブログから考えればすみます。どっち道、原本があるのだから、ブログとの接続です。そこに自分の意見を載せます。なるべく短くします。

リスクとメリットの関係

 リスクとメリットの関係。メリットがゼロに近いときには、リスクを掛けたくない。最大限の確認を行います。

環境問題をやる理由

 環境は結局、何なのか。誰にとって。それをやるために多読しましょう

 環境を調べてどうするのか。哲学的な問題の方が先にある。社会学的な課題もわからない。講義で確認します。生まれてきた理由にしましょうか。社会は歴史です。

環境塾の体制

 チーム社会4人に対して、チューターが4人もいます。准教授が3人を含みます。彼らに哲学的・社会学的な問題が応られるのか、分からない。

 メーリングリストが来ました。先ずは、メンバー3人の思いを聞くことでしょう。なぜ、社会を変えないと思っているのか。また、環境がこのままでいけないと思っている。

個人的なこと

 いずれかは亡くなるという、個人的なものが、活動の中に出てこない理由がわからない。自分の生活とか、自分の思想に大きく依存します。

 その意味で、未唯空間には「自分」「生活」の二つがあります。これがないと始まりません。

 同位体で調べることは、本当に連続なのか、人間の生まれてきたこととか、私の意識が連続の中で起きてきたのかは誰も証明していません。だから、カントに惹かれるのです。どこから疑っていくのか、哲学的なところがない限り、科学は寄せ集めです。

 数学はゼロから作るからいいけど、他のものは、なぜ、そう言えるのかが分からないものが多い。それをゼロから作ろうとすると、到達できません。今の内にやり方もそうです。根底が分からない。そのために、ミッションをやってくるけど、皆、バラバラです。

メーカーのDNA

 工場のミッションと販売店の店舗のミッションとか、やり方が異なるのは、何故なのか。DNAという言葉を使っているけど本社・研究所・販売店、皆違っています。そういうものを集めて、一つのモノを作って安心しているけど、モノがモノでなくなるのが環境です。

本・図書館編のコメント追加

 図書館部分のコメントが少ない。いくらでも書けます。同じ事を書かないようにします。いろいろな情報は溜まっているけど、日常生活とつながっていません。その意味では、過去の情報が主になっています。

 今のままで、技術で対応するとか、皆が抑制するとかではない。社会を変え、歴史を変えることです。
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「納得できること」を正しいと考える人間の欠陥

『生物多様性のウソ』より

こんなみかたもあります。

宇宙が誕生してから、宇宙は膨張し続けています。その結果、あらゆるところでエントロピーが増大し、一つの方向に進んでいます。時間は過去から未来へ、祇園精舎の鐘の音は一所に止まらずに拡散していきます。最近では万有引力ですら、ニュートンやアインシュタインが定義したことではなく、エントロピーの増大で説明されようとしています。

人間には過去はありますが、未来はありません。昨日は存在したし、今も存在するのですが、明日は来るかどうかさえ(ッキリしません。もし宇宙の膨張が今日で終わったら、永久に明日は来ないのです。その未来を予想することは原理的に無理です。存在しないものを推定するのはかなり困難です。さらには人間の頭脳の欠陥が加わります。

人間は「今、正しいとしていることを正しいと考える」という特徴があります。また「正しいこと」。を納得するのではなく、「納得できること」を正しいと思います。

かつて地球は平らだと考えられていました。その頃、太陽を見ると毎日、東から出て西に沈みます。地球が平らなのですから次の日は西に沈んだ太陽が西から出るのに決まっているのに、また東から出ます。

新幹線で東京から福岡に行った社長が明日どこから帰ってくるのかなどと聞いたらバカにされます。「福岡から帰ってくるに決まっているじゃないか」と言われるでしょう。でも太陽は東から昇って西に沈み、西から出ないのです。

これについて昔の人は「毎日、太陽は東の土から作られて西に沈み、土に帰る」と説明して満足しました。つまり、「正しいことを納得する」のではなく、「納得できることを正しいとする」のです。

さらに、人間が正しいと考えたり、納得したりするのは、「今、大脳に入っている知識」がもとになっています。たとえば1000年前の平安時代に、「手紙を出すなら、メールしたら」と言ったらおかしなことを口走っていると思われるでしょう。科学的なことでなくても「関白は投票で決めよう」などと言ったら縛り首になるかもしれません。

1930年代には「戦争をして国を守るのは正しい」とされ、1960年代にはできるだけ大量生産をして家電製品や自家用車を手に入れようとしました。30年も経つと、狭い日本の常識や倫理観などすっかりひっくり返るのです。

だから、未来を考えてはいけないということではなく、私たちは「今の知識」で未来を見ていること、未来は「今、頭にまったくないものがある」ということをよく理解しておく必要があると考えられます。

生物多様性はすでに問題が起こっているのではありません。このまま行くと将来に問題が起こる、それを回避するには絶滅危惧種を保護したり、外来種を排斥したりするべきだと考えられていますが、未来を現在の延長線上だけで考えているわけで、筆者は間違っていると考えています。

未来は発展途上国が先進国と同じになり、人口は全体的に減少してくると考えられます。また自動化が進み、人々はほとんど労働を必要とはしなくなるでしょう。

もちろん、電子化が進みますから工場に人がいなくなるだけではなく、紙に印刷した新聞や本を見ることはないでしょうし、コンピューターすらクラウド化を経て、その姿をなくすでしょう。

人間は直径10キロメートルほどの巨大なドームに住み、そのドームは到底、動物や植物が棲むことができないような砂漠とか寒冷地に造られ、広い快適な場所は作物を作る田畑、家畜が遊ぶ牧草地、それに野生の動物のために開放されると筆者は思います。

でも、そのいずれの予測も「確証」はなく、確実性もありません。技術も社会も意外な方向に進んでいくからです。
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