士師記 14章
先週転倒して怪我をした妻と、久しぶりに買い物に出かけました。歩調はゆっくり。いつもの二倍以上の時間がかかりましたが、このようなウォーキングも良いものだと思いました。
士師記載後の士師、サムソンの衝撃的な登場がここに記されています。サムソンとはどのような人なのか、ここを読むといくつかのことが浮かんできます。まず彼は自分の欲望を抑えることができません。ティムナの女性に恋をし、両親に結婚したいと伝えます。しかしこの女性はペリシテ人。異邦人との結婚はイスラエル人には許されないこと、しかもサムソンは生まれながらのナジル人なのです。
当然両親は反対です。しかし結果としてサムソンは結婚を押し通すのです。4節に「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった」とあります。主はサムソンの結婚を通してペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのです。これはもちろん、神がサムソンの結婚を喜び、認めたということではありません。欲望を押し通そうとするサムソンを用いて、ペリシテ人の圧制からイスラエルを救おうとしておられたのです。
サムソンの結婚式で起こったのは、普通に読むならありえないこと。謎が解かれたことに憤ったサムソンはアシュケロンの住民三十人を殺し、そこで奪った晴れ着を謎を解いた者たちに与え、父の家に帰ります。このように、彼の結婚はあっという間に終局を迎えるのです。アラアラとんでもない、開いた口がふさがらないとはこのようなことを言うのでしょう。
私たちの考えをはるかに超えたことを、神はなさるのです。だからといって、サムソンのように生きるのがよいいうことではないのですね。