みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

完了した

2017年10月09日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 19章17−30節

 10月に入ってからずっとすっきりしない日が続いています。気温も上がらず、街路樹も日一日と色づき、風が吹いて葉が落ちた木もあります。秋が駆け足で通り過ぎていくように思うこの頃です。

 イエスが十字架につけられる場面です。 

 ピラトが「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と罪状書きをしたためて、掲げました。ヘブル語、ギリシャ語、ラテン語で書かれたのは、書いたピラトはもちろん意識してはいなかったでしょうが、イエスがすべての国、人の王であることを伝えているということになります。

 十字架につけられたイエスの着物を4人の兵士たちがくじを引いて分けました。この行為も旧約聖書に預言されていることの成就です。もちろん、当の本人たちが預言を意識してくじを引いたということではありません。一方、十字架の下には4人の女たちがいました。ここで、4人の不信仰者と4人の信仰者とが対比されているようです。

 イエスは、ご自分について来た4人の女性の一人母マリヤを、ヨハネにお託しになります。イエスには弟たちや妹たちもいたのに、なぜマリヤを彼らに託すことをなさらなかったのだろうかと、ふと考えてみました。これは、十字架から始まる新しい家族を象徴的する姿なのです。イエスのところに母や弟たちが訪ねて来た時におっしゃった「神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」とのことばを覚えました(マルコの福音書3章35節)。

 「わたしは渇く」ということばは、イエスが人間の苦悩を深く人とともに味わわれたことを示しているのだとの説明がありました。すべての人に渇くことのないいのちの水を与えようとしておいでになったお方が、渇いて死なれたのです。そして、「完了した」と言って、イエスは十字架上でいのちを落とします。これは罪人を救って永遠のいのちを与えるという神のご計画が一つの欠けもなく成就したことを宣言することばです。

 このお方を救い主、王として信じ、従って間違いがないということを、十字架上の七つのことばは私に伝えています。感謝に堪えません。


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