エゼキエル書 34章17−31節
自動車のタイヤを冬のものに交換してもらいました。これで安心…。でも大切なのは安全運転ですね。去年の冬は雪がほとんど降りませんでしたが、さて今年は…?
ご自分が羊である民の牧者になるとおっしゃった神は、強い羊と弱い羊、雄羊と雄やぎの間をさばくとも約束しておられます。それは、弱い者を強い者の横暴から守るということです。これをエルサレムの人々に置き換えてみますと、指導者ではない民の間でも弱い人を押しのけて、自分だけ良い思いをする者がいたということになります。強い者にいじめられている弱い人々の間で、さらにその中で強い者が弱い者を押しのけ、奪い取るということがあるのだというのです。「私たちはお互い弱い者同士で助け合いましょう」とはなかなかならず、弱者とみなされる人々の間にも差別やいじめの問題が横たわっているという現実は、昔も今も変わりありません。
良い牧者はそのような羊たちを正しくさばくのです。
23節以降にある「彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす」とは、やがてダビデの子孫としておいでになり、「わたしは良い牧者です」と宣言なさるイエス・キリストを指しています。この牧者が羊に何をもたらすのでしょう。悪い獣を取り除きます。それで羊たちは安らかに過ごすことができるのです。
「安らかに」ということばがここには繰り返されます。「安心安全な…」ということばがいろいろなところで用いられていますが、この牧者のもたらす安らかさは究極の「安心安全」だと言えます。「良い牧者」なるイエスがおっしゃった、「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません」とのことばを思いました。⇒ヨハネの福音書14章27節