みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

出たり入ったり

2017年10月07日 | ヨハネの福音書

ヨハネの福音書 18章28−40節

 ここは、イエスが大祭司やローマ総督ピラトの審問を受ける場面です。しかし、ヨハネの福音書は大祭司カヤパの家での審問の内容については全く取り上げず、ピラトによる審問を詳しく述べています。

 ピラトは、連れて来られたイエスには死刑に処すような罪が何一つないことを知っていました。ですから彼は、この問題に関わりたくはなかったのです。しかし、結果的に彼は自分に与えられた権威を行使して、イエスを十字架につけるように断を下すことになるのです。

 イエスをピラトのところに連れて来た者たちは、総督の官邸に入ろうとはしませんでした。28節には「過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまい」と理由が書かれています。律法に忠実であろうとしてこのようなことも細心の注意を払う彼らは、一方ではイエスを死刑に処すための客観的な証拠が見当たらないにもかかわらず、律法に背いて「死刑ありき」のでっち上げの裁判をしているのです。

 このような自己矛盾に当事者たちは気づかないのだろうか、と不思議な思いがしますが、ここにも人間の罪の姿が明らかにされています。良いことでも悪しきことでも、目的を達成するためならば手段を選ばない、それが正義に悖(もと)ることであっても、「結果オーライ」なのです。彼らの中に自分もいるような気がします。

 ピラトは、官邸の中と外とを行ったり来たりしています。ユダヤ人の指導者たちが官邸内に入らないためです。外に出てはユダヤ人とやりとりをし、中に入ってはイエスと話し、また外に出ては恩赦のアピールをするという具合に。このようなピラトの出たり入ったりは、真理なるお方と悪を企む人々との間を行ったり来たりするピラトの心の中を見ているように思えるのですが……。


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