申命記26章
雨の朝を迎えました。
インフルエンザもこの地方では峠を越えたようですが、暖かくなったらなったで花粉症に悩む人がちらほらでているのではないでしょうか。
26章には「きょう」ということばが目につきます。
約束の地でとれたものの初物を主に報告してささげる際に、祭司の所に行き「きょう、あなたの神、主に報告いたします」と言うのです。その後のささげる者のことばは感動的です。主が良くしてくださったことを忘れず、約束の地での初物を主にささげられる喜びにあふれています。
そして、民への命令(説教)のまとめにあたる部分で、モーセは「きょう」を繰り返します(16-8)。
「いつか」「また別の機会に」ということばが交わされて何十年も経ってしまったということもあります。その多くは必然性がないものなので、何も動かなくてもそれほど困らないものなのかもしれませんね。
しかし、どうしても「きょう」でなくてはならないこと、「きょう」でならないものがあります。
「きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」(詩篇95篇7、8節)とあります。
私たちが毎日聖書を読むのは、主の語りかけに「きょう」答えることなのですね。
先延ばしにしたいと思うときに、実は心が探られているのだと思います。
私はどちらかというと、大切なことを先延ばしにする性質があります。そのような者が毎月、きちんと〆切がある月刊「みことばの光」の編集者をしているなどというのは、あり得ないことなのです。驚きです。
いや、そのような者だからこそ、主は私を置いてくださったのではないだろうかと、近ごろ考えます。
そろそろ、7月号の原稿の催促をしなければ…。
雨の朝を迎えました。
インフルエンザもこの地方では峠を越えたようですが、暖かくなったらなったで花粉症に悩む人がちらほらでているのではないでしょうか。
26章には「きょう」ということばが目につきます。
約束の地でとれたものの初物を主に報告してささげる際に、祭司の所に行き「きょう、あなたの神、主に報告いたします」と言うのです。その後のささげる者のことばは感動的です。主が良くしてくださったことを忘れず、約束の地での初物を主にささげられる喜びにあふれています。
そして、民への命令(説教)のまとめにあたる部分で、モーセは「きょう」を繰り返します(16-8)。
「いつか」「また別の機会に」ということばが交わされて何十年も経ってしまったということもあります。その多くは必然性がないものなので、何も動かなくてもそれほど困らないものなのかもしれませんね。
しかし、どうしても「きょう」でなくてはならないこと、「きょう」でならないものがあります。
「きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」(詩篇95篇7、8節)とあります。
私たちが毎日聖書を読むのは、主の語りかけに「きょう」答えることなのですね。
先延ばしにしたいと思うときに、実は心が探られているのだと思います。
私はどちらかというと、大切なことを先延ばしにする性質があります。そのような者が毎月、きちんと〆切がある月刊「みことばの光」の編集者をしているなどというのは、あり得ないことなのです。驚きです。
いや、そのような者だからこそ、主は私を置いてくださったのではないだろうかと、近ごろ考えます。
そろそろ、7月号の原稿の催促をしなければ…。