ヨシュア記 19章24−51節
土曜日は久しぶりにストラスブールへ。帰り、いつもの道が通行止めでナビの案内にゆだねることにしました。それが当たって、交通量の少ない道路を気持ちよく走ることができました。途中、アウトバーンの車線の分かれ道を間違えて一般道に出てしまったのですが、それも正解。とても美しいアルザスの街並みを楽しむことができました。
18−19章には、ヨルダン川の東側に既に割り当て地を得たルベン、ガド、マナセの半部族、さらにヨルダン川の西側に割り当て地を得たユダ、エフライム、マナセの半部族を除く、七つの部族が神から割り当ての地を得たことが書かれています。
そして、ここはアシュル部族、ナフタリ部族、ダン部族への割り当て地について書いてあります。
47節の「ダン族の地域は彼らから失われた」ということばに目が留まります。彼らは割り当ての地を自分たちのものにすることができなかったのです。地図で確かめてみますと、ダン部族への割り当ての地はペリシテ人の地と接近しているので、ここを占領するのは困難だったことが想像されます。割り当て地のくじの最後がダン部族だったということも、「彼らから失われた」原因の一つだったかもしれません。
彼らはこの地の占領をあきらめて、ガリラヤ湖のさらに北を占領して住みます。しかし、ここで割り当てられている所にも、ダン部族の一部は住み続けたことでしょう。士師の時代、ペリシテに大きな打撃を与えたサムソンは当初のダンの割り当ての地にあるツォルアの出身でした。
ヨシュア記は読み進めて行く中でさまざまなことを考えさせられます。聖絶のこと、先住民を追い払うことなど、イスラエルの民がよければ他はどうでもよいのかという疑問について、すっきりと納得するのは難しいこともあると思います。そのようなことを踏まえながらも、信仰者が神に従うとはどのようなことなのか、信仰者の敵とは誰なのかなどについて、たくさんのことを学び、また考えることができるのではないでしょうか。