ヨブ記 36章1−14節
「みことばの光」は月刊誌。毎月決められた日に印刷会社に版下を送っています。12月は年末で、28日―1月3日が休業日なので、今編集している3月号の「入稿日」はなんと、12月24日! いつもよりも一週間早く作業しています。💦
32章から始まったエリフのことば。これまではヨブと三人の友人のやり取りが見られたのですが、ここでは一方的にエリフがヨブに語ります。不思議に思うのはヨブの沈黙。ヨブがエリフに話さないのはなぜなのだろうかと思いながら、読み進めています。
まず2節のことばに目が留まります。エリフはヨブに「まだ神のために言い分ああるからだ」と言います。自分がヨブに語ることによって、エリフは造り主に義を返すとも言うのです。ここから分かるのは、エリフは自分の限られた知識や経験を振りかざしてヨブに語っているのではない、ということです。「造り主に義を返す」とはずいぶん大胆な言い方ですが、神についての正しい知識を持つために自分は神に促されて語っているとエリフは自覚しています。
改めてエリフのこれまでの話を振り返ってみると、彼のことばには「知識」ということばがちりばめられています。ヨブのことを知識もなしに語るというのは一度だけではありません。一方でエリフは、神の強さを語ります。そして全能の強さを持つ神が人をさげすむことをされないとも語ります。
神は人間のふるまいに左右されるような方ではありません。しかし、神は人に関心を持ち、人を正しくさばかれるとエリフは言います。だから彼はヨブに、神の時を待つようにと勧めることができるのです。
自分にはごく限られた知識しか持つことはないからこそ、神のことばに聞かなければならないのです。