サムエル記第二 17章
この頃は礼拝の往復にバスを利用しています。昨日の帰り道、教会最寄りのバス停になかなかバスが来ないので、電車に乗りました。一度乗り換えて、途中の公園駅で下車。そこから20分ほど歩いて帰宅できました。靴がウォーキング用でなかったのが残念でした。
この章には、アブサロムがフシャイを助言者として信じ受け入れたことから、ダビデをけ落とそうとするアブサロム側の作戦が逸れていってしまったことが書かれています。
すでにアブサロムはアヒトフェルを助言者としていました。
前章23節にアヒトフェルについて驚くような紹介があります。「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」
ですから、アヒトフェルがアブサロム側についたとの知らせを聞いた時、ダビデは緊急の祈りを神にささげました。「主よ、どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」(15章31節)主に祈らなければならないほど、アヒトフェルの知恵、助言は敵に回す側にとっては恐るべきものになることをダビデは知っていたので、もう自分には為す術(すべ)がないとして祈ったのでしょう。
ダビデがフシャイをエルサレムに残したのは、神が祈りに答えて具体的な方策を示したからだと思います。ダビデは「アヒトフェルの助言を打ち破るために」フシャイをアブサロムのところに送りました。
そして、ここでは、アヒトフェルのではなく、フシャイの助言をアブサロムが採用するということが起こります。神の御手がここに働いているのです。
考えさせられるのは、自分の助言が採用されなかったアヒトフェルが自らいのちを断ったということです。自分のことば、考えに絶対の自信をもっていた彼は、フシャイの助言が自分のものよりも優れたというアブサロムのことばに、ひどく落胆したのです。知恵や力のある者を待ち受けている落とし穴に、彼ははまりこんでしまったかのようです。