詩篇 82篇
きのうは待降節第一聖日。日本語教会のために礼拝場所を貸してくださっている教会(集会)では、受付に手作りのものがたくさん置いてあります。それぞれが結構な値段がついていましたので、チャリティーなのでしょうか。
詩篇82篇は「神は会衆の中に立つ」ということばから始まります。詩篇としてはちょっと変わった出だしのことばです。作者は何かもやもやとしたものを抱えていながらも、どうして神は介入してくださらないのだろうかといういらだちのようなものも感じていたように思えます。
一方に悪者の勝ち誇った笑顔を見、もう一方には貧しい人や弱い人の悲しみを見ながら、一節のことばが歌われるのは、作者がいろいろともやもやしていたものを神に、「なぜですか」「どうしてですか」と訴えていく中で、到達した確信ではなかったのでしょうか。
きのうは礼拝で「沈黙の恵み」という題の宣教をいたしました。祭司ザカリヤが約10ヶ月口をきけなかったというのは、実はザカリヤに与えられた神の恵みではなかったのかを考えたかったのです。心に引っかかるものを持ちつつ神に訴える、そしてしばし黙して神を覚えることの必要を、このような時だからこそ覚えるのですが…。
写真は、クリスマスマーケットの中央にある降誕場面。本物の羊がいます。