詩篇 62篇

帰国して最初にしたのは、充電できないタブレットを修理に出すこと。新宿駅前の大画面のビルの中にそこはありました。充電口の故障かと思ったら、充電はできるとのこと。お店の人の見立てではバッテリーの劣化の疑いがあるそうです。
62篇は個人的に愛唱している詩篇の一つです。8節の「民よ どんな時にも神に信頼せよ」ということばは、これまで何度読み、自分に問いかけてきたことでしょうか。
この詩篇は「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む」で始まります。「私は…」ではなく「私のたましいは…」とあることについて、考えます。自分の深いところで神を待ち望む(5節では「神を待ち望め」)と祈るダビデは、とても大きな危機の中に投げ込まれていたと想像できます。
3節に「おまえたちは いつまで一人の人を襲うのか」とあり、「こぞって打ち殺そうとしている」とあります。しかも彼らは、「敵らしく」狙っているのではないことが、厄介なのです。「偽りを好み、口では祝福し 心では呪う」のです。
そのような「敵」に対して、ダビデは始めから立ち向かおうとはしません。まず「黙って ただ神を待ち望む」のです。「ただ」ということばも心に響きます。危急のときに、あれもこれも…とするのではなくて、神を待ち望むことだけをするのです。
3節を読んで「多勢に無勢」ということばを連想しましたが、いいや、「多勢に無勢ではない」のです。神こそ、私の救い、私の岩、やぐら、避け所だから…。
*ヴィッテンベルグ城教会

