みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

知ろうとして

2011年09月01日 | 使徒の働き
使徒の働き22章22-30節


 台風接近とともに9月を迎えました。
 昨日の夕方、ある方を入院先に訪ねました。しばらくぶりの再会です。「覚えておられますか? 牧師の…です」と言いますと、「ああ、覚えていますよ」とニコニコ。「きょうは聖書のお話をしお祈りさせていただこうとお伺いしました」と続けますと、またニコニコして「よろしくお願いします」とおっしゃいます。イエスさまを信じて、天国への希望をしっかりもっておられました。
 人生を重ねて、創造主につながるということはこんなにもすばらしいことなのか、ということを改めて発見。それとともに、「この方にはこんなところもあったのだ!」と発見しました。

 ローマ軍の千人隊長は、パウロが何者なのかを少しずつ発見しています。
 前章では、「あのエジプト人ではない」キリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、ギリシャ語も話す男だというところまでわかりました。
 そして、民の前で話す許可を与えたところ、人々は大声でわめき散らし、たちまち混乱状態に。おそらくヘブル語を解さない千人隊長は、何が何やらわからないので、「張本人」パウロを再び縛って鞭を打つように命じます。

 ところが、千人隊長はパウロが生まれながらのローマ市民であることを知って驚きます。ローマの市民であるということは当時の世界ではとても重いこと、そのために金を出してまで市民の立場を買った千人隊長は、自分がパウロにしようとしていることをすぐに中止し、鎖を解きます。
 そして今度は、ユダヤ人の指導者たちの前で話すように、パウロのためにお膳立てをするのです。

 パウロがいのちの危機をくぐり抜けてローマに行くために、神はこの千人隊長をゆたかにお用いになるのです。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。