使徒の働き 24章10−27節
ウォーキングコース沿いの栗の木が実をたわわにつけています。しばらくするといがが割れて、実が顔をのぞかせることでしょう。とても小さくて皮をむくのが大変なのですが、素朴な味がします。
この箇所の初めでは、弁護士テルティロの訴えに、パウロが弁明しています。何の隠し立ても、ごまかすこともしないで、彼は一つ一つの訴えに誠実に答えます。
「騒ぎを起こしている」との訴えに対しては、自分がエルサレムに上ったのは礼拝のためであり、上って12日にもなっていないので騒ぎを起こす余裕もないと言います。
「ナザレ人という一派の首謀者」との訴えに対しては、そうであることを否定しません。それとともに、自分たちこそ、旧約聖書の教えに従って歩んでいると語ります。16節は、イエスを主と信じるパウロの姿勢を述べたもので、すべてのキリスト者のあるべき姿を表しています。
「宮を汚した」と言う訴えに対しては、自分は清めを済ませて宮に入ったのであり、決して汚してはいないと反論し、祭司長たちの訴えには何の根拠もないと言っています。
総督フェリクスは裁判を延期します。パウロが無罪であることを知りながら、総督という立場上ユダヤ人の機嫌も取る必要があるからです。結局、パウロはフェリクスの思惑ゆえに、二年もカイサリアで足止めを食うのです。この間の彼を支えたのは何か、「あなたはローマでもわたしのことを証ししなければならない」とのイエスのことばでした。
思いのとおりに物事が進まないとき、何が人を支えるのでしょうか。