みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神のあわれみは尽きない

2020年08月31日 | 列王記第二

列王記第二 25章22−30節

「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。」哀歌 3章22節

 日曜日、住まいの地域ではいわゆる「フリー・マーケット」が開催されていました。赤や緑の風船が掲げられているのが「お店」がある場所。掘り出し物もあるのかと思いますが、「ガラクタ市」の様相も…。

 読み進めてきた列王記も、いよいよおしまい。何度も書いてきましたが、名残惜しさでいっぱいです。ここには、エルサレム崩壊その後が記されています。

 初めに記されるのは、バビロン王がユダに置いた総督ゲダルヤがイシュマエルたちに殺されるという事件です。ゲダルヤはユダの民であり、父は預言者エレミヤを支持したアヒカム、祖父はヨシヤ王の改革に参与したシャファンです。エレミヤ書には、カレアハの子ヨハナンと高官たちがひそかにゲダルヤのところに来て、イシュマエルがゲダルヤ暗殺を企てていると伝えたが、ゲダルヤは彼らのことばを信じなかったために殺されたことが書かれています。⇒エレミヤ書40章。

 バビロン王が任命した総督を殺したイシュマエルたちは逃げて行ったのです。それは、神のみこころに背くことだったとエレミヤ書42章にあります。そして、エレミヤもエジプトに同行させられたことがエレミヤ書43章に書かれています。神のみこころを踏み外す者たちの顛末(てんまつ)がイシュマエルたちの行動から見て取れます。

 二つ目は、エホヤキンの処遇です。片やバビロンにおいて、先にバビロンに連れて来られたエホヤキンは、ある日突然牢獄から出され、バビロン王とともに食事をする生活へと変えられます。サマリアの滅亡に続いてエルサレムの滅亡という、暗黒での終りのように見える列王記に、一筋の光が差し込むとしたらこのことです。

 ここに背きの民への神のあわれみが表されます。尽きることのないあわれみが…。


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