みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

みことばに目が開かれて…

2020年08月26日 | 列王記第二

列王記第二 22章

主の宮で律法の書を見つけました。」22章8節

 昨日は歯科治療の日。麻酔をして治療したので、麻酔が切れたあたりからずきずきと痛み始めました。鎮痛剤を出してもらい、夕食後に1錠を飲みました。「あとは寝る前にね」と言われています。「夕食は食べられますか?」と聞いてみたら、「反対側で何でも食べてもよい」とのことでした。こんな中で食欲がなくならない自分にあきれてもいます。

 22章から23章30節には、南王国ユダの最後の善王ヨシヤが登場します。ここで「善王」とは、良い王であった、力があった、優しかったなどということではなくて、主なる神に対してあるべき姿勢を持っていたという意味です。

 8歳で王になったヨシヤ。列王記では治世18年、すなわち25―6歳の頃に主の宮の修理をしたことが記されてありますが、歴代誌第二34章2節には、「彼の治世の第八年、まだ若いころに、彼は父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年にユダとエルサレムをきよめて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および鋳像を除き始めた」とあります。15―6歳の頃から神を求めることを始め、次々と父や祖父が作った偶像を壊していったのです。

 そして、主の宮の修理をしている時に律法の書が発見され、ヨシヤはそれを読んで罪を悔い改めるのです。ということは、彼はこの時まで、律法の書なしで神を求め、神のみこころを行ってきたということなのです。今なら、聖書を読まずに信仰を持ち、信仰生活を送るようなものかもしれません。

 改めて、聖書が私たちに与えられていることがどれほど素晴らしいことかと思うのです。ヨシヤのようなみことばへの姿勢を、読もうと思えばいつでも聖書が読めるような環境にある者たちは持ち続けているのだろうかと、自分を含めて考えるのです。


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