みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の目に悪を

2020年08月25日 | 列王記第二

列王記第二 21章

 「…わたしはエルサレムをぬぐい去る。」21章13節

 半年以上会っていない方を訪ねました。急なことでしたが温かく迎えてくださり、バルコニーでしばしの歓談。互いに無事を喜び合いました。さらに、素晴らしいお土産をちょうだいしました。紫蘇です。日本ではどこにでも生えていそうに思っているのですが、こちらでは貴重。香りがたまりません。

 善王ヒゼキヤの跡を継いだのはマナセ。ここには、マナセがいかに主の目に悪であることを行ったかが書き連ねられています。ここを読むと、どうしてヒゼキヤの信仰をマナセが継がなかったのかとの思ってしまうのです。なぜマナセが極端なほどに主なる神が嫌われることをするのかの理由は何も書いてありませんので、何とも言えません。けれども、神への信仰、信頼という姿勢は、親がそうだからといってそのまますんなりと受け継がれるものではない、というようにも考えさせられます。

 まるで父親とは正反対の生きかたをするマナセ。そこには父とは違うことをやってみようということがあったかも…とも想像するのです。ユダの王としての彼の神への徹底的な背きによって、「エルサレムをぬぐい去る」との神のお考えが明らかになります。

 神の目には悪王であったマナセは、しかし55年という長期にわたって王であり続けました。北王国イスラエルの悪王アハブが国に繁栄をもたらしたように、あるいはマナセは、周囲や民の間では良い評価を得ていたのかもしれないと、これもまた想像してしまいます。

 人の評価と神の目の違いについても考える章です。


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