詩篇 58篇
8月最後の日が土曜日。私たちのために祈り支えてくださる日本の教会では、明日から新しい会堂での礼拝が持たれます。送られてきた写真を見ると夢のよう。パイプオルガンも新しい会堂での礼拝に間に合いました。子どもたち(私たちにとっては孫たち)も礼拝を心待ちにしています。私たちも…。
詩篇58篇のはじめの部分(表題)に二つの不思議なことばが並びます。そのうちの一つは「『滅ぼすな』の調べで」。57篇、58篇、59篇そして75篇のはじめにも置かれています。このような調べがあり、それに合わせてこの詩が歌われたのでしょう。
なぜそれがが「滅ぼすな」というタイトルなのでしょうか。諸説ありますが、ダビデの人生とのつながりで「滅ぼすな」を思わせる出来事は何でしょう。逃亡中のダビデがハキラの丘という場所で、サウル王を殺害するべきだと提案する勇士の一人アビシャイに、ダビデが「殺してはならない」とたしなめたことがありました。これと関係がある調べだという説があるとのことです。
さて本篇では、正しい人と悪しき者とが並んでいます。ここで悪しき者は人々をさばく立場にいます。しかしダビデは問うのです。悪しき者にはできない、と。さらにダビデは悪しき者の歯を、牙を折ってくださいと神に強く願います。
ここには悪しき者の支配に虐げられている「正しい人」の苦境が窺えます。ダビデがその人です。彼はこの世にあっては正しい人が顧みられず、悪しき者が大手を振っているという現実を見ながらも、神は正しい人にふさわしい報いをくださると信じるのです。
「滅ぼすな」には、悪しき者のさばきを神にゆだねるという意味もあるのかもしれないと、考えました。