みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

焼かれたが消えない

2015年11月06日 | エレミヤ書

エレミヤ書 36章21−32節

 

 いただいた大葉に花が咲きました。季節がだいぶずれていますが、種ができたら畑に…と妻が期待しています。来年の春には、畑も借りることができる見通しになりましたので、今からあれこれと楽しみにしているようです。

 せっかく丹精込めて育てたのに、雨風などの自然災害などで一晩のうちにだめになってしまうというようなことは、作物を育てていれば経験すること。そんな時にはほんとうにやる気をなくしてしまいます。

 エレミヤが口述し、同労者バルクが筆記をした神のことばの巻物がエホヤキム王の前で読まれました。時は冬。エルサレムとユダがバビロンによって滅ぼされるとのことばを聞いた王は、小刀で切り裂いては暖炉の火に投げ入れて、やがて巻物すべてを焼き尽くしてしまいました。こんなことばは聞きたくないと、王たちは心の耳をぱたっと閉ざしてしまったのです。

 エレミヤにしても、バラクにしてもこれまでの努力は何だったのだろうかとやる気をなくすような出来事。けれども主は、もう一つの巻物を取って、エレミヤに話したことばをもう一度残らず書き記すようにとお命じになったのです。どんなに巻物を焼いたとしても、そこに記された主のことばを決して消えることがないことを王に伝えるという意図もあったのでしょうか。エレミヤは再び口述し、バルクはそれを残らず書き記しました。そればかりか、多くのことばをも書き加え…。

 ここにあるような、神のことばをなくしてしまえとするような聖書消滅の危機は、歴史の中で何度も通ってきたと伝えられます。あるパン職人は聖書を焼く前のパン生地の中に隠したというエピソードもあります。そのような危機を経て、今聖書を読むことができるのです。聖書を大切に守る、それは聖書をぼろぼろになるまで読むということによってだと、改めて覚えます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。