ルツ記 4章
あっという間にルツ記が終わろうとしています。
ナオミもルツも、そしてボアズも、自分がよい思いをすることではなくて、ともに歩む人のためにできるだけ善きことを図ろうとする思いを持つ人々です。その人々が、自分の置かれている生活の場においてこの生き方を貫こうとする先に、神のご計画が前進するという未来への広がりが見られるのだというのが、今回の通読で思ったことです。ボアズ〜オベデ〜エッサイ〜ダビデ……そしてイエス・キリストへと。
そのような人々のために神が御手を伸べてくださるのを、本章からも知ることができます。
1節の「ちょうど」ということばも、その一つ。筋書きどおりになるというのでしょうか。もちろん、ボアズは自分なりの考えを進めていこうと決意して町の門のところへ行ったことでしょうが、このような筋書きを書いていたのは、ボアズではなくて神でした。
そのようなことを考えているうちに、水曜日の教会での祈祷会のあとに、出席者5名である方を訪ねたことが思い浮かびました。私たちの教会は、昨年の今頃から礼拝する場所を探し求めてきました。大変お忙しい方で、約束なしに会えるなどということはないとも聞いたのですが、突然伺った私たちのために時間を取ってくださいました。
「はからずも」をはかってくださるお方、「ちょうど」にアレンジしてくださるお方を信じて、隣人を愛するということを、足りないながらもさせていただく上での勇気をいただいた思いです。