みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

人のさばき、自分のさばき、そして神のさばき

2018年09月18日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 4章1−13節

 林檎の時期です。15個ぐらいネットに入った赤い林檎が2ユーロもしないでスーパーで売っていましたので、さっそく購入。日本のように大きく整った林檎ではありませんが、ほどよい酸味でとてもよい味。この林檎で、妻が美味しいアップルパイを焼きました。

 「大切なのは成長させてくださる神」だと書いたパウロは、「それでは、パウロやアポロは何なのだ」との問を想定してでしょうか、「人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべき」と書いています。「しもべ」ということばは、ローマ時代のガレー船の下層でオールを漕ぐ漕ぎ手のことを言っているのだそうです。管理者は所有者ではなく、所有者から大切なものを預かっているものですから、忠実さが求められます。

 それに続けてパウロは、「さばき」のことに触れています。パウロはこの時、コリントの教会の一部の人々から散々なことを言われていたのです。しかし彼は、そのようなことはわたしにとっては小さなことだとしています。彼にとって最も重要なのは、神が自分をおさばきになるということ。

 人が自分をどう見るか、自分で自分のしたことをうまくいったとかしくじったとかと判断して喜んだり落ち込んだり…。そのようなことは小さなことだと、パウロは書くのです。大切なのは神が自分をどのようにご覧になり、さばかれるかということ。これこそが心に留めるべきことです。


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