みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私の生き方

2018年09月19日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 4章14−21節

 昨日は、同じ欧州で働く者たちの祈り会を持ちました。ドイツ、ベルギー、イギリス、フィンランド、そして日本と、離れた所にいる者たちが、互いのことばに耳を傾け、いっしょに祈ることができるのは、ここ10年ほどの大きな変化の成果だと思わされました。ついでですが、先日、林檎印のスマートフォンの新作発表会がありましたが、2007年1月29日に初めて世に出た時の衝撃とは比べものにならないと、改めて思いました。

 パウロはここで、自分がコリント教会の生みの親だと言っています。これまで厳しいことを書いてきたのは、「私の愛する子どもとして諭すため」だったと言うのです。確かに、コリント教会が成長するためには多くの養育係のような人々がいたけれども、父親は私だけ、「私が、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだ」とまで言い切っています。

 けれどもそれが、キリストを除けば私が一番偉いのだと主張しているのではないというのは、これまでに書いてきたことからも明らかです。しかも、彼は、「私に倣う者となってください」と言います。これは、美辞麗句を並べ立ててコリント教会に分裂をもたらそうとしている教師たちを意識したことばではないでしょうか。

 それは、「とにかく俺について来い、何が何でも」ということではありません。17節でパウロは、コリント教会に遣わすテモテが「キリスト・イエスにある私の生き方を、…思い起こさせてくれるでしょう」と述べています。私の生き方とは自分流、自己流の…ということではありません。パウロに倣うことはキリストに倣うことだと言っているのです。それは、パウロの生き方がそうだったということです。

 自分の生きざまがキリストを体現し、それによって福音が力をもって語られる、そのようにあらせてくださいと祈ります。

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