みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

初穂であるキリスト

2023年07月29日 | コリント人への手紙第一

コリント人への手紙第一 15章20−34節

 この夏も、日本からわが家に孫が二人滞在することになり、昨日無事に着きました。子どもだけの旅なので入国審査の折りに提出する書類、そして出口で私たちが待っているとのメモも持たせました。案の定入国審査官から確認の電話があり、無事に迎えることができました!

 ここでは、「初穂」ということばが使われています。出エジプト記23章19節には、「あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない」とあります。

 ここでパウロは、キリストが復活されたことを「初穂」と表現しています。キリストの復活が「初穂」だとしたら、キリストを信じる者たちの復活が間違いなくあるのです。それが「来臨の時」に起こるとパウロは続けます。そして彼は、「それから終わりが来ます」言います。

 キリストの復活は、そのあとの歴史で必ず起こることの「初穂」なのですから、ここでパウロが明らかにしている一つ一つのは間違いなく起こるのです。「終わり」ということばからは悲観的な未来を描きやすいのですが、そうではありません。初穂であられるキリストが、王として治める時を指しているからです。そして「神が、すべてにおいてすべてになられる」のです。

 26節に目が留まります。死は私たち誰もが直面するものです。愛する家族も死を免れません。いや、ほかならぬ私も死を免れることはできません。人間の前に立ちはだかる死という厚い壁。しかし、やがてその壁は崩れ去るのです。キリストの復活は死が滅ぼされることは確実だと、約束しています。

 「神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前の者が過ぎ去ったからである。」ヨハネの黙示録21章4節

 


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