コリント人への手紙第一 11章17−34節
当地の子どもたちも夏休み、というよりも学年末の休みです。久しぶりに訪ねたスーパーのレジに、子どもが座っていました。「ちょっと待って」と言われて待っていますと、バーコードをスキャンしてくれました。しかし金額は0。お兄ちゃんがおじいちゃんに助けを求めに行って、一件落着。お手伝いの風景でした。
11章2節にパウロの「私はあなたがたをほめたいと思います」ということばがありましたが、17節で彼は「私はあなたがたをほめるわけにはいきません」と言います。パウロはここで、コリント教会の集まりに問題あり! と書くのです。具体的には食事風景のひどさです。食事風景といってもここで取り上げられているのは、主の晩餐つまり聖餐式です。
初めの頃の教会では、聖餐式はキリスト者がともに食事をする愛餐と併せて行われていました。聖餐式と愛餐は一つのこととして行われていたのです。ところが、そこにはひどい光景が広がっていました。それゆえに、主の晩餐が汚されるような事態になっていたのです。
23節から29節は、教会の聖餐式の折りに読まれることが多いと思います。「ふさわしい仕方でパンを食べ、主の杯を飲む」また、「みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになる」という勧めを、どのような思いで聞いているのだろうかと考えることがあります。
聖餐が単なる飲み食いにならないために、また愛餐が主にある者たちにとってふさわしい時であるために、自分を省みる時があるのはありがたいことだと思います。
「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」という10章31節が心に迫ります。