アモス書1章
当地では電車やバスに乗るための改札口はありません。その代わりあらかじめチケットを買ってから乗るという約束になっています。そして、その約束を破ると…。時折車内を数人でチェックして、無賃乗車が分かると60ユーロの罰金が課せられます。最近はチェックする係の巡回が多く、先日は二度もチェックを受けました。事前購入しているのでこそこそする必要はありませんが…。
昨日まで読んできた民数記はイスラエルの人々がカナンに定住する直前までの荒野の旅の様子を描いていましたが、きょうからのアモス書は、彼らが約束の地に定住してずっとあとのことを書きます。1節から時代的な背景が分かりますが、ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王ヤロブアムの時代とは、紀元前790年から750年頃のことです。
神は牧者アモスを預言者として選び、民への警告のことばを語るようにと用いられました。1節に「あの地震の二年前に、イスラエルについて彼が見た幻である」とあります。「あの地震の」とあることから、当時の人びとにはよく知られた大きな地震だったのでしょう。この地震は紀元前760年頃に起こったと考古学の発見から推察されます。
しかし、3節以降の1章には、イスラエルへのことばではなく、ダマスコ(アラム)、ガザ(ペリシテ)、ツロ、エドム、アンモン人に対する主のことばが届けられます。なぜすぐにイスラエルに向けて語られないのだろうかと疑問に思うことでしょう。これらの国々はユダヤイスラエルの周辺国であり、互いに影響し合っていました。時には同盟関係にあり、あるいは敵対していました。神の警告のメッセージの鉾先は最後にはイスラエルに向けられるのですが、これらの国へのメッセージが先に来るのは、主がすべての者たちの神であることを伝えています。
「三つの…、四つの…」ということばの繰り返しにも目が留まります。実際に三つ、四つあるというのではなくて、大きな背きを犯しているということをこのような言い回しで表す、いわゆる知恵のことばを用いているのです。
繰り返される「主は言われる」ということばをおぼえます。主は今も言っておられる、聞こうとするものだけにでなく、聞こうとしない者へもご自身のことばを届けておられるのです。
主は私に何を言われるのだろう、この時代に何を言われるのだろうか…。