みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

思いを越えて

2021年03月08日 | 民数記

民数記 34章

 境界というと土地、国境などを思い浮かべます。私の場合はリハビリをしていて「痛みの限界まで伸ばして」などと言われるのを思いました。その時に用いられるのが「境界」ということばなのです。

 ここには、神がイスラエルの民のうち9部族半が受け取る相続地の境界線が明らかにされます。ルベンとガドの二部族とマナセ部族の半分はすでにヨルダン川の東岸(トランスヨルダン)に相続地を受け取っています。

 ここには南側の境界線に始まり、西側(大海〜地中海)、北側、そして東側の境界線の順で地名が結ばれていきます。これらの地名の中には、ツィンの荒野、カデシュ・バルネアなどよく知られるものもあれば、場所が特定できないものもあります。

 興味深いのは、北側の境界線が実際にヨシュアによってカナンに定住してそれぞれが得た割り当て地よりもかなり広いということです。どうして実際との違いがあるのかについて、はっきりしたことは分かりません。ともかく、民は自分たちの民族が住むことができる土地に定住し、それ以上に広がり住むことはありませんでした。

 ここから、神が人の思いをはるかに越えて働かれるお方だという聖書のことばを思いました。自分の欲望を肥大化させるべきではありませんが、神が与えると線を引いてくださった地にまで進み行こうとするのは、神の約束を信じることがなければなしえないのだと、割り当て地の広さと実際とのギャップから考えました。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki