みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

立ち去る客たち

2015年04月29日 | 列王記第一

列王記第一 1章32−53節

 

 写真は、来月末に「新装開店」する福祉の店に設置する家具の一部。この街にあるものつくり大学の学生さんたちが製作に精を出してくれていて、すべてでき上がるのが楽しみです。見学に行った折りの一コマです。

 「ゴールデンウィーク」が始まりました。今年は概ね天候はよいようですね。しかし、陽射しは強く気温も上がるとのことです。水分補給が欠かせませんね。きょうは、通っている教会の年に一度のバザー。その隣にある障がい者支援施設の皆さんも協力してくださいます。

 年老いるダビデのすきを狙い電撃的にアドニヤが王に即位。一方、神のみこころを行うことに意を決したダビデはソロモンの即位式をするように指示します。一時、イスラエルには二人の王がいたということになるでしょうか。さて、どちらが神の義を実現しようとしているのか、神のみこころはどこにあるのでしょうか。それを端的に表しているのが49節ではないかと思うのです。

 「すると、アドニヤの客たちはみな、身震いして立ち上がり、おのおの帰途についた。」

 この時、客たちが真にアドニヤこそイスラエルの王にふさわしいと考えるならば、その場にとどまりアドニヤを支えたことでしょうが、彼らはサーッとアドニヤの前を去ります。損得で結びついた人間関係の危うさを垣間見る光景です。

 しようとしていることがはたして神のみこころであるのかは、信仰者であればいつも考えること。双方が神を信じる者であったとしたら余計にやっかいです。みことばを日々いただき、神との普段の交わりに生かされているかどうかが、そのような危急の折りにみこころに従うための鍵のように思えます。


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