伝道者の書 11章
この章を読んで、どんな見出しをつけられるだろうかとあれこれ考えた結果が、本日のタイトル。5節にあるように、人には「いっさいを行われる神のみわざを知らない」のです。何が起こるかわからないから何もしないでいようとする方向もあります。けれども伝道者は、何が起こるかわからないから何かをしようというのです。
先日、何十年ぶりに教会を訪ねたという方の話を聞きました。子どもの頃に教会の日曜学校に通っていて、イエスさまのお名前によって神さまに祈ることを覚え、以来何かあるたびにずっとそのように祈ってこられたそうです。けれども教会には行かずじまいで何十年も経ち、何度か教会の玄関まで来ては入れずに来たが「イースターの集い」の看板を見て、意を決して礼拝に参加されたのだというのです。その時、「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」との1節のことばを思い起こしました。
努力したことの結果を見たいというのは、私たちの願いです。ところが、なかなか結果が出なければやる気を失い、やがて努力そのものも止んでしまう、ということになります。改めて、何が起こるかわからないけれども、いっさいを行われる神に信頼して、前を向いてし続けよう、福音の種を蒔こう、愛のわざを行おうと励ます一言ですね。