みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

この時代にあって

2014年04月23日 | テトスへの手紙
テトスへの手紙2章


 きょうの「みことばの光」本文3行目に、「テモテはどのように指導するべきであったか…」とありますが、正しくは「テトスはどのように指導するべきであったか…」です。おわびし、訂正いたします。

 テトスは、「昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう」(1章12節)と揶揄(やゆ)されていたようなクレテ島で、キリストを信じて新しい歩みを始めた人々に、キリストにあって歩むとはどのようなことなのか、世代や立場にふさわしく教え導かなければなりませんでした。

 「この時代にあって」ということばに目が留まります。
 救い主はこの時代にお生まれになり、歩まれました。イエスが当時の特に指導的な立場の人々と衝突しておられたのは、時代の主流に「そうではない」と新しい生き方を示されたからです。そして、表向きはこの時代に飲み込まれて十字架で殺されてしまったかのようです。そうではありません。

 時代はいつも、キリスト者が大切にしているものを踏みつぶせるほど力で挑んできます。抗う(あらがう)よりは、飲み込まれ、流されるほうがどんなに楽か…と思うこともあります。

 けれどもそうしないのは、キリストが十字架にかかられたから、キリストが復活して今も生きておらるから、やがて再びおいでになってすべてを支配されるという希望に生きているからです。
      


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