みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

祈りが聞かれないとき

2012年09月01日 | エゼキエル書
エゼキエル書14章

 9月を迎えました。朝歩きで見上げた空には入道雲。宮崎駿の作品によく出て来る雲を思わせるようでした。
 
 「祈りは答えられる」と信じ、そのように励ますことが多いのですが、きょうの箇所には、「祈りが聞かれない場合」のことが記されています。
 
 イスラエルの指導者たちは、自分たちの願いを聞いてほしいと、エゼキエルの前にすわりました。しかし神は、自分たちの偶像を心の中に秘めたものの願いを聞くことはないとして斥けられます。彼らがしなければならないのはどのようなことでしょう。「悔い改めよ。偶像を捨て去り、すべての忌みきらうべきものを…遠ざけよ」と主はお命じになりました。
 
 この章の後半には、「ノア、ダニエル、ヨブ」の名前が繰り返し登場します。この三人にはどのような共通点があるでしょうか。「正しい人」「義人」だということです。
 ダニエルはエゼキエルよりも前に捕囚されたのですが、当時義人ダニエルの名は、バビロンに広く知られていたというのは、興味深いことですね。

 ユダに下されようとしている神からのさばきは、民が悔い改め、偶像を捨てることをしない限り、たといノアやダニエル、そしてヨブのような義人がいたとしても、決して避けられないというのです。救っ
 人の罪はその人が負うべきで、だれも身代わりになることはできません。親がすばらしいキリスト信者だからと言って、その子どもの罪を代わりに負うことはできないのです。救ってほしいとの祈りは聞かれません。

 けれども、例外が一つだけあります。「みことばの光」にあるように、ノア、ダニエル、ヨブにできなかったことを、イエスがなさったのです。

 今日で、ブログの記事が500になりました。自分でもこんなに続くとは思ってもみなかったのでびっくり。これからもよろしくお願いします。





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