エゼキエル書16章44-63節
朝歩き、いつも歩く道よりも一本隣の道を歩くと、そこは全く違う世界が…。![Img_3571 Img_3571](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/71/370a27063dabbd2e5a70ee99e06e6794.jpg)
11月には、ここで起こったことを題材にした「のぼうの城」という映画が公開される予定で、市ではこれを機に街おこしをと意気込んでいます。写真は蕎麦屋さん。おいでの折はぜひどうぞ。
神は、「あの母だから、この娘」ということわざを取り上げて、イスラエルの民に適用しておられます。
神がお選びになったイスラエルは、いわゆるよい家柄の出というわけではありませんでした。姉はサマリヤ、妹はソドムというのですから、どちらも罪深い存在。一時はまじめに生きたけれども、やがて姉や妹と同じようなことになってしまい、ついにはもっと悪いものになってしまったというのです。
神に選ばれた自分たちは何があってもだいじょうぶだと錯覚して、悪事を重ねても悔い改めようとしないイスラエルの罪を、神は暴き、ソドムやサマリヤよりも悪いと断罪します。
それとともに、ここには回復の約束もあります。それは、「あなたが、あなた自身の恥を負い…」という体験を経ての回復であり、新しい契約の締結だというのです。
自分の恥は隠したくなるもの。
人の前では隠し通せても、神の目にはすべてがお見通しです。「こんなときは素直にあやまったほうがいいぞ」というのは、何日か前に観たドラマでの台詞。
確かに、罪を、恥を暴かれて「すみませんでした!」と言って初めて見えてくる新しい世界があります。それを、きょうの箇所は示しているように思えるのです。
朝歩き、いつも歩く道よりも一本隣の道を歩くと、そこは全く違う世界が…。
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11月には、ここで起こったことを題材にした「のぼうの城」という映画が公開される予定で、市ではこれを機に街おこしをと意気込んでいます。写真は蕎麦屋さん。おいでの折はぜひどうぞ。
神は、「あの母だから、この娘」ということわざを取り上げて、イスラエルの民に適用しておられます。
神がお選びになったイスラエルは、いわゆるよい家柄の出というわけではありませんでした。姉はサマリヤ、妹はソドムというのですから、どちらも罪深い存在。一時はまじめに生きたけれども、やがて姉や妹と同じようなことになってしまい、ついにはもっと悪いものになってしまったというのです。
神に選ばれた自分たちは何があってもだいじょうぶだと錯覚して、悪事を重ねても悔い改めようとしないイスラエルの罪を、神は暴き、ソドムやサマリヤよりも悪いと断罪します。
それとともに、ここには回復の約束もあります。それは、「あなたが、あなた自身の恥を負い…」という体験を経ての回復であり、新しい契約の締結だというのです。
自分の恥は隠したくなるもの。
人の前では隠し通せても、神の目にはすべてがお見通しです。「こんなときは素直にあやまったほうがいいぞ」というのは、何日か前に観たドラマでの台詞。
確かに、罪を、恥を暴かれて「すみませんでした!」と言って初めて見えてくる新しい世界があります。それを、きょうの箇所は示しているように思えるのです。