みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

「あの母だから、この娘」

2012年09月05日 | エゼキエル書
エゼキエル書16章44-63節


 朝歩き、いつも歩く道よりも一本隣の道を歩くと、そこは全く違う世界が…。 Img_3571
11月には、ここで起こったことを題材にした「のぼうの城」という映画が公開される予定で、市ではこれを機に街おこしをと意気込んでいます。写真は蕎麦屋さん。おいでの折はぜひどうぞ。

 神は、「あの母だから、この娘」ということわざを取り上げて、イスラエルの民に適用しておられます。
 神がお選びになったイスラエルは、いわゆるよい家柄の出というわけではありませんでした。姉はサマリヤ、妹はソドムというのですから、どちらも罪深い存在。一時はまじめに生きたけれども、やがて姉や妹と同じようなことになってしまい、ついにはもっと悪いものになってしまったというのです。

 神に選ばれた自分たちは何があってもだいじょうぶだと錯覚して、悪事を重ねても悔い改めようとしないイスラエルの罪を、神は暴き、ソドムやサマリヤよりも悪いと断罪します。
 それとともに、ここには回復の約束もあります。それは、「あなたが、あなた自身の恥を負い…」という体験を経ての回復であり、新しい契約の締結だというのです。

 自分の恥は隠したくなるもの。
人の前では隠し通せても、神の目にはすべてがお見通しです。「こんなときは素直にあやまったほうがいいぞ」というのは、何日か前に観たドラマでの台詞。
 確かに、罪を、恥を暴かれて「すみませんでした!」と言って初めて見えてくる新しい世界があります。それを、きょうの箇所は示しているように思えるのです。











2011-2024 © Hiroshi Yabuki