みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ハレルヤ

2012年09月19日 | 詩篇
詩篇135篇


 ここ数日、日曜日に生まれた孫に会いに行くのが日課になっています。
 一昨日は名前が決まり、初めてお風呂に入ったとのことです。生まれる前からパパとママは名前を考えていたそうですが、一生ついてまわるものですからあれこれと考えることでしょう。名前もまた、芸名やペンネームは別にして自分で選ぶことができないものですね。
 私のごく平凡な名前は、生まれた頃に祖父が好きだった浪曲師の名前だそうで、それを聞いた時には「ちょっとねぇ」なんて思いましたね。祖父の願いとは違い、浪曲師ではなくて牧師になってしまいました。

 厳しいさばきの宣告が続いてきたエゼキエル書の通読は一時休止して、久しぶりに詩篇を読みます。135篇の出だしと終わりの「ハレルヤ」(主をほめたたえよ)ということばが、とても明るく感じられました。それで、大きな声を出してを読みました。とてもすがすがしかったです。

 けれども、私たちが「ハレルヤ」と心から賛美できるのは、エゼキエル書で描かれてきた人間の罪が、正しいしかたで始末されたからこそなのだ、ということを思うと、聖書の中の厳しい箇所を読み通す必要があるということにも、改めて気づかされるのです。

 この詩篇の作者は、神が自分たちを選んで「ご自分のもの」「ご自分の宝」とされたと歌っています。生まれたばかりの赤ちゃんを、パパもママもたからもののようだと思っているように、いやそれ以上に、神は私たちを「ご自分の宝」としておられるのですね。







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