みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

光栄と責任

2012年01月10日 | テモテへの手紙第一
テモテへの手紙第一 3章


 目覚まし代わりのラジオが、なでしこジャパンの澤穂希主将が女子の年間最優秀選手賞を、佐々木監督が女子の年間最優秀監督賞を、そして日本サッカー協会が年間フェアプレー賞を得たことを報じていました。
 うれしい目覚めでした。
 なでしこが優勝したのは7月。大震災以来重いものを抱えて生きていた多くの人に、大きな喜びをもたらしたニュースで、「あきらめない」ということばをもってみんなを励ましてくれたのは、ついこの前のようでしたね。

 チームスポーツには監督やコーチが必要です。どんなに優秀な選手たちを揃えても、監督の采配がまずければ勝利は難しいというのは通説でしょう。ですから、監督やコーチは大変だと思います。(こんなふうに第三者的に言っている私も、テモテへの手紙3章によれば監督に当たる務めに就いているのですが…)

 すぐれた器であっただろうテモテが、エペソの教会の困難な牧会の責任を「みんなが悪い、私は正しい」と考えていたということはないでしょう。しかし、困難に直面すると、人はだれかにその責任をかぶせようとするものです。
 パウロはそのように考えてはいません。パウロは、だれよりモテモテに指導者としての姿勢を確認するように求めているのです。
 テモテは、どんな思いでパウロのことばを読んだのでしょうか。このようにパウロが書いてくれたことに感謝し、ホッとし、そして襟を正して務めに励むようにとの励ましを得たのではないでしょうか。

 きょうの「みことばの光」は、「教会の牧師や役員のために、とりなしをしているだろうか」で始まります。
 祈ってもらっていること、これがそのような務めに就くものにとっての何よりの励ましなのです。

 よろしく!





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