みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

幸いなことよ

2012年01月06日 | 詩篇
詩篇112篇


 年の初め、だれもがこの一年が幸いな年であるようにと願い、殊にこの国の多くの人々は、普段はおつきあいのない神社仏閣を訪ね「幸い」を祈ります。「幸いな年であるように」とは、健康で、平和で、仕事や勉強がそこそこうまくいって、お金も有り余るほどでなくても足りていて、できれば願いや望みが叶えられること、でしょうか。

 ある家に「運」が住むようになったら、家族やペットにまで次々といいことが起こるというCMが流れています。そこで夫婦で宝くじ売り場に向かった…というオチなのです。もちろん宝くじのCMなのですが、そんなにうまくいくはずはないと、CMを見ながらテレビの前で話したり思ったりしているのでは…、と想像してしまいました。いや、これを見て宝くじを買いに行く気になった人も多いでしょう。そうなれば、CMの効果絶大です。
 
 詩篇112篇を読んで、改めて気づき感動したのは、どうしたら幸いになるか、幸いを得られるのかについての答えが、多くの人の願いが実現するための鍵が、冒頭に記されているということでした。
 それは、「主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ」ことです。この主題は詩篇や箴言で繰り返されています。
 
 詩篇には「幸いなことよ」「なんと幸いでしょう」とのことばが25回登場します(数え間違いがなければ…)。聖書は何度も「幸い」への道をはっきりと示しているのです。このことに感動しました。(そんなことわかっている、とおっしゃる方もいるでしょうが)
 ですから、きょうの「みことばの光」の「考えよう」は、考える意義のあることだと思います。

 改めて、おひとりびとりの「『みことばの光』的毎日」がゆたかなものとされるように、お祈りします。





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