ゼカリヤ書13章
トルコ南部のアダナで、朝1時間ほど街歩きをしました。
イスラムの国ですので、たくさんのイスラム寺院があります。そのひとつを訪ねた時のことです。一人のお年寄りが手招きをしています。「こっちへ来て、見てごらん」と言っているようでした。行ってみると半地下になった大きな部屋には、銭湯の洗い場のようにずらりと蛇口と腰かけが並んでいました。
どうやら、そこは沐浴場のようでした。イスラム教徒は、祈りの前に頭と手足とを洗うのだそうですから、そのための場所だったのですね。
1節には、「罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」とあります。
水にはいろいろな「効用」があります。その中の一つは身体を清潔にするということ、汚れを落とすということでしょう。シャワーを浴びたり、洗濯したりは私たちの日常のことです。
そして、その他にきよい神の前に出るためには身の汚れを洗い落とすという手順を踏む宗教がほとんどです。
滝で打たれるというのもその一つなのでしょうね。
時々ぞっとする夢を見て、「ああ、夢でよかった」とホッとすることがありますが、ある時見た夢は、ゾゾッとするものでした。一生懸命手を洗うのですが、洗っても洗っても手がきれいにならずにかえって汚れが増していくのです。
ここにある「罪と汚れをきよめる一つの泉」という預言は、イエス・キリストにおいて成就したのですね。何とありがたいことでしょうか。
トルコ南部のアダナで、朝1時間ほど街歩きをしました。
イスラムの国ですので、たくさんのイスラム寺院があります。そのひとつを訪ねた時のことです。一人のお年寄りが手招きをしています。「こっちへ来て、見てごらん」と言っているようでした。行ってみると半地下になった大きな部屋には、銭湯の洗い場のようにずらりと蛇口と腰かけが並んでいました。
どうやら、そこは沐浴場のようでした。イスラム教徒は、祈りの前に頭と手足とを洗うのだそうですから、そのための場所だったのですね。

1節には、「罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」とあります。
水にはいろいろな「効用」があります。その中の一つは身体を清潔にするということ、汚れを落とすということでしょう。シャワーを浴びたり、洗濯したりは私たちの日常のことです。
そして、その他にきよい神の前に出るためには身の汚れを洗い落とすという手順を踏む宗教がほとんどです。
滝で打たれるというのもその一つなのでしょうね。
時々ぞっとする夢を見て、「ああ、夢でよかった」とホッとすることがありますが、ある時見た夢は、ゾゾッとするものでした。一生懸命手を洗うのですが、洗っても洗っても手がきれいにならずにかえって汚れが増していくのです。
ここにある「罪と汚れをきよめる一つの泉」という預言は、イエス・キリストにおいて成就したのですね。何とありがたいことでしょうか。