みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ひとり嘆く

2012年03月28日 | ゼカリヤ書
ゼカリヤ書12章


 企業年金基金の受託をしながら、そのほとんどを失ってしまった投資会社社長への参考人質疑の様子がニュースで映されていました。今後の刑事訴追を考えてのことか、受け答えは慎重であり、自分がしたことは間違っていなかったということで一貫していました。公の場ではそうせざるを得ないのだとしても、ひとりの時には嘆き悲しんでいるのではないか、いや、そうあってほしいと願いました。

 嘆くよりは笑って過ごせたらよいと思います。しかし、神が真実であわれみ豊かなお方であることを知った者にとっては、このお方の前で嘆くのが、もっとも平安なことなのではないのでしょうか。

 子どもの頃に、「しゃくり上げる」という体験を何度かしました。大体は親の前でのことでしたが、ぎりぎり最後まで歯を食いしばって「負けないぞ」「謝らないぞ」「自分は悪くないぞ」と心を堅くしているのですが、相手の一言、また何かのきっかけで、何かが切れたようにしゃくり上げました。
 しかし、私にとってそのようなことが解放感につながって行きました。

 11-14節の「…ひとり嘆き、…ひとり嘆く」の繰り返しは、「神の前で」を前提にしているかのように読めます。そして、そのような嘆きは、希望に、救いにつながっているものだと教えられました。




 


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