ゼカリヤ書7章
昨日は、パウロの三回目の伝道旅行の折りに立ち寄ったパタラを訪ねました。この時の写真です。
きょうの「みことばの光」のタイトルは「順風な時ほど」です。
確かに、人の心が緩むのは苦しみを通った後にホッと一息つき、物事がうまく回りはじめた時かもしれません。
旅は、普段の生活とは違った体験ですが、何日かの旅の中でもいろいろな出来事が起こります。
今回の旅には、二つの目的がありました。一つはこの国に住む主にある方々との交わり、もう一つは聖書に記述されている地を訪ねるというものでした。
道に迷うこと、自動車のパンク(すでにお知らせしました)などの「パニックになりそうな事件との遭遇」は、緊張と神への信頼、祈りに押し出します。ところが、物事がうまく回っているとつい気持ちが緩むのですね。何度か、気を引き締めよとの警告を得たことが旅の中でもありました。
「いつまで断食を続けなければならないのでしょうか」という問いかけは、「私たちにはもう問題がない。一所懸命神の前に罪を悔い改め、神に願い求めたのだから…」という思いから出たもの。そのような時に、礼拝や信仰生活が形式化するということを、この章は教えています。
「…自分たちのためではなかったのか」という神からの問いかけを、思い巡らし心探られたいと思います。
これから帰国します。
昨日は、パウロの三回目の伝道旅行の折りに立ち寄ったパタラを訪ねました。この時の写真です。

きょうの「みことばの光」のタイトルは「順風な時ほど」です。
確かに、人の心が緩むのは苦しみを通った後にホッと一息つき、物事がうまく回りはじめた時かもしれません。
旅は、普段の生活とは違った体験ですが、何日かの旅の中でもいろいろな出来事が起こります。
今回の旅には、二つの目的がありました。一つはこの国に住む主にある方々との交わり、もう一つは聖書に記述されている地を訪ねるというものでした。
道に迷うこと、自動車のパンク(すでにお知らせしました)などの「パニックになりそうな事件との遭遇」は、緊張と神への信頼、祈りに押し出します。ところが、物事がうまく回っているとつい気持ちが緩むのですね。何度か、気を引き締めよとの警告を得たことが旅の中でもありました。
「いつまで断食を続けなければならないのでしょうか」という問いかけは、「私たちにはもう問題がない。一所懸命神の前に罪を悔い改め、神に願い求めたのだから…」という思いから出たもの。そのような時に、礼拝や信仰生活が形式化するということを、この章は教えています。
「…自分たちのためではなかったのか」という神からの問いかけを、思い巡らし心探られたいと思います。
これから帰国します。