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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

空しい誓い

2023年08月17日 | 士師記

士師記 9章22−40節

 ウクライナのオデーサの牧師から、ミサイル攻撃による被害の映像が送られてきました。攻撃によって発生した火災の消火作業を徹夜でしている消防士たちが映っていました。そのような中で祝福されたユースキャンプが行われているとのメッセージも届けられています。

 シェケムは死を前にしたヨシュアが全イスラエルを集めて契約を結んだ地。そして、契約を交わしたことの証しとして、ヨシュアはシェケルに大きな石を置きました。

ヨシュア記24章27節には次のようにあります。「見よ、この石は私たちに対して証しとなる。この石は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、これはあなたがたに対して証しとなる。」

 しかし、今やシェケムは証しの石に全くふさわしくないところになってしまいました。かつて声をあわせてアビメレクを担ぎ上げながら、ここではアビメレクに不満を持つ始末。あの時の誓いは空しいものでした。

 22節には「アビメレクは三年間、イスラエルを支配した」とありますが、その後の記述から考えると彼が何をしたのかが想像できるように思います。

 シェケムにとって大切なのは、アビメレクやガアルの口車に乗ることではなくて、自分たちの所に置かれている証しの石が何を意味しているのかを忘れることなく、主に従い、主に仕えることでした。

 神の民にとって混乱とは、神とのあるべき関係にいないところから生じますのではないか、と考えます。


どちらを先に…

2023年08月16日 | 士師記

士師記 9章1−21節

 当たり前のことだと言われそうですが、国が変わると街の様子もがらっと変わるものだと思いました。久しぶりに大人数での旅をしています。

 ここは、ギデオンの家族の内紛を取り上げています。アビメレクはギデオンの70人の息子の一人です。なお、ここでギデオンはエルバアルという名で呼ばれています。

 アビメレクは自分が父の後継者になろうと企てました。今日の「みことばの光」は、ギデオンがわが子に「わが父は王」という意味のアビメレクという名を与えたということは、心のどこかにわが子を王にという願いを抱いていたのかもししれないと書いています。

 この頃イスラエルには王はいません。士師としての務めを終えれば、ギデオンが指導者としての立場を失うことになっていました。しかし彼は、わが子にそれを継がせたいという思いを持っていたとも考えられます。

 そのような親の思いを知ってか知らずか、アビメレクは自分が父の跡を継いで指導者になりたいという野望を抱きました。自分よりも指導者としてふさわしいと目される兄弟がいたのかもしれません。彼は兄弟たちを殺しました、たった一人を除いて……。

 「自分これが正しい」「自分はこれがやりたい」と願うことが神の考えとは違っていたならばどうするか、どちらを優先させるのかは私たちの信仰の歩みの中でいつも問われることではないでしょうか。


罠となった

2023年08月15日 | 士師記

士師記 8章18−35節

 今週は、日本から訪ねてくれた家族と西隣の国を訪ねています。私たちもまだ行ったことのない所でしたので、美しい景色に感動の連続でした。

 7年もの間イスラエルを苦しめていたミディアン人を倒したギデオン。8章後半では、そのギデオンの光と陰が明らかにされます。ギデオンの活躍と功績とは全イスラエルの心を動かし、人々は自分たちを治めてほしいと願います。それに対するギデオンの答えは。模範解答とでも言えるようなものでした。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。主があなたがたを治められます」というギデオンのことばがそれです。

 心にかかるのは、そのような立派な答えをしたギデオンが、分捕り物の耳輪を求めたことです。もちろんイスラエルを救ったギデオンの願いに異議を唱える者はいなかったことでしょう。なぜなら、ギデオンこそイスラエルを救った功績者だったからです。

 問題は、彼のために集められた耳輪で、大祭司しか着用してはならないエポデを作ったことです。それがイスラエルの民の間にあってはならないことを広げてしまうことにつながりました。

 ギデオンはミディアンとの戦いに際して神を礼拝しました。そして、見事な勝利をおさめました。そのような時こそ、彼は「礼拝で終わる」必要がありました。もしかしたら、エポデを作ったことがこんな結果をもたらすとは考えていなかったのかもしれません。 

 27節の「それはギデオンとその一族にとって罠となった」ということばが心に留まります。罠は成功の後に忍び込むのです。


怒りは和らいだ

2023年08月14日 | 士師記

士師記 8章1−17節

 一週間間を空けての礼拝でしたが、やはりいつもの場所でいつもの方々といっしょに神を礼拝できるのは神の大きな祝福です。

 一つとなって戦うのは簡単なことではないと、この箇所を読んで思いました。イスラエルの部族間の力関係ゆえでしょうか。エフライム部族はミディアン人攻撃の際に、自分たちに声がかからなかったことゆえにギデオンを激しく責めるのです。「激しく責めた」ということばが気になります。エフライム部族はヨシュアの出身部族。ギデオンはマナセ部族であり、エフライムとは近い関係でした。

 エフライムがギデオンを激しく責めたというのは、彼らのプライドゆえのことだったのでしょうか。いわゆる「勝馬に乗る」ことを願ったというよりもむしろ、イスラエルの主要部族だと自負する自分たちに声をかけなかったことに大きな不満を抱いていたのです。「私たち抜きで戦い、勝利したのは喜ばしい!」とはなかなか言えないものですが、そう言いたいといつも思っています。

 エフライムの憤りの理由を知っていたギデオンは、「何を!」とムキになることがありません。けんかは双方が「何を!」となることから始まるのですから、この場合エフライムは挙げたこぶしを治めざるをえません。

 プライドでなく、意地悪でなく、どなたかの祝福されたあり方を心から喜び、必要とあらば喜んで手を差し伸べる、そのような人としてなお、成長したいと思った箇所です。


アドナイ・シャロム

2023年08月12日 | 士師記

士師記 6章19−40節

 久しぶりに夏空が戻って来た感のある金曜日。最高気温は30度とのことでした。

 ミディアン人との戦いのために神が選ばれたギデオン。しかし彼は、自分が神のみこころにかなうのかを知りたいと願いました。それは、立ち上がりたくないからではなく、立ち上がろうとしながらも自分の小ささや力のなさと向き合わなければならなかったのです。

 この箇所で、ギデオンはしるしを求めます。「なぜしるしを求めるのか、わたしのことばを信じないのか」と怒りを買いそうな行動に見えるようなことですが、驚くことに神は、ギデオンの二度にわたる願いに応えられるのです。

 24節の「アドナイ・シャロム」ということばを心に留めました。ギデオンは、自分のこの目で神の使いを見てしまったので、生きていられないと恐れ、平安を失います。しかし、ギデオンのすべてを知る神は、「安心せよ。恐れるな。あなたは死なない」と声をかけてくださいます。ギデオンは、このことを、そしてこの場所を忘れることがないようにと、「主の平安」「主の平和」と名づけました。

 ここを読んで、神の前に自分はどれほどの恐れをいだいているのだろうかと問われます。「神は私とともにおられる」というのは私たちにとっての神の事実であり確信なのですが、それは、聖なる神の前での罪人である自分という自覚があって初めて、意味があるのではないだろうかと思うのです。


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